第三五二食 JK組とコンビニ弁当②

「ねーねーひよりん、どう思うー……?」

「……」


 勉強会開始から数時間が経過し、時計の短針が頂点からやや右に傾き始めた頃、ひよりの耳元で亜紀あきがこそっとささやいてきた。それを聞いてノートの上を走らせていたペンの動きをピタリと止めたひよりは、今一度真昼まひるの部屋の様子をぐるりと見回す。


 最初に目についたのは、部屋主の勉強量を証明する学習机回りの惨状だった。各教科の教科書やノートはもちろん、数学や英語の参考書類、赤シートで消えるように暗記したい部分だけを同色のペンで記入して作ったルーズリーフ等が、机の上やその周りにどっさりと積み上げられている。

 半年前のように大量の衣類が散らかっていたりするわけではないものの、汚部屋おべやに片足を突っ込んでいると言っても差し支えのない状態だ。

 最近は料理も出来ていないのか、台所に使用した痕跡こんせきは見受けられなかった。代わりに水切り台の上にはコンビニ弁当のパッケージやスーパーの惣菜そうざいが入っていたとおぼしき容器が洗って並べられている。どうやらせっかく人並みにまで戻っていたはずの彼女の食生活は、この一週間で再び元の木阿弥もくあみになってしまったようだ。

 否、なにも食生活に限った話ではない。あの青年と出逢い、恋慕い、はぐくんできたはずのものが、今の真昼からはすっかり失われているのである。


「……大方おおかた予想通り、ね」


 目の下に小さなくまを作り、どこかうつろな瞳で机に向かい続ける親友を横目に、ひよりがため息をく。ゆうの部屋に行くことを禁じられた直後ほどではなくとも、今の真昼は心にぽっかりと大穴がいてしまっているかのようだ。

 そして欠けた部分を埋め立てんとばかりに、必要以上に勉強へ打ち込むことで自己をたもとうとする。先ほど雪穂ゆきほが馬鹿話をしていた時のように誰かが気をまぎらせてやれば普通に見えるのだが、少し目を離すとすぐにこれだ。


「(それだけ家森やもりさんと過ごす時間がこの子にとって大切だったってことなんだろうけど……でもこんなやり方じゃ逆効果だとしか思えないわ)」


 おそらく真昼は父親に課された目標点数ノルマくらい、既に余裕でクリア出来るはずなのである。「学年一位を取れ」と言われていたならライバルとなる他の生徒の頑張り次第で求められる努力量も相対的に変わってしまうが、真昼の場合は元の成績まで戻すだけ。ついこの間まで実際に出来ていたことなのだから、無理難題というほどでもない。

 本来であれば、試験までの残り期間は日々の授業をしっかりと受けていればいいくらいだろう。だがこの不器用な少女は使命感と危機意識にられているせいで上手に力を抜くことが出来ず、無意味に自分自身を追い込んでしまっていた。あるいは手を動かし続けることでしか、じわじわとき上がってくる不安から逃れられないのかもしれない。


「……真昼ひま、少し肩の力を抜いたらどう?」


 ひよりは他二人へチラリとアイコンタクトを送りつつ、止めどなく数式と格闘し続ける真昼に声を掛ける。


「不安なのは分かるけど、だからってそんなに張り詰めてたらかえって効率が悪いわ」

「そーそー。身体壊したりしたら元も子もないしー、おにーさんからも『頑張りすぎるな』って言われたんでしょー? もうちょっと気楽に気楽にー」

「そうよまひる、少しは私を見習いなさい? ほーら、こんなにサボってるでしょ?」

雪穂あんた雪穂あんたでせめて教科書くらい開きなさいよ」


 亜紀と雪穂も続けて言うが、真昼は「うん……」と生返事をするだけで手を止めようとはしない。試験まであと一〇日もあるのに今からこの調子となると、試験が始まる頃にはヘトヘトのガス欠状態になっているのではなかろうか。


「(睡眠不足に不摂生ふせっせい、生活環境の悪化……いくらこの子が能天気だからって、こんな勉強漬けの毎日だとストレスもまるだろうし……だわ)」


 そこまで考えてノートを閉じると、ひよりはおもむろにその場から立ち上がった。


「……いい時間だし、ちょっとお昼ご飯でも買ってくるよ。皆はここで勉強してて」

「え? ひよりちゃん一人に行かせるのは悪いし、それなら私も一緒に……」


 こんな時でも人の良さは変わらない真昼に内心で微笑ほほえみつつ、首を左右に振ってその申し出を辞退するひより。


「私一人で十分だよ。それに――すぐ近所に、知ってるからさ」


 そう言って部屋を後にした彼女は、二〇五号室の玄関ドアをくぐってうたたねハイツ二階の廊下へと出る。建物の構造上、外へ買い物に行くなら右手側奥の階段を下りるしかないのだが、ひよりは何を思ったのか、なぜか左手側へと足を向けた。

 無論、そのまま突き進んだところで行き止まりにぶつかる以外はなにもない――そう唯一、があることを除けば。


でしたよ――家森さん」


 インターフォンも押さずにドアの前でそう告げるとわずか数秒後、二〇六号室のドアが内側からゆっくりと押し開けられる。


「やっぱりそうか……小椿こつばきさんたちに協力してもらって正解だったな」


 そう呟きながらそこに立っていたのは、もちろんこの部屋のあるじ・家森夕だった

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