第三二三食 女子高生と二人称①


「おっひる~、おっひる~、ふんふふんふふーんっ♪」


 歌種うたたね高校の昼休み。騒がしさに満ちた一年一組の教室にて、真昼まひるはニコニコと身体を揺らしながらお弁当の包みを開いていた。

 中に入っているのは至ってシンプルなピンク色の二段弁当――と、梅と鮭フレークのおにぎりが入ったアルミホイルが一つずつとカットフルーツが入ったタッパー、そしてデザート代わりのチョコチップメロンパン。ある意味通常運転な彼女が食事を始める中、それを対面で見ていた眼鏡の女子高生が半眼でぼやく。


「なんでそんだけ食べて太んないのよ、あんたは……」

「? 今なにか言った、雪穂ゆきほちゃん?」

「別に。なんか機嫌良さそうだなーって」

「あっ、分かる? えへへー」


 あっという間に前菜おにぎりを食べ終えた真昼が、指摘された通りご機嫌な様子で言った。


「実は最近、お兄さんにも同じお弁当を作って渡してるんだ。『やっと綺麗に美味しく作れるようになってきたから食べてみてくださいっ!』って」

「へえ、あれから上達したんだ? まひるってほんと頑張り屋よね。私も蒼生あおいさんに食べてもらうためなら、って頑張ろうとしたけど、結局あれっきりだわ……『早起き大変で長続きしないだろうからやめときなよ』って図星突かれたし」

「あはは、私も最初お兄さんに似たようなこと言われたかも。私はお料理大好きだし、自分のお昼ごはんのついでだからって言って納得してもらったけど」

「ふーん……で? それを食べた家森やもりさんはなんか言ってた?」

「うん! いつも残さず食べてくれるし、お弁当箱を返してもらう時に『今日も美味しかったよ、ありがとう』って! うぇへへへへぇっ!」

「笑い方よ」


 赤くなった頬を両手で押さえ、にへにへと思い出し笑いをする少女。くねくねと身をよじらせるその姿は、片想いをしていた頃よりもずっと幸せそうに映る。


「実際に片想いが叶うと急にめちゃう人もいるけどさー、まひるんはそんな心配要らなかったみたいだねー」

「そりゃ、この子は〝恋に恋する〟ってタイプでもないでしょ」


 そんな真昼の横で口々に言うのは亜紀あきとひよりだ。二人ともコンビニのパンや母親手製の弁当を食べる手が止まっているのは、幸福に満ち満ちている少女を見ているだけでお腹いっぱいになってしまったせいかもしれない。いわゆる〝ごちそうさま〟というやつだろうか。

 彼女たちは現在、近くの机を四つくっつけてそれを囲うように座っていた。椅子が二ついているのは、購買部まで昼食を買いに行くという男子二名が席を外しているためだ。


「ところで、ちょっと気になったんだけどさー」


 席が空いているのをいいことに、その内の一つに足を投げ出している亜紀が口を開く。


「まひるんって、付き合うようになってからもおにーさんなんだねー?」

「え? どういうこと?」


 聞かれた意味が分からず真昼が問い返すと、代わりに雪穂が「ああ、言われてみれば」と言葉を引き継ぐ。


「まひるって今でも家森さんのこと〝お兄さん〟って呼んでるよね、下の名前とかじゃなくて。なんでなの?」

「な、なんでと言われても……」


 改めてたずねられるとどう答えればいいか分からない。真昼にとってゆうは出会ったその日から〝お兄さん〟だったし、ごく一部の例外的なタイミングを除けばその二人称が変化することもなかったからだ。


「でもさー、〝お兄さん〟ってなーんか距離ある呼び方だよねー」

「そ、そうかなあ?」

「そうでしょー。だってそれ、おにーさんがまひるんのことを〝お嬢さん〟って呼んでるようなもんでしょー?」

「うっ……!? そう言われるとものすごく距離があるような気がしてきたかも……」

「というか普通に〝夕くん〟とか〝夕さん〟でいいっしょ。なんでえて〝お兄さん〟なのさ?」

「い、いや、だからなんでと言われても……」


 いて言えば、彼のことを〝夕くん〟と呼ぶのが恥ずかしかったから、だろうか。初めて彼のことをそう呼んだのはとある金髪女子大生と出会ったあの日だったが、それから半年以上が経過した今でもその呼称は定着に至っていない。精々、突発的に使うことがある程度だ。


「けどこれからもずっと〝お兄さん〟のままでいいわけ? たとえば将来、家森さんと結婚することになったりしたらどうすんのよ?」

「ケッコ……!?」

「実現したとしてもどれだけ先の話なのよ、それ」

「そんなの分かんないじゃん、一応家森さんもまひるももう結婚出来るトシなんだから。そんでこのままじゃあんた、子どもが出来ても夫のことを〝お兄さん〟って呼ぶ奥さんになっちゃうのよ?」

「なにその超ややこしい家庭ー」

「さ、流石にそうはならないと思うんだけど……」

「だからそんなの分かんないじゃんか。まひるあんた、もし明日家森さんから求婚されたらどうすんのさ?」

「するならせめてもう少し現実的な仮定にしときなさいよ……」

「え、『末永くよろしくお願いします』?」

真昼あんた真昼あんたで即答するな。あとそういう話じゃないから」


 ひよりのツッコミを聞き流しつつ、真昼は頭の中でうーんとうなる。自分が今さら彼の呼び方を変えられるのかははなはだ疑問だが……しかしたしかに、このままではいけないような気がした。

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