閑話 海皇



 あれは、新世界に作る地獄の地形を決める会議があって、いくつかの地形データを見ていた時だったかな……


 砂浜で寝転んでぼけーと書類を眺めてたら、突然しゃべる猫に声を掛けられたんだ。


「お前は異世界の神かにゃ? ポムはとっても偉い神様にゃ。ポムのお手伝いをさせてやるから、色々と手伝うにゃ」


「なんだお前? ん〜………………」


 どう見ても木っ端神で、神としての格は下の下。

 だけど『何となく面白そうだ』とあの時は思った。


「何を手伝えば良いのだ? 我が手伝える事は海に関する事だけなのだが」


「ポムに美味しいお魚さんを、たらふく食べにゃれるすべを教えて欲しいにゃ。ポムは毎日すきっ腹にゃ」


 魚か……魚ならなんとでもなるな……


「お前は手伝いの対価に何を捧げる? 捧げる物次第で手伝う度合いが変わってくるのだが」


「ポムが捧げられる物はコレしか無いにゃ」


 そう言って渡されたのは弓……のような何か……


 造りが良いと言えないどころか、弓の形をした木の棒を渡されたんだ。


「それの対価か……」「この弓はポムがずっと背負ってきた弓にゃ。ポムの大切にゃ弓にゃけど、武器を持ってはいけにゃいと決まったから、背負ってあげられないにゃ」


 何となく面白そうだと思ったが……可哀想と思えてしまった。

 目の前の白猫の表情がとても暗いものに変化したから。


「それなら、その弓を受け取る代わりに、俺の世界に連れて行ってやろうか?」


「連れていかれたらどうにゃるにゃ?」


 猫だったら……


「猫をとても大切にする地域に連れて行くし、その地域だと釣り人の近くに行けば小魚を貰える。美味しいカリカリだって貰えるかもしれないぞ」


 たまに俺が船の修理を頼む造船所の近くなら、猫は地域全体で大切にしてるし、車も殆ど通らないし……


「人間に襲われにゃいかにゃ?」

「大切にされる事はあっても、襲われる事なんか無いな」


 地形データの中から、日本近海と小島を選んで今日の仕事は終わりで良いか。


「ポムちゃん、日本あっちに行ったら絶対喋ってはいけないぞ。喋れば捕まって解剖されるかもしれないからな」


「うにゃ。鳴くだけは大丈夫かにゃ?」

「それは大丈夫だ。毎日様子を見に行くから、帰りたい時は教えてくれ」


 そうしてポムちゃんを魚釣造船所の近くの港に送り迎えする日々が始まったんだ。



 ポムちゃんを、チョッキを着た二足歩行の白猫のまま放置するのはまずいと思い、見た目を三毛猫に変えて、チョッキは毎回送り迎えする度に預かって、2ヶ月くらい経ったある日……


「大変にゃポセどん! 大変にゃのにゃ!」

「どうしたポムちゃん。少し落ち着け、何があった?」


 焦るポムちゃんを何とかなだめて聞き出したのは、ここ数年、俺の船を修理してくれてる造船所の作業員が高波に攫われたって…………


「海の事なら俺に任せろ。何分くらい前だ?」

「1時間くらい前にゃ。ポムが美味しいお刺身を貰おうと思って見に来たら、海にドボーンと飲み込まれたにゃ」


 1時間……絶望的だった。


 ソレを見つけたのは堤防から1kmくらい沖の海底。


 何時もやる気無さそうな顔をしていたが、漁の話や魚料理の話をすると楽しそうにノって来る奴で、仕事は真面目で、気の利く奴だった水死体モノ……


 海底に横たわる体は、潮の流れに揉まれて岩にぶつかったのだろう……ズクズクになって、左手に大切にしていた釣竿を握り締めたまま、小魚や甲殻類に体を啄まれていた。


 何となく……やるせなくなった。


 数年前に俺の部下になった造船所の先代の社長が、漁師をしながら経営していた造船所で働き始めた頃は、会う度に楽しそうな顔をしていたのだが、父親の代になって突然環境が変わって、笑顔を失った男……


 本来なら造船所を継いで、祖父と共に漁師をしながら生きるはずだったであろう……


「お前の人生……俺が取り戻してやるよ……」



 俺は知ってるんだ、お前が色々我慢して来た事を。


 勤めていた会社をリストラされて再就職先を探していた父親が、祖父が亡くなった後に、それまで手伝った事も無かった造船所を継ぐのを反対しなかった事。


 大学を出て就職出来なかった兄がニートになり掛けていたのを、造船所の事務員として働く事を薦めたのを。


 勤め先の御局様の対応に疲れて心を病んでいた妹を、無理するなと言って造船所に再就職させたのを。


 たった1人で造船所の作業員として、やりたい事を殆ど我慢して日々身を削って働いていた事を。


 お前の祖父に頼まれてんだ「アイツは海が好きだ、だから海には楽しい思い出だけを与えて欲しい」とな。



 俺は人間が嫌いだ。


 海に毒を垂れ流す人間が嫌いだ。


 海を自分達の物のように扱う人間が嫌いだ。


 海を綺麗にと言いながら、何かあればすぐ海に汚染物質を捨てる人間が嫌いだ。


 生き物を守ろう、地球環境を守ろうと言いながら、様々な生き物の生きる場所奪い、環境を破壊していく人間が嫌いだ。


 だけどな……


「お前個人は嫌いじゃ無いよ……」


 毎度俺の船を修理してくれる時に「傷んでる部分があったからついでに直しときましたよ、ついでなんでオマケです」なんて言いながら、25歳で腰痛と肩凝りに悩まされて、それでも必死にやっていたお前の事は嫌いじゃ無いよ……


