第三七一食 旭日冬夜と幸せを守る魔王


 うちの娘に彼氏が出来た――それを知った時、俺がまず考えたのは「どうにかしてその男を呪い殺せないか」ということだった。

 だってそうだろう。片やうちの世界一美人な嫁さんの遺伝子を受け継いだ世界一可愛い娘、対するはどこの馬の骨とも知れない野郎。どう考えても釣り合いが取れていないじゃないか。海老エビタイを釣るどころか、沖醤蝦オキアミでリヴァイアサンを釣るかのごとき暴挙である。……肩をいからせながらそんな話を同僚どうりょうに聞かせたところ「いやお前は絶対人のこと言えないから、お前も同類オキアミだから」と言われてしまった。どういう意味だ。


 そもそもうちの娘・真昼まひるはまだ高校生なのだ。恋愛なんてまだまだ早い、早すぎる。世間せけんでは高校生を題材にした恋愛作品がいくらでも転がっているようだが、真昼なんてついこの間まで幼稚園や小学校に通っていたんだぞ。俺の隣をよちよち歩きながら「きょうのごはんはなにかなあ?」などと笑っていたんだ。そんなあの子の存在に今日まで何度心を救われてきたか、もはや数えることも難しい。言ってしまえば天使。そう、真昼は俺にとって天使のような存在なのだ。

 だというのに、そんなまだ幼い我が天使の心をたぶらかそうとするクソ野郎がいる……となれば呪殺じゅさつの一度や二度くらい、試してみるのが人情にんじょうというものだろう。

 しかし修羅しゅら形相ぎょうそうで『娘の彼氏 呪う やり方』で検索をかけようとした俺の手を、記憶の中で涙を流す真昼の声が止めた。



『お兄さん、すっごく優しい人なんだ』



 あの夏の日、その男と二人きりで会うことを禁じようとした俺に、真昼は一粒のしずくを落としながらそう言った。その小さな一言に、男に対する全幅の信愛しんあいが込められていたことを今でもよく覚えている。

 分かっていた。俺と母さんの娘がひどい男にれるような子ではないことくらい、ちゃんと分かっていた。心優しいあの子が自分で選んだ男ならきっとあの子を幸せにしてくれるであろうことくらい、ちゃんと。


 だが俺は母さんのように、真昼が信じる男ならばと二人の関係を手放しに認めてやることは出来ない。人の恋路こいじを邪魔する奴は犬にわれて……とよく言うが、たとえ犬に喰われようが馬に蹴られようがゴリラにボディーブローを決められようが、俺はこの両目でその男のことを見極めるまで、娘の恋路に立ちはだかる邪魔者であり続けよう。


 親に子の恋愛へ口を出す権利などない。だがおれにはまひるの幸せを守る義務がある。真昼が目の前の幸せをこいねがい、母さんがそんなあの子の背中を押してくれるなら俺は、俺だけは真昼の今後一生を見据みすえてやらねばならない。

 一時の感情で一生えない傷を負う者だっている。俺は仕事でそんな人間をいくらでも見てきた。以前真昼は俺が見てきたものよりも自分の目で見たその男のことを信じる、と言ったが、きっと俺が見てきた者たちだって傷を負うまではそう思っていたはずなのだ。

 後悔は決して先に立たない。傷付き、気付いた頃にはいつだってもう手遅れだ。俺は真昼にそうなってほしくない。大切なあの子には、少しでも長く笑っていてほしい。


 春隣はるとなり、俺は自宅の玄関前に二本の足で立つ。

 家の前には見慣れない二輪車が停められ、中からはかすかに話し声がれ聞こえてくる。母さん、真昼、そしてその男――家森夕やもりゆうの声なのだろう。時折楽しげな笑い声が聞こえてくることから察するに、随分盛り上がっているらしい。今からここへ飛び込んでいく父親おれは、さしずめ芝居しばい敵役かたきやくといったところか。


「(なんだか魔王にでもなった気分だな……)」


 それでも娘の幸せのためならばと、俺は知らない場所になってしまったかのような自宅へと足を踏みれた。

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