第二一七食 ランチボックスと少女の想い④

「う、ううっ……!?」


 雪穂ゆきほが涙目でキッと睨んでくるのを見て、真昼まひるゆうは揃ってサッと顔をそむける。言いたいことなど口に出されずとも分かる――「あんたら、よくも騙してくれたわねっ!?」だ。

 とはいえ今更気付いたところで時すでに遅し。蒼生あおいに目の前に立たれてしまった以上、もはや逃げ場などありはしない。


「あ……あの、蒼生さん、その……じ、実は、えっと、あの」

「うん」


 まるでロボットのようにカチコチした挙動で手足を動かして言葉を探す眼鏡少女を、蒼生は微笑みながらも笑いはせずに優しく見つめる。かすでもなくなだめるでもなく、雪穂のペースを尊重する態度だ。

 そんなイケメン女子大生のおかげで少しは安心出来たのか、一度大きく深呼吸をした少女は手の中の包みをそっと差し出す。


「こ、これ……い、色々あって、蒼生さんに食べてほしくて、作ってみたんですけど……! あっ、な、中身はお弁当で、き、今日の朝、頑張って……!」


 支離滅裂しりめつれつではあったものの、伝えたいことをどうにか言語化させた雪穂が腰を折りながら弁当を手渡した。文化祭の告白の時よりも緊張してるなあ、と、両場面を同じように外野から見ていた青年が苦笑する。その隣では真昼が「よく頑張ったよ、雪穂ちゃん……!」と瞳をうるうるさせながらハンカチを握っていた。


「――そっか。それじゃあいただくね」


 当の蒼生は終始落ち着いた態度のまま包みを受け取る。そしてそれを大事そうに片手に持ったまま、うりうりと雪穂の頭を撫で始めた。「わ、わわっ!?」と、眼鏡少女がマスク越しの顔を赤く染める。


「まったくこの子は……こんな大切なものを夕なんかにたくそうとするなんて、どういうつもりなのさ?」

「おいこら、は余計だ」

「だ、だって直接渡すのは怖かったし、自分で作ったものを食べてもらうのなんて初めてで蒼生さんのお口に合うかも分かんなかったし……そしたらちょうどいいところに家森やもりさんがいたから、使えるものは有効活用した方がいいかなって……」

「いや冬島ふゆしまさんも酷いな。俺は宅配便かなにかか」

「ふむ。まあそれはたしかにいい心掛けだけどね?」


「どこがだよ」と夕が青筋あおすじを浮かべる中、イケメン女子大生は「でもね」と動かしていた手を止めつつ言った。


「このお弁当箱には、雪穂ちゃんがたくさんの想いを詰めてくれたんだよね? そういう大切なものを他人ひと任せにするのは夕に失礼だし――なにより雪穂ちゃん、キミ自身に失礼だよ」

「!」

「それに私にも、ちゃんとお礼を言わせてほしいな」

「あ、蒼生さん……!」


 そっと自分の肩を抱き寄せた蒼生に、驚いた雪穂が真っ赤な顔のまま恋人の姿を見上げる。


「――どうもありがとう、

「~~~~~っ……!」


 名を呼び捨てられたことに感極かんきわまってしまったのか、眼鏡少女が言葉にならない声と発するとともにレンズを真っ白に曇らせた。

 夕と二人の時は普通に呼び捨てていた気もするが、どうやら雪穂本人の前ではその限りでもないらしい。とはいえ「うぇへへへ……」と不気味な笑い声を上げている眼鏡少女の姿を見る限り、徐々に慣らしていくつもりであろう蒼生の判断は間違っていないだろう。


「ふふっ。お兄さんのおかげで雪穂ちゃん、嬉しそうですね」

「おかげ、なんてほどのことじゃないよ。青葉あおばが今言った通り、第三者おれがあの弁当の中継なかつぎするっていうのは気が引けたし……それに青葉あいつの性格上、あのまま俺が持っていったりしたらギャーギャー文句言われてただろうからな」


「なんで教えてくれなかったのさあっ!?」と噛み付いてくる友人の姿を思い浮かべたのか、夕がいつものように苦笑した。そして簡単に想像出来るその光景に、真昼もまた眉尻を下げつつ瞳を細める。

 するとその時、ようやく蒼生から身を離して表情筋を整えた雪穂が「あっ、そういえば!」と声を上げた。


「まひる、あんたはもう渡せたの? !」

「え?」

「ゆ、雪穂ちゃんっ!」


 途端、それまでニコニコしていた真昼がぼふんっ、と一瞬のうちに赤面する。いっそ血流が心配になるくらいの変貌へんぼうぶりに、夕がギョッと目を見開く。


「なによあんた、私にここまでさせておいて自分はまだ渡せてないわけ? 呆れた……」

「だだ、だって!? 雪穂ちゃんのお弁当の話してる時に渡すのはおかしいかなって思って……!」

「じゃあ今渡しちゃいなよ。もう学校行かなきゃなんだから」

「あう……や、やっぱり今日はやめとこうかな、二人分くらいなら私全然食べられるし……」

「食べられんの!? い、いやいやいや……なに弱気なこと言ってんのよ、いいから渡しなさいっての!」

「ぎゃっ!?」


 調子を取り戻した眼鏡少女にバシンッ、と背中を叩かれ、悲鳴を上げた真昼はよろよろと夕の目の前に立たされる。鈍感な彼が首をかたむける一方で、イケメン女子大生が「ほほう……?」とあごさすった。