 彼女とも別れ、友達付き合いも殆どしないで、必死に家族を支えようとしていたお前の事は嫌いじゃ無いよ……


「ポムちゃん。なんとしてもコイツを新しい地獄の管理人にねじ込むぞ。人選会議の時はポムちゃんも参加してくれ」


「もちろんにゃ。何時も美味しいイワシをポムにくれてた良い奴にゃ」


 引き上げてきた水死体モノを見てポムちゃんがワナワナしてる……


「何時もわざわざウロコと骨を取ってくれてた良い奴にゃ」


 俺には地上の生き物をどうにかする権限なんて無いが、今回は運が良かった。必ず何とかしてやる。



 それから俺とポムちゃんは頑張った。


「確かに経験で言えば年寄りの方が良いのかもしれん。しかし、年寄りを管理人にした所で何人の魂が地球に帰って来れる?」


 殆ど言い掛かりだな。

 管理人にするなら体は作り替えられるんだから。


 クレーマーに対応するように俺の事を見ている神々をしり目に、とにかくゴリ押した。


「魚を触れない女を送り込んでどうするんだ? 助けに行って仲良くなって、妾にでもしたいのか?」


 弟はぐうの音も出ないな。兄貴も納得してくれてる。


「生活能力の無い人間を送り込んでも何もならん。俺はこの男を推す」


 かすり傷や、虫が飛んで来たり、少し土で汚れたり、ちょっとした事で喚き散らかす子供ガキなんて不必要だ。


「俺の意見に文句があるなら、新しい地獄に行って俺と真正面からやり合おうじゃないか、何人でも同時に掛かって来れば良いさ」


 戦うフィールドが海なら、どんな神々にも負ける気はしないからな。


 抜き身のトライデントを構える俺に、会議に参加してる神々はドン引きだな。


「ポムも推すにゃ。魚介類しか居にゃい世界で魚釣 爆釣なんて名前の人間にゃら、にゃにかしてくれそうな予感がするにゃ」


 ポムちゃんナイスフォローだ。

 俺以外の、この場にいる18柱の世界を統べる神々に向かってよく言えたな……足が震えてるぞ。



 結局、最後まで反対したのは本来の地獄に関わる3柱で、賛成17票を獲得してアイツを管理人にねじ込む事が出来た。

 反対した神の言い分は、帰ってくる魂が多過ぎても困ると言う事だった。そんなのは俺が調整するさ。



「新しい地獄の事なら俺が色々と面倒は見る。海の事なら俺に任せろ」

「ポムもお手伝いに行くにゃ。美味しいお魚を食べに行くにゃ」


 多少体の構造に制限を掛けられたが、殆ど本人のままで地獄に送ることになった。



 のだが……


 実を言うと俺って人見知りなんだよ……

 だって海の中には人間なんて殆ど居ないから、居ても殆ど全員部下だし……


 最初になんて声を掛けよう……

 そんな感じで悩んでいたら、エギを投げようとしているのが見えて……


 それが楽しそうに見えたから。


「そりゃ見るよ。アンタ何してんの? 地獄で釣りとか楽しいか? 楽しそうだな」


 自然と声に出てしまった。




 バレないようにガチャの確率を弄って、ポムちゃんを呼び寄せるのに凄い気を使ったし。

 上手く誘導して死んだ事を悩まないようにするのは大変だった。

 造船所に修理に出してた船も、漁師をやっていた時に使っていたアバターも封印した。


 一緒に釣りをするのに、ホームセンターに行って最新の釣り具も揃えて来た。



「ポムちゃん。爆釣は楽しそうか?」

「ポセどんから見て楽しそうに見えない?」


 それは……


「爆釣は楽しいと思うし、私も楽しい。それにポセどんも毎日が楽しそうに見えるよ」


 俺は間違いなく今が楽しい。ポムちゃんも楽しそうだ。


「爆釣とポムちゃんくらいだな」「何が?」


 何がって……


「俺をポセイドンと知って、支配下に置こうとしたり、やけにへりくだったり、海に関する無茶な事を頼んで来ないのは」


「こんな感じで海岸の地形を変えたいんだが、大丈夫だろうか?」とか「料理を教えてくれ」とか……俺は海皇ポセイドンだぞ?


 まるで友達みたいに扱いやがって……


「俺から言い出さ無いと何も頼まないだろ?」


 世界の海を統べる俺に向かって、地球の海そのものの俺に向かってタメ口でさ……


 生まれた時から特別な神だった俺には敵か部下しか居なかったから、友達なんて出来ると思ってなかったし……


「爆釣は今でもあんまりわかってないと思う。私も数日前にスマホで調べるまで、ポセどんがどれだけ偉いのか知らなかったし」


「ふふふ……ハッハッハ………………」


 久々に腹の底から笑った気がする。


「変なの……」「気にするな」


 何時か終わる時が来るんだろう、だってアイツは人間だから……


 だけど……このバカンスに終わりが来るまで、このまま楽しくやって行きたいな。





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