第三二一食 青葉蒼生とお酒の話


 歌種うたたね大学法学部の授業や講義は、基本的に平日の一限から七限目までに割り振られている。

 一限目は午前九時から、七限目は午後八時から始まり、一時限コマあたり九〇分。つまり時間割次第では一二時間半、一日の半分以上を大学で過ごすことにもなり得るわけだ。とはいえ六・七限目はあくまで補習や振替授業のための枠であり、一般的な学生は五限目が終わる午後六時過ぎには帰宅出来るようになっているのだが――


「はあ、もう九時半かあ……なにが悲しくてこんな時間まで補習なんか受けなきゃならないのさ……」


 ――残念なことに、彼女のようなも世の中には存在していた。青葉蒼生あおばあおい。あらゆる授業において遅刻やサボりを繰り返し、本日とうとう〝一日七時限授業〟の不名誉を達成してのけたかなしきイケメン女子大生である。


「あー、ほんと疲れた……外国語学の先生、『補習生あなたたちのために何度も残業したくないから補習は一日でまとめてやります』とか言っちゃってさ……おかげでこんなに帰るのが遅くなっちゃったじゃないか」


 ブツブツと文句を言いながら、人の気配がほとんどない学部棟から外へ出る自業自得の化身けしん。もしここに友人の自炊系男子が居たならば、「本当に可哀想だよな、お前みたいな不真面目なヤツのせいで残業させられる先生が」と冷ややかな視線を投げかけてきたことだろう。


「うー、さむさむ……ゲッ、雪穂ゆきほからめっちゃメッセージ来てるじゃん」


 携帯電話のブルーライトに顔を照らされながら思わず苦笑する蒼生。補習が始まるまではゼロだった通知のベルマークが、わずか三時間の間に二〇件以上も溜まっている。放課後に暇をもて余した年下の恋人の仕業しわざだ。

 メッセージは『今日は補習の日ですよね! 頑張ってください!』という可愛らしい内容から、『蒼生さんがサボったりしなければ今日もデート出来たはずなんだから埋め合わせヨロシク』というちゃっかりした要求まで様々。上から下まで目を通し、一先ひとまず『(笑)』とだけ返信しておく。どうせ後から電話が掛かってくるなので、埋め合わせ云々についてはその時話せばいいだろう。


「(帰ったらお風呂入って、ご飯食べてお酒飲んで……そうだ、せっかくだからこないだ居酒屋バイトさきでもらった日本酒で熱燗あつかんにしよう。おつまみは……もう面倒くさいし、スルメと冷凍の枝豆えだまめでいっか)」


 普段はビールばかり飲んでいる蒼生だが、最近は日本酒の良さというのも少しだけ分かるようになってきた。特に熱燗はこの寒い季節にぴったりだ。やと比べて飲みやすいし、アルコールの抜けが良くなるので翌日にも響かない。

 薄く塩味のついた豆粒をいくつか口へ放り込み、その辺で買った安物の徳利とくりからそそいだ酒をお猪口ちょこでクイッと流し込む――喉元のどもとを過ぎていく熱が胃に落ちていく感覚を想像し、蒼生はごくりとつばを飲み込んだ。


「(熱燗はお店より家で飲んだ方が美味しく感じるから不思議だよねえ。もちろん単純に一番アツアツの状態から楽しめるっていうのもあるけど、騒がしく飲むんじゃなくてまったり楽しむものっていうかさ)」


 願わくば、よくテレビで目にするように風呂の中で飲んでみたいものだ。露天ろてんの湯船にぼんを浮かべ、辺りは一面の雪景色ゆきげしき源泉げんせん掛け流しの温泉と酒で全身を温め、肺いっぱいに吸い込んだ極寒の空気がほどよく熱と酔いをます。酒飲みなら誰もが一度は憧れるシチュエーションだろう……もっとも風呂で酒を飲むと血圧が一気に上がり、高血圧や心臓過負荷で倒れる可能性もあるため実行は出来ないが。


「(あーあ、雪穂がお酒飲める年齢としだったらもっと良かったのになあ……あ、そうだ。今度ゆう真昼まひるちゃんを誘って、四人でご飯とか食べよう。〝ダブルデート〟とかそれっぽいこと言っとけば真昼ちゃんなら乗ってくれるだろうし、真昼ちゃんさえ味方につければ夕は抵抗出来ないし)」


 友人の泣き所を容赦なく利用する算段をつけ、「にっしっし」と邪悪に笑う補習生。蒼生単品が飲みに誘ってもあの青年は首を縦に振らないので、彼がなんだかんだ言って溺愛できあいしている少女をエサに使おうというわけだ。真昼が居れば雪穂も一緒に楽しめるので、まさに一石二鳥、いや一石三鳥である。


「(夕は騒がしい飲み会は嫌がるけど、まったり飲むだけならきっと問題ないよね。むふふ、アルコールをれたら真昼ちゃんとのノロケ話とか聞き出してやるぞ~、絶対録音しないと!)」


 最高の悪戯いたずらを考え付いた少年のような表情を浮かべながら、蒼生は月光がしきる夜道をゆったり歩いて帰るのであった。

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