第三五四食 友人たちと朝の日没①


 近寄るだけで暗澹あんたんたる気持ちにさせられてしまうほど異様な雰囲気が場を支配していた。

 その発生源は、つい今しがた登校してきたばかりだというのに一年一組の教室中央で机に突っ伏している一人の少女。普段はそのお日様のような笑顔で老若男女ろうにゃくなんにょを問わず誰からも好かれているクラスのマスコット的存在が、今日はさながら貧乏神のごとく、ただそこにいるだけで周囲に悪影響を及ぼしていた。


「ねえ、真昼まひるちゃん、今日はいったいどうしちゃったの?」

「わ、分かんねえよ。俺が来た時にはもうああなってたし」

「もしかして具合悪いのかな? 保健室に連れてってあげた方がいいんじゃない?」

「具合が悪そうっていうより〝やつれてる〟って感じに見えるんだけど……」


 教室内の一点から半径三メートル以上の距離をおいたままヒソヒソと話す周囲のクラスメイトたち。しかし文字通り衆人環視しゅうじんかんし最中さなかにあってなお、少女――旭日真昼あさひまひるはぴくりとも動こうとしない。くしすられずに来たのか彼女の長い髪はボサボサになっており、制服もどことなく着崩れているように見える。

 生徒たちの中には中等部時代から真昼のことをよく知っている者もいたが、彼女がこれほど消沈している姿を見せたことは過去一度だけしかなかった。そしてムードメーカーが黙り込んでしまうと、ただそれだけで空気がよどんでしまうものだ。


「おはよう……って、いったいなんなのよ、この騒ぎは?」

「あ、雪穂ゆきほちゃんだ!」

「ちょうどいいところに! ねえ、なんとかしてよ!」

「え……な、なにをよ?」


 この緊迫した空気を打ち払うべく白羽しらはの矢が立ったのは、ちょうどタイミング良く――あるいは最悪のタイミングで――教室に入ってきた眼鏡少女こと冬島ふゆしま雪穂だった。日頃から真昼と仲の良い彼女は、事情を聞くなり「ははぁん?」とあごに手を当ててニヤリと笑う。


「さてはあの子、となにかあったのね?」

「あの人……って?」

「なんでもない。でもいいわ、私に任せなさい」


 ドン、とその薄い絶壁むねを叩き、なにやら自信ありげに負のオーラの中心へと向かっていく雪穂。真昼がとある男子大学生と交際していることを知る数少ない人物である彼女には、どうやら眼前で伏している少女の身に何が起きたのか、察しがついているようだ。

 その堂々たる立ち振舞いに周囲の期待が高まる中、雪穂は真昼の前の席へ横向きに腰掛け、つとめて明るい調子で言った。


「おはよ、まひる」

「雪穂ちゃん……おはよう……」


 おもてを上げた真昼の顔色は驚くほど悪い。しかしそのくらいは想定の範囲内だったのだろう、眼鏡少女はひるんだ素振そぶりも見せずに続ける。


「どうしたのよ、なんか暗いじゃんか。もしかして家森やもりさんと喧嘩でもした? あ、分かった! さてはあの人に浮気でもされたんでしょ? ぷぷーっ、それっていわゆる倦怠期けんたいきってヤツぅー?」


 これこそが雪穂が五秒で考えた奇策〝あおり〟である。とりあえずどこかの青年をけなしておけば、思考回路が単純なこの少女は「お兄さんはそんな人じゃないもんっ!?」と元気良く反論してくるだろうという判断だ。……が。


「……ただ喧嘩して会えないだけなら、どんなに良かっただろうね……」

「……え? ち、ちょっ……まひるサン!?」


 想像を遥かに超える本気ガチトーンに、自らのプレイング・ミスをさとる雪穂。どこか泣きそうな色を帯びた真昼の声を聞き、周囲からの期待の視線が途端に白いものへと変わる。

 そしてすっかり首を縮めてしまう眼鏡少女に対し、カラカラと笑い声を上げたのは友人のゆるふわ系美少女だった。


「あははー、なにやってんのさ雪穂もみんなもー」

「あ、亜紀あき……」

「まひるんの機嫌が悪い理由なんて考えるまでもなく分かることでしょー? まったく、みんなデリカシーってものがないんだからー」

「は、はあ? なによ、じゃああんたには理由が分かるっていうわけ?」


 雪穂が問うと彼女――亜紀は「決まってるじゃーん」と頷く。


「まひるんが不機嫌な理由、それはズバリせいりんぎゃあっ!?」

「違うわよ、バカアキ」


 男子の目もはばからずにとんでもないことを言おうとした亜紀の後頭部に、強烈な手刀が振り下ろされる。頭を抑えてうずくまる彼女の背後にため息混じりに立っていたのは、真の意味で真昼の良き理解者である武闘派の親友だった。

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