第二二二食 家森夕と揺れ動く気持ち②

「……高等部の文化祭の夜にさ」


 観念したように、俺はそう切り出した。改まって問われた以上、はぐらかして乗り切るのは至難しなんと分かりきっているし――なによりこれは、俺たち二人がいつか必ずぶつかる問題である。


真昼まひるは俺に……その、いろいろ打ち明けてくれただろ? 君の想いとか、考えてることとか……全部」

『は、はい』


 真昼がこくりと頷いた気配を感じた。当時のことを思い出しているのか、その声色はどこか照れたように揺れている。無理もない、あの日は本当にいろんなことがあったからな。真昼母の当然の来訪しかり、青葉あおば冬島ふゆしまさんの交際然り。そして――少女から突然の告白を受けたのだってあの夜の出来事である。


「あの日、君は俺のことを好きだって言ってくれたけど……その気持ちは今でも変わらないのか?」

『はい』


 今度は即答だった。一欠片ほどの迷いも感じさせないその答えに、次は俺の方が動揺させられる。どうにかそれをさとられないように意識的に隠しつつ、俺は「……そうか」と短く呟いた。


「あのさ、真昼……俺――」

『もしお兄さんが私になにか気を遣ってるなら、そんなのらないですよ』

「!」


 会話の先を予知したかのようにそう言われ、俺は今度こそ狼狽うろたえずにはいられなかった。


『私がお兄さんの側にいるのはお兄さんが好きだからですけど……でもだからって、そのことについてお兄さんが気を遣う必要なんてないです。もし私と一緒にいるのが嫌ならそれを我慢してほしくないですし、それに――』


 そこで一旦言葉を区切り、そして少女はハッキリと言った。


『私のことが好きじゃないのに、好きって言ってほしいわけでもないです』


 毅然きぜんとした物言い。それはあの夜、「絶対振り向かせてみせます」と言っていた彼女なりの矜持きょうじなのかもしれない。


『……お兄さんは優しいから』


 言葉を返せずにいた俺に対し、電話越しの真昼が微笑んだような気がした。


『だからきっと、今の私たちの関係について悩んでくれていたんですよね? 真昼わたしの気持ちを知っているのに何もこたえないのが不誠実なんじゃないかとか、けじめをつけるべきなんじゃないかとか……そんな感じのことを』

「うぐっ……」


 やたら鋭い少女の指摘に、思わずうめき声を上げてしまう。普段は鈍感なくせに、なんでこんな時だけ察しが良いんだこの子は……。


『でもそんなの要らないです。もちろんお兄さんが私のことを好きになってくれたらすっごく嬉しいし、逆に「真昼なんて嫌いだ」って言われちゃったらすっごく落ち込むと思いますけど……だけど私が一番イヤなのは、お兄さんが自分の気持ちに嘘をいちゃうことですから』

「……」

『だから私に気を遣わないでください。文化祭の夜からお兄さんの気持ちが変わっていないなら、私はこれからもっともっと頑張ってお兄さんを振り向かせてみせますから』

「……そうか。やっぱり強いな、君は」

『ふふ、そうですか?』


 真昼が柔らかく笑う声を聞き、俺もまた微笑を浮かべる。……本当に強い子だ。彼女の気持ちにこたえる覚悟もなければ、彼女との関係を壊す覚悟もない俺とは大違いに。


『ち、ちなみに一つお聞きしたいんですけど……お兄さん、本当に文化祭の夜から気持ちは変わってないですか?』

「ん? どういう意味だ?」

『い、いえ、その……あの日と比べてちょっとくらい、真昼わたしと付き合ってもいいかなーって気になってたりは……?』

「あー……ご、ごめん」

『あ、謝らないでください、それ一番悲しいヤツですっ!? ぐ、ぐぬぬ、流石はお兄さん、雪穂ちゃんが〝難攻不落なんこうふらく系の攻略対象ヒロイン〟とたとえていただけのことはあります……!』

「なんだその例えは」


 しかも俺が被攻略側ヒロインなのかよ。いやまあ、真昼から見ればそういうことになるのかもしれないけれども。

 通話口から聞こえてくる悔しそうな声になんとも言えない気持ちになっていた俺は、そこでふと先ほどの彼女の言葉を思い出した。


「……あのさ、真昼」

『? はい』

「さっき君は『もし私と一緒にいるのが嫌ならそれを我慢してほしくない』『「真昼なんて嫌いだ」って言われちゃったらすっごく落ち込む』って言ったけど……俺は今まで、そんな風に思ったことなんて一度もないからな。君と一緒に飯を作ったり食ったりするのは楽しいし――す、好きだよ」


 俺は照れくさい気持ちを抑え、どうにかそれだけ伝えた。今後、俺が真昼のことを恋愛対象として見られる日が来るのかは分からないが……少なくとも彼女を嫌う日が来ることはあり得ないだろう。それくらいは、自信を持って言えるから。

 とはいえ我ながら恥ずかしいことを口走った自覚はあり、俺がもう通話を切ってしまいたいという感情にさいなまれていると――数秒沈黙をたもっていた携帯電話から、少女の真剣な声が聞こえてきた。


『あのお兄さん……録音したいので、もう一回だけ「好きだよ」って言ってもらえませんか?』

「いやなんでだよ!?」

『い、いいじゃないですか!? 携帯の着信音とか目覚ましアラームに使いたいんですっ!』

こええよ!? それ聞かされた上でもう一回言ったとしたら俺馬鹿だろ!」


 文明の利器を悪用しようとする真昼の嘆願たんがんね付け、「ほら、もう寝るぞ!」と意味もなく携帯電話に背を向ける俺。しばらくの間「珍しくお兄さんがデレてくれたのに……」などとブツブツ言っていた真昼もやがて諦め、再び二人の間に静寂せいじゃくが訪れる。


『……あの、お兄さん』

「ん……? って、あれ?」


 十数秒後、少女からの呼び掛けを最後に、なんの前触まえぶれもなく通話が途切れた。台風の影響で電波障害でも起きたんだろうかと身体を起こし、携帯電話の液晶画面を覗き込んだ――その時。


「――私も、好きです」

「ッ!」


 隣室との間をへだてる薄い壁がそう言ってきたのを聞いて、俺は反射的にそちらを振り返る。しかしそれっきり、壁の向こう側にいる少女が口を開くことはなく――言い逃げされてしまったことに対する悔しさと、それ以上の気恥ずかしさが俺の顔面を簡単に発熱させる。


意趣いしゅ返しのつもりか、まったく……かみなりが怖いんじゃなかったのかよ」


 もう繋がっていない携帯電話に向けてそんな愚痴ぐちなぼし、俺はどさっと布団に倒れ込む。

 気付けば雷の音はおろか、もはや窓を叩く雨の音さえすっかり聞こえなくなっていた。

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