第二九八食 家森夕と初めてのお泊まり


「――で、こっちが小学校に上がったばかりのころのゆうの写真」

「きゃーっ! な、なんですかこれっ!? もちもちのぷにぷにの……! き、可愛きゃわいいぃ……っ!」

「そうでしょ? この頃の夕は今と違って可愛かったのよねえ。『こわいユメをみた』って夜中に私の布団に潜り込んできたりして」

「はあぁん、とうとい……! もし小さいお兄さんがそんなこと言ってきたら私、もう思いっきり抱き締めちゃいます……!」

「(なんだこの状況……)」


 ひょんなことから真昼まひるを実家へ招待することになった俺は、心中でそう呟きながら静かに虚空こくうを見つめていた。

 現在リビングの炬燵こたつで行われているのは、うちの母親がどこかから引っ張り出してきたアルバムの品評会である。写真一枚ごとに無駄に丁寧な解説を加える母と、犯罪者一歩手前のヤバい表情かおでそれを眺める恋人……ナンダコレ。

 俺はどちらかと言えば、自分のアルバムを人に見られるのが嫌なタイプの人間だ。特にこんなふうに、目の前でキャーキャー騒ぎながら見られるなど恥辱ちじょく以外の何物でもない。


「お、おい、もういいだろ真昼。そろそろ帰らないと暗くなる前に戻れな――」

「あ、あともう少しだけっ! あともう少しだけ見させてください、お願いしますっ!」

「文化祭の時の告白より必死に懇願こんがんしてくるのやめろ」

「せめて、せめてお兄さんのアルバムを一通りすべて見終わるまで待ってくださいっ!」

「いや『せめて』って言うならもうちょっと譲歩じょうほしろよ。普通に最後まで堪能たんのうしようとすんな」


 ちなみに我が家は無駄にアルバムの冊数――大半は俺が小学校低学年くらいまでのもの――が多いので、このペースで全部見ようと思ったら日が暮れるどころか一晩過ぎて日がのぼる。安全面を考慮すると暗い道を二人乗りで帰るのはなるべくけたいし、時間的には既にギリギリなのだ。

 しかし真昼もよほど譲りたくないのか、「ぐぬぬ……」とうなりながら食い下がってくる。いつも素直すぎるほど物分かりのいい彼女がこんなワガママを言うなんて珍しい……が、こちらだって譲れない。真昼の安全以上に優先されるべきものなどあってたまるか。

 俺と少女が睨みあいを続けていると、不意に母が「だったら」と手を合わせた。


「今夜は二人とも、うちに泊まっていけばいいんじゃないかしら?」

「……は?」


 その突拍子もない提案に思わず「何言ってんだ母親こいつ」という目を向ける俺。それに対してうちの彼女さんはぱあっと表情を輝かせる。


「い、いいんですか、お母様っ!?」

「ええ、もちろん。私ももっと真昼ちゃんとおはなししてみたいし、父さんにも会わせてあげたいもの」

「わーいっ! お兄さんお兄さん、聞きましたか!? 是非お言葉に甘えましょうっ、是非に!」

「駄目に決まってるだろ。俺はもちろんだけど、真昼だって明日から学校始まるんだぞ?」

「そ、そんなあっ!?」


 がーん、と今まで見たことがないレベルで悲愴ひそうな色を浮かべる真昼。そんな少女に助け船を出したのは、やはりうちの母だった。


「それなら朝早起きして帰ればいいんじゃないかしら? そうすれば真っ暗な道を走る必要もないし、学校にも遅刻しないでしょう?」

「そりゃ理屈の上じゃそうかもしれないけど……でも真昼だって朝早くからバイク乗って帰るなんてしんどいだろ?」

「わ、私なら大丈夫です! たとえこの先にどれほどの艱難辛苦かんなんしんくが待ち受けていようとも耐え抜いてみせます! そう、お兄さんのアルバムをこの目に焼き付けるためならばっ!」

「その情熱の使い道、絶対もっと他にあると思うんだが」

「お兄さん、明日は二時限目からの日ですよね!? 私も明日は始業式だけだからいつもより朝ゆっくりだし、朝に帰っても絶対に合います! だからどうか、朝帰りをさせてください!」

「わ、分かったっ、分かったから朝帰りとか言うなっ!?」


 肩を掴まれて前後にさぶられ、結局俺は折れる形でOKを出した。半分以上仕方なくだったが、たしかに今日は日中のデートであちこち回ったために二人とも疲労が溜まっている。それならば今日は実家ここでゆっくり休み、体調を万全にしてから帰った方がいいかもしれない。


「い、いいんですかっ!? やったあっ! お兄さん、元々大好きですけど今日からもっと大好きですっ!」

「ぐえっ!? は、はいはい……まったく、現金な愛だなあ」


 勢いよく胸に飛び込んできた少女をどうにか抱きとめ、その背中を軽くポンポンと叩いてやる。最初はあれだけ動揺したハグにこれだけ冷静に対応出来るようになったのは成長のあかしか、あるいは単なる慣れか。

「ふふ、若いっていいわね」と中年親父じみたことを言いながらこちらを見てくる母の視線だけがやたらと気恥ずかしかった。

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