第三二二食 千歳千鶴と傍観者

千鶴ちづるちゅわーん? そろそろ五時になるし、上がっちゃっていいわよん。お疲れ様ぁん」

「……はい、お疲れっす」


 超がつくほど個性的な店長にそう言われ、レジ前に立っていた強面こわもての女は〝気をつけ〟の姿勢のままググッと器用に身体を伸ばした。

 彼女の名は千歳千鶴ちとせちづる歌種うたたね大学法学部に通う現役女子大生だ。休日の今日は朝からケーキ屋のバイトだったのだが、半日も同じ姿勢で立ちっぱなしだとあちこちの筋肉がり固まってしまう。本当は思い切り全身をほぐしたい欲求をこらえつつ、千鶴はふうと息をいた。


「(四時五七分……一応五時までは残っとくか)」


 腕時計を確認し、律儀りちぎにそんなことを考える。

 この店は個人経営ということもあり、基本的にアルバイトの給料はシフト通りの固定額だ。つまりシフト上の労働時間が八時間であれば、たとえ実働時間が七時間三〇分だったとしてもその日の給料は八時間分となる。

 しかし千鶴としては、七時間半しか働いていないのに八時間分の給料を受け取るのは気持ち悪かった。すべてはタイムカードや打刻だこくといったシステムを導入していない大雑把おおざっぱな店長のせいだとはいえ、こればかりは性格の問題である。残業代を支払わない企業が悪とされるように、働いてもいないのに報酬を得る従業員というのは如何いかがなものか。


 そんなわけで本日の予定退勤時刻である夕方五時までは――残りたった三分ではあるが――きっちり働こうと決める金髪女子大生。今は店内に客の姿もないので、ショーケースでもいておくかと千鶴が布巾ふきんを片手にカウンターから出ると、ちょうどそのタイミングで店のドアベルがカラカラと音を立てた。


「いらっしゃいま――ゲッ!?」

「すみませーん、このお店ってプリンとか置いてますかー? ……ってあれー? もしかして、〝ツンデレおねーさん〟?」

「て、テメェは……真昼まひる高校トコのクソガキ!?」


 客として現れたその人物は、千鶴があまり良い印象を抱いていないゆるふわ系女子高生――赤羽亜紀あかばねあきだった。



 ★



「そっかそっかー。まひるんと雪穂ゆきほがクリスマスにバイトしたケーキ屋ってここのことだったんだねー。どこかで見たことある制服だと思ったけど、ちょっと前に雪穂が写真を見せてくれたからかー……ぷくくっ、おねーさんにもよく似合ってたねー?」

「う、うるせェッ、あからさまにニヤニヤしながら言うなッ!? つーかテメェ、わざわざケーキ屋にプリン買いに来てンじゃねェよ!?」

「えー、いーじゃん別に。ケーキ屋さんのプリンってそれぞれ個性があって好きなんだよねー、私」


 一五分後。最後の接客業務を終えた千鶴が着替えて外へ出ると、店前のベンチで購入したばかりのプリンを食べていた亜紀がヒラヒラと手を振って出迎えた。苦手意識のある少女ゆえに最初はさっさと立ち去ることも考えた千鶴だが、年下の女の子を無視するのは流石にどうかと思い、嫌々ながらも彼女の隣に腰を下ろしている。

 そして似合っていないという自覚がある制服姿を笑われて顳顬こめかみを引くつかせていると、亜紀が「そういえばさー」とカラメルをかき混ぜつつ言った。


「おねーさんは知ってるのー? まひるんとおにーさんが付き合ってることー」

「! ……あァ、家森ヤロウから聞いた」


 新年最初の授業で顔を合わせた際、当事者の片割れから聞かされた話を思い出す。大学の同級生である家森夕やもりゆうと、去年からなにかとえんのある高等部生・旭日真昼あさひまひるがようやく交際にけた、という話を。


「驚いたよねー。大晦日までは『まだまだ時間かかりそうだなー』って思ってたのに、年が明けたらもう付き合ってたんだもんー。私なんてまひるんから電話で聞かされたから、夜なのに変な声出しちゃったよー。あははー」

「……」


 間延まのびした笑い声を上げる亜紀に、しかし千鶴は同意しなかった。

 なぜなら千鶴にとって、夕と真昼の交際は突然でこそあれど突飛とっぴなものではなかったからだ。思い出されるのはクリスマスイブの夜、偶然にも同じ場所で同じプレゼントを購入していた二人の姿。互いに知らず知らずのうち、それでもまったく同じ行動をとっている彼らを見てつい笑みがこぼれてしまったことは記憶に新しい。

 すると無言を貫く千鶴を見てどう思ったのか、ゆるふわ系少女が続ける。


「もしかしておねーさん、お気に入りのまひるんがおにーさんに取られちゃったからねてるんじゃないのー?」

「! ……フン、ンなわけねェだろ。オレァ――……いや、なんでもねェ」

「?」


 ――オレは真昼あいつが初めて告白した日からずっと、真昼あいつの恋を応援してきたンだから――

 そんな言葉を飲み込んだ千鶴は、スプーンをくわえたまま不思議そうな顔をする亜紀の隣でそっと瞳を細める。あのえない男の隣にしか咲かない、お日様のようなとびっきりの笑顔を想起そうきして。

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