第三〇四食 家森夕と湯たんぽ少女②


「よーし、真昼まひる。よく聞きなさい」

「はい? なんですか、お兄さん?」


 ほぼ押し切られる形で真昼との同衾どうきん――厳密にはこの表現は正しくない――が決まってしまったゆうは、真面目な雰囲気をかもしながら恋人の少女に語りかけた。自室に一枚だけ引かれた布団の上に腕を組んだまま胡座あぐらをかいている彼は、出しっぱなしだったドライヤーのコードを使い、なにやら今夜の寝床ねどこ二分にぶんしている。


「この国境コードよりこっち側が俺の陣地、そっち側が君の陣地だ。君が俺の陣地に踏み込むことは禁止、もちろん俺も君の陣地に踏み込むことは禁止。こうしておけばお互い安心して眠れるだ――」

「こんなの置いたままじゃ寝づらくなっちゃうので退かしますねー?」

「俺の話聞いてる!?」


 少女の手でぽーいっ、とあっさり国境コードを布団の外へ放り出されてしまったのを見て盛大なツッコミをれる青年。しかし真昼はそんなことなどお構いなしに、にへにへ笑いながら彼の腕に抱きついてくる。


「えへへー、でもまさかこんなに早くお兄さんと一緒にお泊まり出来る日が来るとは思いませんでしたっ! 今夜は語り明かしましょうね、お兄さんっ!」

「いや語り明かすな、明日から学校だから早く寝ろって言ってるだろ! というか秒で国境侵犯するんじゃないよ!?」


 夕としては万が一にも間違いが起こらないように、そして何よりも真昼が自分おとこと同じ布団で寝ることに不安を覚えて眠れなくなったりしないようにと思っての国境線ボーダーラインだったというのに。それをこの少女は警戒ひとつしていない表情を浮かべ、無防備に引っ付いてきたりして……いっそじぶんは男として見られていないのだろうか、と別の不安がき上がってくるほどだ。


「(大体母さんも母さんだろ、普通こんな状況に我が子をおちいらせるか? 俺と真昼が恋人同士じゃなかったら完全に犯罪の絵面えづらだぞ……なんなら付き合っていようが犯罪ダメなんじゃないか?)」


 そもそも今回のことは母の失態しったいなのだから、自分たちがこんな目にっているのはおかしい気がしてならない。たとえば父と母が普段使っている布団をどちらか一枚提供してくれれば、夕と真昼が同じ布団で寝る必要などなくなるではないか。代わりに両親には今夜だけ共寝ともねしてもらわねばならないが、彼らは夫婦なのだから大した問題ではないだろう――少なくともこちらよりは。


「(でも母さんにはいきなり帰ってきて飯まで作ってもらったのにそこまで要求するのは流石になあ……父さんだって残業して帰ってくるから疲れてるだろうし、せめて寝る時くらいはゆっくり休んでほしいし……)」


 なんだかんだ一日自分たちの面倒を見てくれた母と、下宿代や学費の大半を負担してくれている父。彼らの顔を思い浮かべると、夕にはどうしてもそんなワガママを言うことが出来なかった。それに「両親が使っている布団を一枚ゆずってもらった」なんて聞いたら真昼が黙っていないだろう。「泊めていただけるだけでありがたいと思うべきですっ!」とぷんすか叱られる未来しか見えない。


「(ええいっ、やめだやめだ、考えてても仕方ない! 母さんも言ってたけど、要は俺が変なことしなけりゃそれで済む話だしな、うん!)」


 自らにそう言い聞かせ、青年は両の頬をパチパチと二度叩いてカツれた。眼前で女の子座りをしている真昼がきょとんとする中、彼は天井照明の引きひもに手を掛ける。


「さあ、もうさっさと寝るぞ。何回も言うけど明日は朝早いんだからな」

「えー、なんかもったいないような……」

「よい子はもう寝る時間なんだよ。ほら、電気消すぞ」

「ぶー……あれ? 豆電球はつけたまま寝るんですか? お兄さん、いつもは真っ暗にして寝てますよね?」

「なんでそんなこと知ってんだよ……そうだけど、今日はこれでいい。完全に真っ暗にしたら真昼が怖いだろ?」

「へ? 私、雷は怖いですけど別に暗いところとかは平気ですよ?」

「そういう意味じゃなくて……まあいいや。今日は俺がそういう気分だから、これで我慢してくれ」

「???」


 こちらの気遣いをまったく理解出来ていない恋人に、夕は力なくため息を吐き出す。

 睡眠は生物にとって一番の休息のはずなのに、今日に限ってはとてつもなく疲れる夜になりそうだった。

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