第二九九食 恋人たちとハプニング(逆)

 俺と真昼まひるの一泊が決定したところで、母はよっこらしょとその場から立ち上がる。


「それじゃあお夕飯の支度したくをしなくっちゃね。今夜はご馳走ちそうよ、ご馳走」

「ご馳走って……そんな張り切らなくてもいいのに」

「何言ってんの、せっかく真昼ちゃんが来てくれてるんだからうんと美味しいもの作らないと。あんたと父さんだけなら適当に缶詰カンヅメでも食べさせておけばいいだろうけど」

「俺と父さんの扱いがもはやペット」

「あっ、それなら私にもお手伝いさせてください、お母様!」


 台所へ向かおうとする母に、瞳を輝かせながらぴしっと手をげてみせたのは真昼だ。自信満々に手伝いを申し出る女子高生を見て、母は意外そうに目を丸くする。


「あら、真昼ちゃんはお料理出来るの? あ、でもゆうのお隣に住んでるってことは一人暮らしだものね」

「はいっ! 去年まではまったく出来なかったんですけど、お兄さんが手取り足取り教えてくれたおかげで少しくらいなら作れるようになったんです! ねっ、お兄さんっ」

「お、おう、まあ……そうだな」

「夕に教わった、って……あんた人に教えられるほど料理上手だったかしら?」

「教えたっつっても本当に初歩しょほの初歩みたいなとこだけだよ。この子、最初はカレーの野菜仕込むだけでフローリングに転がってたんだからな」

「……や、やっぱり私一人でいいわ。真昼ちゃんは座って待ってて?」

「い、今はもうそんなことになりませんからっ!? 包丁もちゃんと扱えるようになりましたし!」

「そうなの? それじゃあお願いしちゃおうかな。夕、あんたは邪魔だからその間にお風呂入っちゃいなさい。もうかしてあるから」

「『邪魔だから』って……」


 しっし、とそれこそ野良猫でも払うように台所から追い出され、俺は仕方なく一階の風呂場へ向かった。二階から聞こえてくる母と真昼の楽しげな話し声が少しだけ羨ましい。とはいえ真昼と母さんが仲良くなれたという点はなによりだろう……真昼の性格を考えれば、それも当然なのかもしれないが。


「ふう……」


 脱衣所に入って服を脱ぎ、温かいシャワーを浴びる。炬燵こたつのおかげで手足の冷えこそ解消されていたものの、やはり一日中外で過ごした身体にこれはがたい。真昼はお客さんなんだから一番風呂に入れてやるべきだったのでは、と今更ながら考え至るものの――もしもそうなっていたらこちらが色々と意識させられてしまいそうなので、これで良かったのだと思い込んでおくことにする。


「(それにしても、こうして入ると実家の風呂はでかいからいいよなあ……久し振りにゆっくりかれる)」


 もちろん正しくは実家うちの風呂が特別大きいわけではなく、うたたねハイツの風呂が小さいだけだ。あの単身者用アパートの湯船はとても足を伸ばして入れる大きさではないため、相対的にこちらがものすごく広く感じる。

 それから俺は三〇分ほど風呂を堪能たんのうし、そろそろ逆上のぼせてきたので湯から身を引き抜いた。ぬるめにしたシャワーで軽く身体を流し、風呂蓋をかぶせてから脱衣所へ出――


「あ」

「……え?」


 ――たところで一瞬、ぴたりと時がまった気がした。なぜならスローモーションで流れる俺の視界に存在したのは、二階うえで料理をしているはずの恋人の姿だったから。

 ……。


「うおわあっ!? そそそそんなところでなにしてんだ真昼ッ!?」

「きゃあああああっ!? ごごごめんなさいっ、ごめんなさいっ!?」


 次の瞬間、壊れるほどの勢いでスライド式の風呂戸を閉じる俺と、その向こう側から必死に謝罪してくる真昼。心臓が爆発しそうなほどに跳ね上がり、ぶわっ、と大量の汗が全身から噴き出る。


「いや本当になにしてたんだ!? ハッ……さ、さては覗きか!?」

「ちちち違いますッ! というか『さては』ってどういう意味ですかっ!? 真昼わたしならやりかねない、みたいな言い方しないでくださいっ!」

「アルバム見てる時のヤバい表情かおを見せられた直後でこんな状況になったらそりゃそう思うわッ! 覗き目的じゃないならなにしてるんだよ!?」

「お、お母様に『洗濯したバスタオルを持っていってあげて』って頼まれて……脱衣所ここにぽんって置くだけだから声掛けなくてもいいかなって思ってたら、お兄さんがぜ、全裸で現れて……!」

「いや俺側が不審者みたいに言うんじゃないよ! ……でも事情は分かったよ。う、疑ったりしてごめんな」


 よくよく考えれば真昼がそんなことをするわけがなかったなと、俺は扉越しに頭を下げて謝った。すると真昼も向こう側でぺこぺこ頭を下げているのか、曇りガラスに映る影を揺らしながら言ってくる。


「わ、私の方こそすみませんでした。……あ、あの、安心してくださいね。湯気であんまりちゃんと見えなかったので……」

「あ、ああうん、大丈夫だよ。事故みたいなものだし、別に気にしてないから……」

「そ、それならよかったです。……それじゃあ、私は先に上に戻ってますので」

「ああ、バスタオル、ありがとう」


 真昼が脱衣所から立ち去ったのをしっかり確認してから、俺は今度こそ風呂場を出た。見れば洗面台の手前に洗濯済みのバスタオルが畳んで置いてあり、入る前に気付くべきだったと深く反省する。


「(なんか、ラブコメにありがちなハプニングだったなあ……)」


 タオルで髪をガシガシ拭きながら、俺はぼんやりと考える。


「(……いや、でも普通だろ)」


 別に何がとは言わないが。

「逆だったら良かったのに」なんて、全然まったく思ってないが。

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