第三八二食 旭日冬夜と信じる心


 真昼まひるに好きな男が出来たと聞いた時、俺はまず最初にそいつが悪人である可能性を考えた。心優しく、人を疑わない性格のあの子を騙し、たぶらかそうとしているのではないか、と。

 しかしそんな疑念は、実際にと会って話してみると泡のように消えてしまった。

 職業柄、色んな悪い連中ヤツらを相手にしてきた俺だが、そいつからはその手の連中特有のにおいがしなかった。〝人を見る目〟だとか〝悪人をぎ分ける嗅覚はな〟だとか、そんな不確かなモンを信じているわけじゃない。ただ共に酒をわし、そして――


『それが将来いつかの真昼の笑顔のためでも、目の前で泣くあの子を見過ごすような男にはなりたくないです』


 そう言った彼の瞳に嘘はなかった。


『俺は試験の結果なんかより、真昼がいつも通り元気に笑ってくれていることの方が大事なんです。俺のために無理するあの子の姿なんて見たくない』


 そう言った彼の心に、嘘はなかった。

 酒とは人間の本質を写し出すかがみのようなものだ。彼と真昼が互いの関係を料理で表現しようとしたように、酒にも飲んだ者の人間性を表現する力がある。

 会って、話して、食って。それでもまだその男のことを信じ切れなかった臆病おくびょうな俺は、最後に彼とさかずきわしたことで知った。家森夕やもりゆうという男の本質を。自慢の愛娘まなむすめが惚れた男の人間性を。

 そして知った。父親おれこそが知らず知らずのうちに真昼を悲しませ、傷付ける悪人になっていたことを。心優しいあの子は心優しい男に惚れ、俺はそんな二人の関係を横から引き裂こうとしていたのだ。「真昼の安全のためだ」「将来のためだ」「幸せのためだ」――どれも俺の本心で、しかし同時に言い訳でもあったのかもしれない。

 本当に真昼のためを思うならただ縛り付けるのではなく、今のあの子も納得できる方法を模索するべきだった。電子の平面に写る悲しみに暮れた真昼の姿を見て、ようやくそう気付かされた。


「俺は……もっと信じてあげるべきだったんだな。あの子の人を見る目と、あの子が惚れた男のことを」


 ゆっくりと目を開け、懺悔ざんげするようにそう呟く。そんな俺を見て家森君は意外そうに目を丸くした。


「なあ、家森君。きみ、酒のあても作れたりするのか?」

「へ? い、いえ、普段はあまり飲まないので大したものは……居酒屋で働いてる友だちが教えてくれたおつまみくらいなら作れますけど」

「せっかく料理上手なのにそれはもったいないな。まあ真昼もまだ飲める年齢でもないし仕方ないのか……よし、だったら今からとっておきを教えてやろう。俺が酒を飲む時、よく自分で作ってさかなにしてる料理レシピだ」

「い、今からですか?」


 急に言い出した俺に驚きの声を上げる青年。対する俺は何を言ってるんだ、とばかりに笑ってみせた。


「夜はまだまだこれからだろう? なにせ君には、まだまだ聞かなきゃならんことが山ほど残ってるからなあ?」

「ま、まだなにか気になることが……?」


 とっくに腹を割ってすべて話したつもりだったのだろう。家森君の表情にはこれ以上一体なにを問い詰められるのかという不安の色がありありと見てとれる。

 そしてニヤリと悪どい笑みを浮かべた俺は、正面に座す彼に向かって言った。


「ああ、あるとも――俺はまだ君の口から、真昼との出会いやこれまでの話を全然聞かされていないからな」


 母さんの携帯端末に保存された画像ファイル。そこにずらりと並ぶ、彼と真昼が二人で歩んできた軌跡きせきの話を。彼はあの子とどうやって出会い、どんな関係をきずき、どうして恋に落ちたのか。それらを根掘り葉掘り聞き出すまで、解放してやるつもりはない。


「君たちは料理からすべてが始まったと言ったな? だったら俺もそれにならおう。料理と酒を通して、俺に君たちのことを教えてくれ」

「!」

「ふふ……なによそれ。要するに『お酒でも飲みながら真昼との楽しいエピソードも聞かせてほしい』ってことじゃない」


 持って回った言い方をした俺に、母さんがクスクスと笑う。し、仕方ないじゃないか、父親おれにだって体裁ていさいというものがあるんだから……。


「でもいいわ、そういうことなら私だって朝まで付き合うわよ! あなた、ビールばっかり飲んでないで部屋にある焼酎しょうちゅうとかワインも全部持ってきなさい!」

「うえぇっ!? ま、待ってくれ母さん!? 『朝まで』って、俺は明日も仕事なんだが!?」

「細かいことを気にしてるんじゃないわよ。せっかく真昼おこさまはおねむの時間なんだし、NGナシでなんでも答えてくれるわよね、ゆうくん?」

「うえぇっ!? ま、待ってください!? 別にやましいことなんてなにもないですけど、いったい何を聞くつもりなんですか!?」


 揃って情けない声を上げる男たちを無視し、ウキウキと立ち上がる我が奥様。そんな彼女の後ろ姿を見て、俺と家森君は青くなった顔を互いに見合わせるのであった。

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