第三七九食 恋人たちと最後の戦い⑧

 要するに冬夜とうや氏が真昼まひるに対してあんなことを言った理由は、恋愛にうつつを抜かして失敗した過去の自分と現在いまの娘を重ねてしまったせいだったようだ。

 たしかに冬夜氏のめいがなければ真昼はあのまま成績を落とし続けていたかもしれないわけだし、彼の判断が必ずしも間違っているとは言えない。「学歴よりもお人柄!」とうたう企業が増えているとはいえ日本はまだまだ学歴社会だし、そもそも〝勉強は出来ないけど人柄に優れた人〟と〝勉強も出来て人柄にも優れた人〟を比べるなら結局後者の方が就職活動等において有利なのは確かだろう。

 一般的に勉強という形の〝努力〟が出来ない人間は、仕事で必要な知識・技術の吸収にも支障をきたす傾向が強い。大学の就活セミナーからの受け売りに過ぎないが、理屈で考えてもその通りなのだろうなとは思う。どちらにせよ真昼のを考えるなら、今から時期からしっかり勉強に集中させることは親として当然のことなのかもしれない。


「(だけど……)」


 そこまで思案した俺の目蓋まぶたの裏に、ドアの前で泣きながら座り込む恋人の顔がフラッシュバックする。何度も俺の心を魅了したあのお日様のような笑顔を曇らせて涙を流す彼女の姿は、今でも思い出しただけで胸を締め付けられるかのようだ。小椿こつばきさんたちの尽力じんりょくがなければ、もしかしたら今日の真昼の笑顔もなかったかもしれない。

 冬夜氏が真昼の将来的な幸せを思ってあんな制約を課したのは分かる。けれど同時に、あの制約によって真昼が深く悲しみ、涙を流したことも事実だ。不確定な未来のため、あの時の彼女が傷付かなければならなかった理由はなんなのだろうか。もっと他に――現在と未来、両方の真昼を笑顔にする方法はなかったのだろうか。

 あの時は思いつかなかったし、今でもその答えは分からない。仮に今後その方法が分かったとしても、あの時彼女が流した涙が消えるわけでもない。後悔は決して先に立ってはくれないから。


 だからこそ、思ってしまうのだ。


「俺は……それが将来いつかの真昼の笑顔のためでも、目の前で泣くあの子を見過ごすような男にはなりたくないです」

「!」


 俺が言うと、グラスを傾けていた真昼父は驚いたように目を見開いた。


「……フフ、なかなか生意気なことを言うじゃあないか」

「あっ……す、すみません、別にお父さんの教育方針が間違ってるとか、そういうことが言いたいわけじゃなくて……」

「いい、みなまで言うな。……優しい男なんだな、君は」


「うちの子がなつくわけだ」と、二杯目をぐいっとあおった冬夜氏が起伏きふくの少ない声で笑う。青葉あおばばりのハイペースで飲んでいるが、大丈夫なのだろうか……それともこれが所謂いわゆる「飲まなきゃやってられねえ!」というやつなのか。


「……俺が真昼にあんな電話をしたと知った時、母さんも君と似たようなことを言ったよ」

「お母さんが、ですか?」


 俺が問うと、親父さんは「ああ」と首肯しゅこうで返す。


「『子どもだった真昼も恋を知って、ようやく大人になろうとしている』『あの子のためと言うなら今のあの子の幸せも考えてあげるべき』――現在いまの真昼に我慢をいる俺のやり方が、彼女には許せなかったらしい」


 それを聞いて少し驚かされる俺。だって昼に話した時、明さんは俺たちの関係を祝福しながらも、冬夜氏のやり方に対して否定的というふうでもなかったから。

 するとちょうどそこへ、隣の部屋に居た明さんが引き戸を開いて姿を現した。


「真昼、ぐっすり眠ってるわ。よっぽど疲れてたみたいね」

「そうか。相変わらず呑気のんきな子だなあ、自分の恋人が父親おれと対面してるって時に」

「逆よ逆。『お兄さんがいるならもう大丈夫』って思ってるのよ、あの子は。ゆうくんに全幅ぜんぷくの信頼を寄せてるから……ってあら? どうしたの夕くん、変な顔でこっち見て」


 娘同様に風呂上がりのすっぴん姿でもなんら変わらず綺麗な彼女がきょとんとした顔で聞いてくるので、俺は「あ、いえ」と若干どもりつつ答える。


「真昼のためにお母さんが怒ったって、ちょっと意外だなと思いまして……」

「私が真昼のために……? ああ、もしかして夕くんの部屋に行くな云々の時の話?」


 すると明さんは「なんで話しちゃうのよ」と言わんばかりに苦笑してから、冬夜氏の隣に腰を下ろして言った。


「私は真昼がどのくらい夕くんのことを好きなのか、この人より知っていたからね。夕くんと会えないなんてことになったらあの子がどれくらい悲しむか、おおよその予想は出来ていたのよ。第一あの子はムチよりアメのほうが効くタイプだもの。『試験で良い点とるまで夕くんと会うな』より『試験が終わったら夕くんとチューしていい』って言った方が一〇倍は勉強すると思うわ」

「なっ……!? そ、そんな乱れた条件、俺が許すわけがないだろう、母さん!?」

「(なんかそれ、わりと最近聞いた台詞せりふな気がする……)」


 つい先日、どこぞの悪魔少女が似たようなことを言っていたような言わなかったような……。真昼父が机を叩いて立ち上がる正面で俺が頬が熱くなる感覚を覚えていると、悪戯いたずらっぽくクスクスと笑っていた明さんは不意にその笑みを大人びたものへと変えた。


「それに夕くんと会えない間の真昼の姿を見ちゃったら、反対の一つもしたくなるというものよ。だってあの子、

「「……え?」」


 まるで自分の目で見たかのようなその物言いに、俺と冬夜氏が同時に顔を上げる。そして視線を浴びせられた明さんが机の上に取り出したのは、彼女のものとおぼしき一台の携帯端末だった。

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