第二一八食 質素デーと嵐の夜①


「雨、まないですね……」


 真昼まひるがぼそりと言ったのを聞いて、俺は「んー?」と台所から彼女の方へ目を向けた。見れば彼女は我が家の窓辺に張り付き、冬も間近まぢかというこの時期には珍しい土砂降どしゃぶりの大雨を一人静かに眺めている。


「季節外れの大型台風、らしいからなあ。気象きしょう予報じゃ昼からがピークで、今夜中に過ぎ去るって言ってたけど」

「今夜中……」


 俺が冷蔵庫・冷凍庫の中身チェックを再開しながらそう答えると、真昼はなんだか微妙そうなトーンで言葉を繰り返した。きもせずに窓の外を見つめ続ける少女の表情は俺からは見えないが……少しだけ様子がおかしい気がする。


「真昼? どうかしたのか?」

「い、いえ、なんでもないですよ? ほ、本当です、本当本当ほんとほんと


 なにかを誤魔化ごまかすようにそう言って、シャッとカーテンを閉めてしまう真昼。やはり見るからに怪しいが……言いたくないなら追及はすまい。


「まあいいか。それよりも――」


 俺は真昼から視線を切ると、自らの手元にある品々へ意識を戻した。そこにあるのはカップラーメンが数個、サバの缶詰めが一つ、レトルトカレーが一袋、夏に食い切れなかった賞味期限ギリギリの素麺そうめんが数束――以上。


「雨を嫌ってここ数日、買い物に行ってなかったからなあ……真昼、そっちの部屋はどうだ?」

「えっと、冷蔵庫に作り置きしてるポテトサラダと、お弁当用の味付け海苔のりと……あとはおやつのチョコレートとかお茶くらいです」

「だよな……」


 真昼の部屋でも料理が出来る環境が整ったとはいえ、食費の関係で食材はなるべく俺の部屋にまとめておくことになっている。つまり俺の部屋に食材がないなら彼女の部屋にもないのだ。

 いつもなら安売り時に買い溜めした卵や朝食用のベーコンがあるが、それらも今朝で綺麗に品切れ。水曜日から買い物に行っていなかった我が家の小さな冷蔵庫は日曜日の今日、見事にすっからかんである。

「予期せぬ霜取しもとりチャンスの到来か」などと下らないことを呟いていると、絨毯カーペットかれていないフローリングの上をとてとて歩いてきた真昼がひょっこりとこちらを見下ろした。


「これで食べ物、全部ですか?」

「ああ。さいわい米はこないだ買ったばっかりだから主食には困らないけど……肝心のめしを食えるものが全然ないんだよな」


 サバ缶一つとレトルトカレーが一袋、そして味海苔……どう考えてもこの後の昼夕二食は乗り切れまい。俺一人であればカップ麺の汁をおかずにすることはもちろん、醤油を直接ご飯に垂らして食うことさえさないだろう――なんならどちらも一回生の頃、割と頻繁ひんぱんにやっていたくらいだ。しかしそれを真昼にやらせることなど出来るはずもないし、したくない。


「仕方ない、コンビニになにか買いに――」

「ダメですよ、警報だって出てるんですから」

「そうだけど……でもコンビニなんてすぐそこだし――」

「ダメです」

「いやあの――」

「ダ、メ、で、す」

「……はい」


 ジトッとした目で人差し指を振る年下の少女に、あえなく轟沈ごうちんする情けない大学生の姿がそこにはあった。……なんだか最近、どんどんこの子にかなわなくなっている気がしてならない。

 無論、大雨警報に強風注意報――場合によっては暴風警報も発令されかねないような状況なのだから、正しいのは真昼だ。「ちょっとコンビニに」と外出し、風で飛んできたかわらが偶然脳天に直撃――なんて間抜けな死に方は俺もごめんである。


「とはいえどうしようか……これじゃ今日、ろくなもの食えないぞ」

「? これだけあれば一日くらいなんとかなりませんか?」

「そりゃそうだけど……でも昼飯カップ麺一つとかになるんだぞ? いいのか?」

「私はそれでも大丈夫ですよ? それにごはんがあるならおにぎりだって作れますし」

「あ……その手があったか」


 この子の得意料理の存在を完全に失念していた。というか醤油ぶっかけご飯は駄目だと思うのに、おにぎりになった途端に〝料理〟と認識するのだから不思議なものだ。おにぎりだって言ってしまえば〝塩ぶっかけご飯〟なのにな。


「今日くらいはおうちでゆっくり過ごしましょう。その代わり明日お買い物に行ったら私、腕によりをかけて美味しいものを作りますから!」

「はは、頼もしいなあ」


 力瘤ちからこぶを作るように細腕を曲げる少女を見上げ、俺はふっと小さく微笑む。これが半年前の彼女の言葉なら「はいはい」と軽く流していたところだが、最近はそうもいかなくなってしまった。


「……そうだな。じゃあ今日は質素しっそデーってことで」

「はい! えへへ……こういうのもたまには楽しいですね!」


 なにがそんなに嬉しいのかニコニコ笑顔でそう言った真昼に、俺はもう一度微笑を浮かべるのであった。

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