「あ……あの、お兄さん、その……じ、実は、えっと、あの」


 指と指を突き合わせつつ聞き覚えのある連続間投詞を放った真昼に「お、おう……?」と疑問符を浮かべる夕。そして少女は足下に置いていた学生鞄の前にしゃがみ込み、なにかを取り出してから改めて彼に向き直った。


「ご、ご存じの通り、まだまだ練習中なんですけど……」


 そう前置きをして、真昼がを夕の胸にそっと預ける。


「でも……い、一生懸命作り、ました」

「え……こ、これは……」

「お、お兄さんの分の、お弁当です」


 青年が受け取ったのは、三日前にも少女が緊張しながら手渡した二段弁当箱――雪穂と同じく、まだお日様ものぼっていないような時間帯から頑張って作った渾身こんしんの一作である。


「き、昨日雪穂ちゃんたちと色々試したので、せっかくならと思いまして……」

「そ、そうなのか? なんか悪いな、ありが――」

「ああああのっ!? おお、美味しく出来なかったら残してくれていいですからっ!? わ、私が晩ご飯の時に食べますしっ!」

「いや、そんなこと――」

「そそ、それじゃあ私たちは遅刻しちゃうからもう行きますねっ!? 青葉さんもさよならっ! ほ、ほら雪穂ちゃん、行くよっ!」

「ええっ!? ちょっ、あんたそんな押し付けるみたいに――ってぐえええええっ!? わ、分かった、分かったからそんなに引きずらないでっ!? あ、蒼生さんっ、またメールしてくださあああああっ――!」


 まくし立てるように言いたいことだけ言い終え、真昼は雪穂の襟首えりくびをむんずと掴み、嵐のように走り去って行ってしまった。眼鏡少女の叫喚きょうかんがぐんぐん遠ざかっていく中、取り残された大学生たちはしばらくのあいだ棒立ちとなる。

 そして数秒後――自分が受け取ったお弁当と夕の手にあるお弁当を交互に見比べていた蒼生がボソッと一言。


「……そのお弁当箱には、きっと真昼ちゃんがたくさんの想いを詰めてくれたんだろうねえ」

「う、うるせえよっ!?」

「いやあ、愛されてますなあ、夕くんは。 あ、もしかして今のラブシーンを見せつけるために私をお呼びくださったんですかな? いやはや、もう冬だっていうのに暑い暑いあだあッ!?」

「うるせえっつってんだろ! なんだそのオッサンくさい口調とその割に幼稚ようちな冷やかしは!? 大体お前にだけは言われたくねえっつの!」


 ニヤニヤしながら自分が恋人に伝えた言葉を流用してくるイケメン女子大生に蹴りを入れつつ、珍しく動揺全開の夕が腕で口元を押さえる。

 予想だにしない文字通りの不意討ちは彼に効果抜群だったようで――真昼がすぐに逃げ去ってくれてよかったと、夕は抜け切らない頬の熱をましながら心中で呟くのであった。





 その日の昼時。


「あ、このおかずとこのおかず、そっくりだね。やっぱり一緒に練習しただけあるなあ」

「……ああ」

「あはは、ゆーくんってばいつまで照れてんのさ~」

「う、うるせえ、照れてねえよ!」


 歌種うたたね大学の一教室では、爪楊枝つまようじに刺さったアスパラベーコンを頬張りながら二人の大学生が昼食をともにし。


「おーっほっほっほっ! ざまあないわね、ユズル! 昨日の今ごろ、あんたが何て言ったか覚えてる!? 『冬島、貴様はどこが女らしくなったと言うのだ』――料理の腕コ・コが、かしらねえ~ッ!」

「ぐ、ぐぬぬぬぬっ……!?」

「流石は雪穂ー、たった一回お弁当を作っただけで尋常じゃない勝ち誇り方ー」


 同附属高等学校一年一組では、恋人から送られてきた「すごく美味しかったよ」メッセージを見せつけながら高笑いする眼鏡少女に、眼鏡の少年がくやしげに歯を食い縛り。


「良かったね、真昼ひま

「えへへ……うんっ!」


 そしてそのすぐ隣で、一人の少女が親友の言葉にお日様のような満面の笑顔を浮かべる。

 少女が手にする携帯電話の画面には「今日はありがとう、ごちそうさま」という簡素かんそな一文と、綺麗に完食されたからのお弁当箱の写真が表示されていた。

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