第二一九食 質素デーと嵐の夜②

 昼食前――


「ん? 俺の部屋で勉強? 別にいいけど……でもそれで集中出来るのか?」

「はい! それに分からないところがあったらお兄さんに聞けるかなと思って!」

「学年トップクラスさんに教えられるわけないだろ……」


 昼食時――


「じゃじゃーんっ! サバ缶とマヨネーズをえて作った〝なんちゃってシーチキンマヨ〟のおにぎりですっ! どうですか、お兄さんっ!?」

「むおっ、美味うまっ!? いけるな、コレ!」

「ふっふーん! ……レシピサイトの受け売りなんですけどね」

「いつも通りじゃないか」


 午後――


「お兄さん、映画てるんですか?」

「ああ。動画サイトの初回一ヶ月無料期間、こういう時に有効活用しようと思ってさ。真昼まひるもなにか観るか?」

「わーいっ! じゃあお部屋暗くして観ましょう、映画館みたいにっ!」

「目悪くなるから駄目」


 夕方――


「はふーっ、さっぱりしましたー……ってあれ、お兄さんもお風呂入ったんですか?」

「うん、君が風呂入りに戻ってる間にな」

「お、おお……! お兄さんの湯上ゆあがり姿、げきれあ……!」

「スッと携帯のカメラ向けるのやめなさい」


 夕食時――


「んう~っ! 寒い季節に食べるおそうめんっていうのもいいですね、お兄さん! 半分こしたレトルトカレーも美味しいです!」

「そうだなあ。レトルトだからって馬鹿に出来ないもんだ……あ、もし足りなかったらまだご飯残ってるからな。おかずは味付け海苔のりしかないけど」

「じゃあ土鍋で煮て雑炊ぞうすいにしちゃいましょう! 卵はないですけど、薬味やくみのネギと海苔があればそれっぽくなりますし!」

「な、なるほど、その手もあったか……」


 そして――夕食後。


「ふんふんふふーん、ふんふふーん……あ、お兄さん、洗い物そこに置いといてくださいねー」

「ああ、ありがとう。……」

「これが終わったらさっきの映画の続きを観ましょうね! あとさっき迷った方の映画も観たいですし、お菓子でも食べながら――」

「……なあ、真昼よ?」

「はい?」


 窓の外から、朝よりも勢いを増した雨が窓を叩く音が聞こえる。

 そんな中でもニコニコしながら洗い物を進める少女の言葉を遮り、俺は今日一日中、疑問に思っていたことをとうとう口にした。


「なんか……今日はやけに長くうちに居座ってないか?」

「え?」


 俺の言葉に、少女はニコニコしたままピタリと食器をすすぐ手を止めた。しかしその数秒後には、何事もなかったかのように洗い物を再開する。


「……そうですか? そんなことないと思いますけど」

「だっていつもの君なら一緒に飯食ったあと、割とすぐに自分の部屋に戻るだろ? 昨日だってそうだったし、今までもそうだった。違うのは――今日だけだ」

「……」


 俺がそう指摘すると、少女はなにも答えずに黙々もくもくと残りの食器を濯ぐ。泡とともに流れ落ちた水道水がステンレス製のシンクを叩き、ゴボゴボと排水溝の下へ飲み込まれていく。

 窓を叩く雨音あまおとが、一際ひときわ大きくなったような気がした。


「もちろん迷惑だとか言いたいわけじゃないよ。だけど真昼、今朝からちょっとだけ様子が変だっただろ? やけに窓の外を気にしてるっていうか……映画観てる間も、何回か落ち着かないふうにしてたよな」

「……」

「どうかしたのか? なにか気になることがあるなら相談に乗るぞ? 俺なんかじゃ頼りないかもしれないけど……でも、一人でかかえ込んだりしないでくれよ」

「……お、お兄さん……」


 そこでようやく、黙りこくっていた少女が静かに視線を持ち上げた。その瞳はなにかにおびえるように小さく揺らいでいる――まるで部屋を背にして立っている俺の後方に、


「……実は、あの――」


 少女が言いづらそうになにかを伝えようとした、その時だった。

 1Kアパートの一室が前触れもなくカッ、とひらめいたかと思えば、いで一瞬ほどのもなく凄まじい轟音ごうおんが響き渡り、俺たちの鼓膜こまくをビリビリと震わせる。


「う、うおっ!?」


 慌てて振り返り、カーテンが開かれている部屋の窓の方を見る俺。その時には先ほどの閃光せんこうはもはや影も形もなく、室内にはただただ変わらぬ雨音と――ゴロゴロゴロ、という雷鳴らいめいとどろきだけが残されていた。

 そう、雷鳴。つまり、今のはただのかみなりである。


「びっくりした……すごい音と稲光いなびかりだったなあ。もしかしてどこか近くに落ちたんじゃないか……って、あれ?」


 笑いながら視線を戻すと――そこには誰も立っていなかった。


「ま……真昼……?」


 意味もなく蛇口から流れ出ていく水がちょろちょろと耳障みみざわりな音をかなでる中、動揺した俺が先ほどまでそこに立っていたはずの少女の名を呼ぶ。

 そう、ほんの数秒前までそこに立っていたはずの……そして現在、震える両手で両耳をすっぽりふさぎ、その場に小さくうずくまっている少女の名を。


「お、おお、お……おにいひゃあんっ……!」


 俺の声に反応し、耳を塞いだままの少女がこちらを見上げた。両目からはダバダバと涙があふれ出しており、顔色は真っ青に染まっている。


「え……ま、真昼サン、まさか……」


 と、俺が次の句をつむごうとしたその瞬間、またしても大きな雷の音がピシャッと鳴り響いた。それとほぼ同時に「ぎゃあああああっ!?」と色気のない叫喚きょうかんを上げた真昼の全身が面白いように跳ね飛び、反射という表現がぴったりな動きで俺の両足に勢いよく抱きついてくる。それもラブコメ表現でありがちな「きゃー、こわぁーいっ!」みたいな感じではない。えて適切に例えるならば、アメフト漫画の突撃タックルだ。

 足を取られてバランスを崩した俺はフローリングの尻餅をつき、「ぐえっ」と潰れたカエルのような声を上げた。そしてえぐえぐと嗚咽おえつを漏らしながらしがみついてくる少女を見下ろし、確信する。


「まさか……雷、怖いのか?」

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