第二二一食 家森夕と揺れ動く気持ち①

 その後、俺たちはなんだか微妙な空気のまま、夜更よふけまでの時間を二人で過ごした……といっても真昼まひるが持ち込んだチョコレートをつまみながら、映画を二本ほどただけだが。

 あれから微妙に口数が少なくなった少女はと言えば、変わらずかみなりおびえ続けている。どうやら彼女は大きな雷鳴に限らず、遠くの方でゴロゴロ鳴っている程度のものでさえ怖いようで、最初の数回のような轟音が聞こえなくなってからも時折ときおり窓の外から響いてくる音にビクッと敏感な反応を見せていた。なるべく映画に集中するようにつとめていたのは、真昼なりの雷対処法だったのかもしれない。

 しかしながらやはり怖いものは怖いようで、途中俺がトイレに立とうとしただけでも泣きそうな顔でそでを掴まれてしまった。この子、よくこんな巨大な弱点をかかえたまま中学三年間を一人で乗り越えられたよな、本当……。


 そしてもうすぐ日も変わろうかという頃になり、ようやく真昼は自分の部屋へ戻ることを決心したのだが――


『お、お兄さん、ちゃんとそこにいますか!? 布団の場所、動かしてませんか!?』

「はいはい。ちゃんといるし、布団も動かしてないから……」


 消灯しょうとうした部屋の中、俺は枕元に置いた携帯電話に向けて苦笑混じりに応答した。電話の向こう側にいるのは言うまでもなく、隣人の女子高生である。

 いくらなんでも俺の部屋で一夜を共に過ごすわけにはいかないし、真昼もそれを言い出すほど常識知らずではない。通話これは、それでもどうにかそばに居る気分だけでも確保したかった彼女の苦肉くにくさくというわけだ。

 さらに今日は布団まで、彼女の部屋寄りの壁にぴったりとくっつけられていた。ちょうど壁を挟んだ真反対側に真昼のベッドが置かれているからだろう、通話口の声と二重になって、隣室から彼女の声が薄く聞こえてくる。


『ぜ、絶対朝までそこにいてくださいね!? 絶対ですよ!?』

「分かった分かった。というか電話まで繋いでるのに、布団の位置まで指定する意味あるのか?」

『す、少しでもお兄さんが近くに居てくれたら安心できるじゃないですか! 私を雷から守ってくれそうですし!』

「もしそんなことが出来るとしたら俺凄すぎるだろ。相手は天災てんさいだぞ」


 超人スーパーマンじゃないんだから、と思わず苦笑してしまう。信頼してくれるのは嬉しいが、「よーしお兄さん、雷からだって真昼を守ってみせるぞー!」とは言えなかった。いや、それともここは嘘でもそう言って安心させてやるのが優しさだったのだろうか。

 そんなことを考えながら布団に転がっていると、電話の向こうからゴソゴソと衣擦きぬずれの音が聞こえてきた。おそらく真昼がパジャマに着替えているのだろう。別にビデオ通話というわけでもないし、なんの問題もないのだが……妙に後ろめたい気持ちを覚えてしまうのは何故なのか。


『――よし、と……お、お兄さん、ちゃんといますか?』

「! お、おう、いるぞ。ほら、もう早く寝よう。明日からまた学校だろ?」

『はい……う、うう、雷怖い……』


 そんな少女の呟きを最後に、俺たちの会話が途切れる。もちろん互いの携帯電話が拾う呼吸や布団の音は流れてくるが、それ以外は静かなものだ。心なしか雨音あまおとも小さくなってきた気がする。

 真昼は頭の上まで布団をかぶっているのか、通話口から聞こえてくる音がやけにこもっていた。姿は見えずとも、彼女が震えながら丸くなっているところを想像すると、少しだけ微笑ほほえましい気持ちになる。本人に言ったら怒られてしまいそうだ。


『……お兄さん?』

「ん? ああ、いるぞ?」

『いえ、そうじゃなくて……その、さっきのことなんですけど……』

「さっきのこと?」


 聞き返すと、隣室の少女はややけてから続ける。


『さっきは雷でうやむやになっちゃいましたけど……私が「誰でもいいわけじゃない」って言った後、お兄さんは何を言おうとしたんですか?』

「!」


 少女の問い掛けに、俺は思わず言葉を詰まらせた。出来れば聞いてほしくなかったのだが……あの時の俺の態度は彼女から見ても不自然だったということなのだろう。

 今になってたずねてきたのは、面と向かって聞ける話ではないと察していたからか。もしかしたら、通話を繋いでほしいと言ってきた理由のいくらかはこのためだったのかもしれない。


「……」


 俺は一度、静かに目蓋まぶたを閉じ――そして暗い天井を見上げると同時に口を開いた。

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