第9話 泣きたい時は泣いた方がいい

「待て待て!落ち着け!」


 俺は両手を前に出し、長弓ロングボウを引いている女を宥めようとした。


「お主が至らん事をするからだ!」

「俺のせいかよ!」

「他に考えられんだろうが!」


 グローは双斧ツインアクスを地面に投げ捨て、両手を上げる。

 敵意がないという証明だ。

 俺もそれに習って腰に佩いた剣を捨てた。


「敵じゃない!だから落ち着け!」


 女は俺達と、床に捨てた武器を交互に見つめ、やがて長弓を構えるのを辞めた。


「はぁ……」

「ありゃ、明らかにガルを狙っておったぞい」

「あぁ、完全に俺の眉間を射抜くつもりだった……」


 今になって嫌な汗が背中を伝う。

 生きた心地がしないとはこの事だ。


「して、お前さん、名前は?」


 グローが女に話し掛ける。

 女は顔をしかめたまま、口を開いた。


「○△%◎◆&×#□!」


 開いたはいいが、全く聞き取れない。


「……はぁ?」

「……、何じゃて?」


 俺達の様子に苛立ち始める女。


「○△%◎◆&×#□!!」


 今度は少しゆっくりと大きな声で女が喋ったが、やはり何と言ってるか分からない。


「ダメだ、全く分からんぞ……」

「もしかして、古代耳長人エルフ語じゃねーのか?」

「だとしたら、ワシには分かんぞ」

「俺もだ……」


 全く聞いた事ない言語。

 しかし、俺達が今使っている耳長人語に、何処となく似ている気がする。


「古い言い回しなら通じるかもな」

鉱矮人ドワーフのワシには分からん」

「やってみるか……」


 俺は一度咳ばらいをして、ゆっくりと喋った。


「某の名は、ガルと、申す。其処許そこもと、名は?」

「いつの時代じゃ……」


 女は目を点にしていた。

 なんだよ、これ。

 滅茶苦茶恥ずかしくなってきた。


「……、ガル……?」


 女が俺の名を呟く。


「そうそう!俺はガル!」


 自分自身を指差しながら、俺は何度も自分の名前を教える。


人間ヒューム……、ガル……」

「そう!人間のガルだ!」

「ガル」

「おう!覚えたな!」


 俺の顔をマジマジと見つめた後、女はグローを見た。


「……、鉱矮人……」

「そうそう!こいつは鉱矮人!」

「グローだ」

「グロー……?」

「そう、グローだ」

「鉱矮人、グロー」


 どうやら俺達の名前を覚えたらしい。


「俺がガルで、こいつはグロー!で、あんたの名前は?」


 多少会話らしい事が出来始め、嬉しくなった。

 しかし、喜ぶ俺を見ながら、女の表情は再び曇った。


「名を忘れておるのか……?」

「……」


 返事がない事を考えるとそうらしい。


「長い眠りの魔法の障害で、記憶がなくなってしまったのやもしれんな」

「記憶喪失って事か……」


 女はふと、自分の胸元に目を落とした。

 そこには、美しく輝く銀色の小さなアミュレットがあった。

 女はそのアミュレットを手に取り、ゆっくりと眺める。


「エルウィン……」

「ん?」

「俺……は……、エルウィン……」


 それは、思い出したと言うより、今し方自分で付けたような言い方だった。


「片言だが、ワシらの言葉を真似しておる」

「頭はいいみたいだな」

「当たり前だ!古代耳長人だぞ!その知性の高さは今の耳長人すら遥かに凌ぐ!」

「ピュートが戻って来る間に結構喋れるようになるんじゃねーか?」


 そんな話をしていると、一際大きな音が部屋に響いた。


「腹の虫か?」

「俺じゃないぞ?」


 女の顔を見ると、尖った耳まで真っ赤に染まっていた。


「ハハハ!1000年も寝てたらそら腹も減るだろ!」

「うむ、ピュートから分けてもらった腸詰もある。飯にするかの」


 俺達はエルウィンと名乗った女を連れ、隠し通路を通り、礼拝堂へ向かう。

 そう言えば、礼拝堂は矮鬼の死体をそのままにしていた。


「グロー、礼拝堂の死体、片付けてないけど、あのお嬢さん大丈夫か?」

「うーん、分からん。しかし、武器が置いてあったという事は、この耳長人も戦えるのであろう?」

「まぁ、そうかもしれんが……」


 そうこうしていると、礼拝堂に戻ってきた。

 相変わらず血の匂いが充満している。

 窓も何もない礼拝堂だ、当面この臭いは消えないだろう。

 エルウィンの方を見ると、特に表情も変えずに歩いている。


「……、矮鬼」

「矮鬼だ。俺達が倒した」


 エルウィンは一匹の死体に近付き、中屈みになってそれを見下ろす。

 何をしているのか分からないが、黙って彼女を待つ事にした。

 一匹を観察し終えた後、真っすぐ立ち、礼拝堂を見回す。


「ガル、グロー、倒した、矮鬼」

「お、おう、そうだ」


 俺が首を縦に振ると、エルウィンは軽く膝を曲げながら頭を下げる。

 その美しい所作に、思わず見入ってしまう。


「◎◆%〇$……」


 やはり聞き取れない言語だ。

 しかし、その所作からお礼を言われているのは何となく分かる。


「仕事のついでだ、お礼を言われる程の事じゃねーよ」


 こんな美人に言われると照れくさくなってしまった。


「なぁに照れとるんだ」

「うるせ!それより、さっさと外に出るぞ。血生臭くてかなわん」


 外に出ると、太陽が大分高い位置に上ってきていた。

 神殿の中で時間感覚が多少狂ったようだ。

 もうそろそろ昼になろうとしてる。

 俺が日差しを浴びながら大きな伸びをしていると、エルウィンが俺とグローを押しのけた。

 そして、声を上げながら膝から崩れ落ちた。


「そうか……」


 グローがポツリと呟く。


「恐らく、自分が1000年以上眠っていたと分かっていない。町は当の昔に滅んでおるが、エルウィンにとっては今知らされた事実だ……」

「街の事は多少覚えていたんだな」


 俺は泣き崩れているエルウィンの背中を撫でる。

 故郷を失くした悲しみなど、俺には分からない。

 しかし、大切なものを奪われる辛さは分かる。

 俺とグローは、エルウィンが泣き止むのを静かに待った。

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