第三四四食 家森夕と冷たい朝食


 一夜が明けた。午前七時前に目を覚ました俺は、まだまだ冷え込む冬の空に向けて恨み言を吐きつつ台所へ向かう。

 顔を洗って歯を磨き、部屋へ戻って寝間着ねまきから着替える。毎朝のルーティンをこなした後、「ああ、そうそう」と玄関へ。施錠されている鍵のツマミをカチャリと回しておかないと、どうせあと数分もすればが元気良く入って――


「――こないんだよな、今日からはもう……」


 一人玄関の扉に話し掛け、隣室との間をへだてている壁の方を見る俺。いつもなら制服に着替えた彼女が部屋に飛び込んでくる頃合いだろうが、これからしばらくはそれもなくなる。日中と比べて静謐せいひつな朝の空気が、今日はより一層静かに感じられた。


「……早起きする意味、なくなっちまったな」


 真昼まひると朝食を共にするようになって以来、俺は彼女の通学時間にに合うようにと起床時刻を早めていた。大学一回生の時は九時から始まる講義に遅れさえしなければいいという考えだったため、日によっては八時四〇分まで寝ていることもあったのが……半年以上をかけて生活習慣が改善された結果がこれである。

 真昼との朝食のためなら、多少睡眠時間が削られたところでなにも感じない。しかし自分一人になった途端に「もう少し眠っていればよかった」と思ってしまうのだから不思議なものだ。


「朝メシは……食パンと卵だけでいいか。俺一人なら適当でいいし」


 真昼も同じメニューを食べるとなれば、ちょっとしたサラダやスープ、ハムやウインナーも用意していただろうか。食いしんぼうな彼女には、成人男性にしては燃費のいい俺と同じ量では絶対に物足りないに決まっている。それに朝から美味しそうに食事をするあの子の姿は、見ていてとても気持ちがいいから。

 ともあれトースターの中に食パンを一枚だけ放り込み、その間にフライパンを熱してスクランブルエッグを作っていく俺。もし真昼が隣にいたら「それだけじゃ足りないですよね! これも食べましょう!」と大盛りご飯がよそわれたお茶碗でも差し出して来そうだ。


「(そういや、田中たなかさんからもらった野菜、どうしようか……)」


 昨夜バイト先で貰ってきた家庭菜園産の野菜たちのことを思い出す。真昼と二人なら二、三日もあれば食べきれたであろうが……あの量を俺一人で使いきるというのはどう考えても無謀だろう。一回生の後期頃から自炊を始めた俺がほとんど野菜を買わなかった理由の半分は「一人者には多すぎるから」だった。ちなみに残り半分は「調理が面倒くさいから」である。


「(真昼も今日からは、自分の部屋で一人で料理してるんだよな……? 野菜のお裾分すそわけに行ってもいいけど……)」


 だが昨日の今日でそんなことをするのは少しばかり躊躇ためらわれる。真昼は親父さんから家森夕おれの部屋――二〇六号室への立ち入りを禁じられただけなので、外で俺と会ったりする分にはなにも問題ないだろうが……しかしそれをアリにしてしまうと、〝学年末考査に集中する〟という本来の目的を見失ってしまう気がするのだ。極端な話、俺が真昼の部屋にかようようにすればこれまでとほぼ同じ生活だって可能になってしまうのだから。


「(真昼が親父さんとの約束をきっちり果たしてくれれば、きっとまた堂々と胸を張って一緒にメシが食えるようになる……だったら)」


 真昼のことを信じて待つしかない。俺が今のあの子のためにしてやれることなんてほとんど何もないだろうが……せめて彼女の勉強の邪魔だけはしたくないんだ。


「……冷たいなあ」


 完成した朝食をもそもそとかじり、一人呟く。

 パンも玉子も出来立てなのにそう感じてしまうのは、テーブルの向こう側で笑う彼女が居ないせいだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る