第二一六食 ランチボックスと少女の想い③


 真昼まひるから連絡を受け、雪穂ゆきほがうたたねハイツの前にやって来たのはほぼ指定時刻通りだった。例年よりも冷え込みが早い気がする秋の空気に眼鏡を曇らせながら、彼女はこちらにへ歩いてくる。珍しくマスクをけているのは風邪かぜの予防か、はたまた弁当作りのために慣れない早起きをしたせいで化粧をする時間がなかったせいだろうか。


「おはよ、まひる。うー、今日ちょっと寒すぎない?」

「あはは、おはよう、雪穂ちゃん。私も今朝、起きるのつらかったよ。でもお日様が出てくるとちょっとはましじゃない?」

「んー、まあお弁当作ってた時間帯ときよりは……っと、家森やもりさんもおはようございまーす」

「うん、おはよう、冬島ふゆしまさん」


 文化祭以来、ゆうと雪穂がこうして顔を会わせるのは久しぶりだったりする。とはいえ互いに真昼や蒼生あおいを経由して話を聞く機会はいくらでもあったため、それほど時間がいたという感覚はなかったのだが。

 そして真昼もまじえて軽い世間話を終えたところで、雪穂が「それじゃあ……」と手にげていた包みを慎重に持ち上げる。


「これに蒼生さんのお弁当が入ってます。ぜっっっっっっっっっっ……――たいっ! 傾けたりしないでくださいねっ!?」

「お、おう……すごいアツだな……」

「当然ですよ。蒼生さんに食べてもらうんですし……味はともかく、ぐちゃぐちゃになったのなんて渡したくないです」

「別に、多少形が崩れたって美味いものは美味うまいと思うけどなあ」


 そこでチラリと視線を向けてきた夕に、真昼は頬を赤くしてわずかにうつむいた。言うまでもなく、彼が言及しているのはバイクデートの時のお弁当についてだろう。

 こんな風に言ってもらえるのは嬉しいものの、真昼からすればあれはやはり失敗作なので、少し複雑な気分である。


「だからって崩れていいってことにはならないんですって。家森さんだってどっちかって聞かれたら綺麗な弁当の方がいいでしょ?」

「まあ……ってあれ、なんかこれデジャヴだな」

「というわけで、絶対崩さずに蒼生さんに渡してください。家森さんの身の安全を犠牲にしてでもこのお弁当の安全を守るくらいの気持ちで」

「なんでそんな凄まじい覚悟で弁当配達しなきゃならないんだ……」


 そうツッコミを入れつつ、一瞬だけ雪穂の後方へ意識を向けた夕はニヤリと悪どいみを浮かべた。


「……あー、悪いけど冬島さん? 実は俺、今日ちょっと体調が良くなくってさ。大学も休もうと思ってるんだよ。だからそのお弁当、俺から青葉あおばには渡せないかなって」

「は、はあっ!? えっ、ちょっ!? それ一体どうい――」

「えええええっ!? たた、体調悪いって本当ですかお兄さんっ!? だったらこんな寒い所じゃなくてすぐにお部屋に入らないとっ!? そ、そうだっ、たしかこないだのお母さんからの仕送りに良く効くお薬が入ってましたからそれを飲んで、暖かい格好でお布団に――!?」

「いや、冬島さんはともかく、なんで真昼まで本気で信じてるんだよ……あー、違う、違うって!? 体調不良っていうのは嘘だから!」


 眼鏡少女のリアクションをさえぎるほどの勢いで夕を部屋へ引っ張っていこうとする真昼に、青年が慌ててストップをかけた。当然、それを聞いて怪訝けげんそうな顔をしたのは雪穂だ。


「嘘? 嘘なんですか?」

「あ、ああ。でも、、っていうのは本当だけどな」

「は、はあ……? だからそれがどういうことなのかって――」


 聞いてるんですけど、と続けようとしたであろう雪穂は、しかし最後まで言葉をつむぐことは出来なかった。なぜなら――


「ばあっ!」

「ひゃうんっ!?」


 直後に真後ろから突然、驚かすような声がはじけたからだ。びくんっ、と大きく肩を跳ねさせた雪穂の顔から眼鏡がずれ落ち、彼女らしからぬ可愛らしい悲鳴が口から漏れる。


「あははっ、ドッキリ大成功~! 体育祭の時は失敗したけど流石は夕、女の子を騙し通すのはお手の物だね」

「人聞きが悪すぎる言い方すんな」

「あ、あああ蒼生さんっ!? どど、どうしてここにっ!?」


 半眼の夕、そして勢いよく振り返った雪穂の視線の先に立っていたのはイケメン女子大生こと青葉蒼生だった。洒落しゃれたダウンジャケットを着こなす彼女は、悪戯いたずらに引っ掛かった友だちに向けるような表情かおで、ケラケラと愉快ゆかいそうに笑う。


「いやあ、起きたら夕から脅迫状れんらくが来ててさ。なんだろうと思って読んでみたら、これは私が来ないといけないやつだな~ってね?」


 そう言って蒼生が携帯電話を点灯させると、そこには夕から届いたメッセージが表示されていた。事情の簡単な説明の最後に、「自分で受け取りに来なかったら三回生らいねんはないと思え」という妙にリアルなおどし文句がしるされている。


「もー、ゆーくんったら心配性なんだから~。こんなこと言われなくたって、雪穂ちゃんのためなら来るに決まってるじゃんか~」

「クネクネするな、気色悪い。んなこと分かってるっつの……」

「へへ……ありがとね、夕」

「……おう」


 未だに状況が飲み込めていない様子の眼鏡少女の前で短く言葉をわし、蒼生が「さてと」と雪穂に向き直った。


「おはよう、雪穂ちゃん。なんでも、私にを作ってきてくれたんだって?」

「あ、あう……」


 夕に「絶対に崩すな」と言っていた時の威勢はどこへやら、途端に緊張して言葉を詰まらせてしまう雪穂。そんな恋人の姿を優しい瞳で見つめるイケメン女子大生は、先ほどまでとは種類の違う微笑みを浮かべた。


「――良ければそれ、直接受け取らせてもらえないかな?」

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