第三七二食 恋人たちと最後の戦い①


「お兄さん? なんだか顔色が悪いですけど、大丈夫ですか?」

「う、うん、大丈夫だよ……だいじょうぶダイジョウブ」


 心配そうに問うてくる真昼まひるに、俺はぎこちなく笑いながらそう答えていた。場所は初めて訪れた彼女の生家せいか、時刻はじきに七時を回ろうかという頃。垂れ流しにされているテレビから、男性アナウンサーが夕方の情報番組のしめはいろうとしている声が聞こえてくる。


「本当に大丈夫ですか? 具合が悪いならすぐに言ってくださいね。今日はお兄さん、たくさん運転したから疲れてるだろうし、体調を崩しちゃったら大変ですから」


 台所の椅子に座った俺が顔を上げると、真昼は前屈まえかがみの姿勢でこちらを覗き込んできた。お母さんから借りた見慣れないエプロンに身を包む彼女は相変わらず心優しく、ついでになんだかいつもよりも距離が近いように感じられる。「あ、ありがとう」と言いつつ視線を逃がす俺に、同じくエプロン姿のめいさんが見透みすかしたようにウフフと笑った。


ゆうくんったら緊張してるのね。もうすぐあの人が帰ってくる時間だから」

「うっ……ま、まあ……」


 図星を突かれ、思わずうめき声を上げてしまう。俺が先ほどからソワソワと落ち着かない理由はズバリそれだった。


「大丈夫ですよ、お兄さん! お兄さんならきっとすぐにお父さんとも仲良くなれますから!」

「な、なんだその根拠のない自信……さっきのお母さんの話を聞く限り、とてもそうは思えないんだが」


 なにせこれから対面するのはまひるのことを溺愛できあいしている父親だ。相手からすれば真昼の彼氏である俺など、仲良くするどころかむしろ積極的に排除したい存在なのではなかろうか。


「(ドラマなんかじゃ定番のシーンだもんなあ、『娘さんを僕にください!』ってやつ)」


 今どきそんな古典的なやり取りが現実で起こりるのかどうかはさだかでないし、そもそも俺と真昼は結婚報告に来たわけでもない。それでも〝彼女の父親と顔合わせ〟というシチュエーションで真っ先に思い浮かぶのはその手のイメージだった。明さんは大丈夫だと言っていたが、少なくとも大歓迎とはいかないだろう。


「(だけど……逃げるわけにはいかない)」


 心中で呟き、覚悟を決める。逃げてどうにかなるような問題ではないし、そもそも逃げ出すくらいなら最初からここには来ていない。真昼父と顔を合わせるのはたしかに怖いが、しかし隣に咲く真昼の笑顔を守るためだと思えば耐えられる。あの眼鏡の高校生とも約束してしまったしな――真昼のことを絶対に幸せにする、と。


「(逃げられない戦い……魔王に挑む勇者も、もしかしたらこんな気持ちだったりするんだろうか)」


 柄にもなくファンタジックなことを考えてしまい、自嘲する。自分の恋愛と世界の命運をけた戦いをかさねようとするとは、子どもか俺は。

 するとその時、膝の上で握り固めた俺のこぶしが不意になにか温かいものにおおわれた。ハッとして見ると、いつのにかすぐ目の前にしゃがみこんでいた真昼が両手で俺の手を包み込んでいる。


「これは、お兄さん一人の戦いじゃありませんから」

「!」


 思考を読んだのかと疑ってしまうほど的確なその言葉に、俺は全身を支配していた緊張がわずかながらやわらぐのを感じた。


「……ああ、そうだな……そうだったな」

「はい」


 小さくて温かい手のひらをそっと握り返し、頷く。俺が真昼に一人で行かせたくなかったのと同じように、真昼だって俺一人にすべてかかえてほしくないのだろう。考えることは――気持ちは一緒だ。

 そして笑みをわした俺たちの耳に、階下かいかからカチャン、と鍵を回す音が聞こえてきた。誰が帰ってきたのか、などと考える必要もない。再度高まっていく緊張感を抑え込むように、俺たちは繋いだ手に力を込め合う。

 最後の戦いが、これから始まろうとしていた。

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