第三〇三食 家森夕と湯たんぽ少女①

「ふわあぁ……」


 夜一〇時を過ぎ、リビングでバラエティー番組を観ていた真昼まひるが口元を押さえながら大きな欠伸あくびをした。そして炬燵こたつの対面でそれをの当たりにし、ゆうがふっと微笑ほほえむ。


「眠そうだな、真昼」

「あふぁっ!? 見られちゃいました!? す、すみません」

「なんで謝るんだよ。明日も朝早いし、そろそろ寝ようか。俺もあちこち回って疲れたしさ」

「そうですね……でも初デート、すっごく楽しかったですよ! 聖地巡礼も出来ましたし、お兄さんのお母様ともおはなし出来ましたし!」

「そうか。まあ、安易あんいに遊園地とか行くよりも全然楽しめたかもな」

「はいっ! えへへ」


 ぽわっとお日様のような笑顔を浮かべ、炬燵布団の中で夕の足に自らのそれをくっつけてくる少女。仕返しに青年が靴下を引っこ抜いてやると、彼女は「あ、ドロボーですよ」と可愛らしく片頬を膨らませた。


「そのことなんだけどね、二人とも」


 するとそこへ、三階から階段をりてきた日菜子ひなこが声を掛けてきた。困ったように眉で八の字を描いている彼女は、手のひらを顔にえながら言う。


「実はうち、お客さん用のお布団が一式しかないのよ」

「? お客さん用なら真昼の分だけあればいいだろ? 俺は実家こっちに住んでた時のやつ使えばいいんだし」

「……ないの」

「……。……へっ?」


 ぱちぱちとまばたきしながら青年が聞き返すと、母親は〝お手上げ〟するように両手を掲げて続ける。


「だから、ないの。あんたが高三の時まで使ってた布団」

「はあ? な、なんでだよ? 下宿先むこうには持ってったりしてないはずだぞ? 実際、夏に帰省きせいした時まではあったじゃないか」

「実はあんたが夏に使った後に処分しちゃったのよ。もうだいぶヨレヨレだったし、次にあんたが帰って来た時はそれこそお客さん用のやつ使わせればいいかと思って」

「先に言えよ!? というか母さん、布団もないのに『今日は泊まっていったら?』とか言ってたの!?」

「処分しちゃってたこと、すっかり忘れてたわ……テヘッ!」

年甲斐としがいもなく可愛い子ぶって誤魔化ごまかすな!?」


 これが夏の話であれば、ソファーなり雑魚寝なりでどうとでもなっただろう。しかし季節は大寒だいかん間近まぢかに迫った冬。そんな無謀な真似をすれば、夜明けには確実に風邪を引いてしまう。

 一体どうしよう、と夕が真剣に悩みかけたその時、元凶とも言える日菜子が「まあそんなわけだから」と軽い調子で告げた。


「悪いけどあんたと真昼ちゃんは一つの布団で寝てもらえる?」

「!」

「……は?」


 しれっと放り込まれた爆弾発言に少女がガバッと顔を上げ、青年はほうけたようにあんぐりと口を開けた。そして数秒後、夕が「いやいやいやいやッ!?」とブンブン手を振りながら立ち上がる。


「なっ、なな何言ってんだ!? そんなこと出来るわけねえだろッ!」

「あら、大丈夫よ。元々お客さん用だから普通のお布団よりちょっとだけ大きいし、二人でも寝れないことはないと思うわ」

「そういうことじゃなくてッ! もっと別のドデカい問題があるだろうがッ!? ま、真昼もなんか言ってやれ!?」

「はいっ! 是非よろしくお願いしますっ!」

「いや話聞いてた!? よろしくお願いすんな、なんでそうなるんだよッ!?」


 勢いよく頭を下げた恋人にツッコミをれる夕。しかし彼女はワクワクした表情かおで「いいじゃないですか!」と反論してくる。


「二人で寝た方が絶対楽しいですよっ! それにあったかいでしょうし!」

「あ、あのなあ、意味分からずに言ってるだろ! お、おとこと同じ布団に入るんだぞ!? なにか間違いが起きたらどうすんだよ!」

「えっ……も、もしかしてお兄さん、私になにかしてくれるつもりなんですか……?」

「ししししねえよッ! ちょっと嬉しそうにモジモジすんな!?」

「あら、男のあんたが手を出さないって言うならなにも問題ないじゃないの。第一、あんたにそんな度胸どきょうがあるとも思えないけど」

「うぐっ……!? そ、それはそうかもしれないけど……」


 しかしそれだけで「はいそうですね」と同じ布団にはいることなど出来るはずがなかった。たとえ間違いが起きないにしても、女の子と密着するということ状況自体、既にかなり不味マズいだろう。もっと言うなら、夕は真昼と同じ部屋で寝ることすら一切想定していなかった。人より理性の歯止めがきやすいというだけで、夕だってもういいトシの男なのだから。


「と、とにかく駄目だ。布団は真昼が一人で使えよ、俺は炬燵で寝るから……」

「だ、ダメですよ、『炬燵おこたで寝たら風邪引くよ』ってお祖母ばあちゃんが言ってましたしっ!?」

「そうよそうよ。それに炬燵の電気代だってタダじゃないんだから、無駄遣いはやめて頂戴」

もとを正せば母さんのせいだろッ!?」


 ただでさえ二対一という形勢不利。それでも夕がどうにか無難に一晩を乗り切る手段を模索もさくしようとしたその時――彼のそでを少女の小ぶりな手がくいくいと引いた。


「お兄さんは私と一緒に寝るの、イヤなんですか……?」

「――」


 捨てられそうな仔犬を想起させるうるんだ瞳に見つめられ、青年の思考回路が完全に停止する。

 可愛い女の子って、それだけでズルい――彼が最後に思い浮かべたのはこの世の不平等をなげくかのような、そんな言葉だった。

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