第三七三食 恋人たちと最後の戦い②

 階段を上がってくる音が一つ鳴るたびに、心拍数が上がっていくかのような感覚。やがて音がみ、階段前の引き戸が開かれた先に、その人は立っていた。真昼まひるの父・旭日冬夜あさひとうや氏である。

 既にリビングに飾られている家族写真等を目にして知ってはいたが、めいさんの時とは違ってそこに真昼の面影おもかげはほとんど感じられない。一言で言えば、まったく似ていないのだ。えてものすごく失礼な表現をすれば、「よくこの人の遺伝子から真昼あの子が生まれたな」と思うくらいには似ていない。無論、絶対に口には出さないでおくが。


 そんな〝どこにでもいる普通のおじさん〟といった容姿の親父さんは、しかし流石は警察官をしているだけのことはあり、まとう雰囲気はなかなかに厳格そうな人だった。イメージ的には千歳ちとせ小椿こつばきさんに近いだろうか。いかにも真面目そうというか、自他共に厳しそうというか……今からこの人と話をするのかと思うと、真昼のおかげでほぐれた緊張が再発しそうにな――


「うおおおおッ、真昼うううううッ!」

「!?」


 唐突にぶわっ、と涙を流して絶叫した真昼父に、思考をぶった切られた俺はビクッと硬直する。


「おかえり、我がいとしの娘よッ! 帰るの遅くなってごめんなあッ、どうしても今日中に片付けなきゃならん仕事があって……! あっ、そうだ、真昼のためにケーキ買ってきたぞ! 後でみんなで食べようなッ!」

「う、うん、ただいまお父さん。ケーキもありがとう……」

「あなた、毎回毎回真昼と再会を果たす度に大騒ぎするの、そろそろめて貰えない?」


 ……前言撤回、千歳にも小椿さんにも似ていなかった。真昼のことを大事にしているのは彼女たちと共通だが、少なくともあの二人は開幕から「うおおおおッ!」なんて言わない。そして勢いのあまり真昼を若干引かせたり、明さんから本気の呆れ顔でツッコミをれられたりもしない。……でもこの自分の感情にとても素直な所には、たしかに娘とかさなる部分がある気がする。

 俺が身体から急激に力が抜けていく感覚を覚えていると、そこでようやくこちらの存在に気付いたらしい親父さんが大きく瞳を見開いた。そしてグシグシと目元をスーツの袖で拭ってから「ウォッホン」と大袈裟な咳払い。


「……君が、家森夕やもりゆうくんだね?」

「あなた、〝厳格なお父さん路線〟はもう無理だと思うわよ。あと鼻水垂れてるからチーンしなさい、チーン」

「か、母さん! 今大事なところなんだから黙っていてくれ!? というかこの年齢トシのオッサンに『チーン』はめてくれ!?」

「知らないわよ。ごめんね夕くん、ちょっとそこの机の上にあるティッシュ箱、取ってあげてもらえる?」

「えっと……ど、どれですか?」

「あ、そのお花とレースのカバーがついてるやつです、お兄さん」

「うふふ、可愛いでしょう? 実はそれ、私が手芸教室で手作りしたのよ~」

「えっ、そうだったの? それ私も知らなかったよ、てっきりお店で買ったんだとばっかり……」

「慣れれば簡単に作れちゃうのよ、これ。そうね、真昼も少しは女の子らしくなってきたことだし、今度作り方を教えてあげるわ」

「ほんと!? わーい!」

「いや緊張感!? 娘が連れてきた男と父親がいざ対面しようとしている場面でお花とレースのティッシュケースカバーの話題を広げようとするんじゃない!?」

「あ、あの……ティッシュどうぞ」

「ん? ああ、これはどうも……じゃなくて!? 君も君で気遣わしげにティッシュ箱を差し出してくるなッ! でもありがとう!」


 律儀りちぎにお礼を言ってからヂーンッ! と勢いよく鼻をかむ真昼父。二分前まで俺が勝手に張り詰めさせていた空気はどこか遠くへ飛んでいってしまったが、とりあえず鼻を垂らした中年男性に「娘さんとお付き合いさせていただいております」と自己紹介せずに済んだだけマシだと思おう。


「……改めて、私が真昼の父親、旭日冬夜だ」


 丸めたティッシュをゴミ箱に放り込んでから、真昼父が仕切り直すように言った。俺はようやく挨拶が出来ると思いつつ、気を引き締め直して頭を下げる。


「は、初めまして、家森夕と言います。今日は突然お邪魔させていただいてすみませ――」


 きゅるるるるぅ~……。

 ものすごく大切な場面で、ものすごく聞き覚えのある腹の虫の音が台所に響いた。俺と親父さんが揃って音の聞こえてきたほうを見れば案の定、真っ赤な顔をした少女が自らのおなかを両手で押さえている。


「ま、真昼サン……」

「ごごっ、ごめんなさいお兄さんっ!? い、いつもはもうごはん食べてる時間だし、さっきからずっといい匂いしてるからお腹が勝手に!?」


 あまりのグダグダっぷりに、流石にこれ以上の軌道修正は不可能だと思ったその時、真昼父が「む……?」と鼻をひくつかせた。


「言われてみれば、たしかに美味うまそうな匂いがするな……でもいつもの母さんが作る料理とはどこか違うような……?」

「当たり前よ。だって今日の夕飯を作ったのは私じゃなくて真昼と夕くんだもの」

「なに? 二人がか?」


 明さんの言葉にこちらを見やる親父さん。そんな彼に、俺は本来ならばもっと緊迫した空気の中で告げる予定だったはずの言葉をどうにか口にする。


「……お父さん。お――僕は一年前の春から、あなたの娘さんとたくさんの時間を過ごしてきました。ご存知だとは思いますが、三ヶ月前からは男女としてのお付き合いもさせていただいてます」


 一人称を変えた俺を見て真昼が「お兄さんが『僕』って言った! 激レア!」とでも言いたげに瞳を輝かせているが、それは無視スルーして続ける。


「本当は全部言葉にして伝えないといけないんでしょうけど……でも僕たち二人の関係を知ってもらうには、の方が確実だと思ったんです」

「……こっち、とは?」

「お料理」


 俺の言葉を、真剣な顔つきに戻った真昼が引き継いだ。


「私たちは料理ここから全部始まったから……このテーブルの上に並ぶものが、私とお兄さんのすべて」


 どこか大袈裟にも聞こえる言葉だ。だが真昼父はそれを笑ったりすることもなく、真面目な表情で聞いてくれていた。

 そして、少女は続けて言う。


「だからお父さん、私たちと一緒にごはんを食べよう。そうすればきっとお兄さんがどんな人なのか、分かってもらえると思うから」

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