第一九五食 家森夕と自炊少女(?)①


 大学から戻った俺は、ヘルメットを原付のシート下に仕舞しまって「ふう」と一息ついていた。季節はまだ秋とはいえ、徒歩や自転車と比べて強く風を受けてしまうバイクに乗れば身体は冷える。また今年も極寒ごっかんの中、これでもかというほど厚着をして通学する時期が来るのかと思うと、少しだけテンションが下がった。

 さっさと部屋に戻って温かいものでも飲もうと、俺は通学用のかばんと書店のビニール袋を手に、やや早足でうたたねハイツに入る。購入してきたのはもはやお馴染なじみのレシピ本。最近はネットで調べた料理を作ることも増えたので、こちらはもはや趣味用と言ってもいいかもしれない。

 自分では――というより我が家のキッチン設備では――とても作れないようなしなでも、調理方法や工夫くふうされている部分を眺めているだけで楽しいことに気付いたのは最近だ。


「(元々が無趣味だったとはいえ、俺がここまで料理を楽しめるようになるとはな……)」


 カップ麺に白米でも「自炊」だと言い張っていた頃が懐かしい。たった半年でも人は随分変わるものなのだなあ、としみじみ実感する。それもこれも、きっかけとなったのはやはりあの隣人の少女なのだろう。


「……ん?」


 自室のある二階へ上がり、廊下へ出た俺は思わずまゆをひそめた。二階にある五つの部屋のうち、最奥から数えて二つ目のドアが半開きになっていたからだ。

 一番奥は俺の部屋なのだから、開いているその扉が誰の部屋のものかなど考えるまでもない。


「ハッ!? ま、まさか――ッ!?」


 もしやや泥棒――最悪なのは強盗ごうとう――に入られたのではないか、という嫌な考えが脳裏をよぎった瞬間、俺ははじかれたようにその場から駆け出していた。

 もちろんこれは後から考えれば杞憂きゆうもいいところだったのだが……しかし隣人の少女には家鍵の紛失や財布の落とし物など、不注意由来の危機が過去にもあった。ましてや人を疑うことを知らない彼女だ、何気ない顔をしてやって来たり強盗の被害にっていない保証がどこにあるというのか。


「ま、真昼ッ! 無事かッ!?」

「ふひゃあっ!?」


 半開きのドアを勢いよく開くのと同時、可愛らしい悲鳴が響いた。玄関のすぐそばでなにやら作業をしていたらしいこの部屋のあるじは、ビクンッ、と肩を跳ね上げると同時にこちらを振り返る。


「お、お兄さんっ!? どど、どうかしたんですか、そんなに慌て――あだあっ!?」

「!?」


 驚愕する少女のリアクションは、しかし最後まで続くことはなかった。というのも彼女は振り向いた際、たまたま足下に転がっていた紙屑かみくずを踏んづけ、その場で盛大に転倒すってんころりんしてしまったからだ。


「だ、大丈夫かっ――……あ」


 すぐに彼女を助け起こそうとした俺だったが、しかしを目撃してしまったがためにブオンッ、と体感音速超えの速度で視線をらした。やがて「あたたた……」という声とともに少女が起き上がる気配がして――そしてに気付いたらしい彼女の「はうあっ!?」という羞恥しゅうち叫喚きょうかんが狭い室内に響き渡る。


「み――っ!?」


 直後、盛大な声で問われる俺。もしもこの場に居合わせず、ただ音声だけを聞いている第三者が居たとしたら、いったいなんのことかと首をかしげていたことだろう。

 い、いや、もちろん俺にもなんのことかなんて分からない。転んだ拍子ひょうしに彼女の制服のスカートがふわりとめくれ上がり、その中からわずかに覗いた薄紫色の縞模様ストライプなど――


「……み、見テナイ、ヨ?」

「絶対嘘ですっ!? なんですかその怪しい片言カタコト!? 見ましたよねっ!? 絶対見たんですよね、その反応はっ!?」

「み、見てない見てない!? すぐ目逸らしたし、気分的にはこれっぽっちも見てない!」

「『気分的には』ってなんですか!? 理性的には見たってことですか!?」

「……え、えっと……」

「やっぱり見てるじゃないですかっ!? うわあああああ……っ! も、もうダメです、事ここに至ったからには――もはや死ぬしか」

「いやなんでだよ!? だ、大丈夫だ!? ほ、ほら、前にも掃除の時見ちゃったこともあるから……!」

「それ全然なぐさめになってないですっ!?」

「ハッ! い、言われてみれば……」


 そんな間抜けなやり取りを続けているうちに落ち着いてきたのだろう。依然いぜんとして耳まで真っ赤にしているものの、少女――真昼まひるはスカートを押さえながら立ち上がった。完全に不可抗力だったとはいえ、俺は気まずさから軽く視線を逃がしてしまう。


「ご、ごめんな、急に入ったりして……ドアが半分開いてたから、なにかあったんじゃないかと心配になってさ」

「あ、そ、そういうことだったんですか。こ、こちらこそご心配をおかけしてすみません」


 そう言って、ぺこぺこと頭を下げ合う俺たち。そして暗黙のうちに、先ほどはことにしようという空気が醸成じょうせいされていく。

 俺も一刻いっこくも早く記憶データを忘却ぼうきゃく彼方かなたへ飛ばしてしまおうと努力する……が、普段であれば講義内容などすぐに忘れるはずのポンコツ脳ミソは、こんな時に限って真昼のパ――じゃない、例の衝撃映像を克明こくめいに焼き付けていやがった。


「と、ところでどうしたんだ、コレは? やけに大きい荷物みたいだけど」


 仕方がないので無理やり話題を変えることで記憶の抹消をはかる俺。見れば真昼の部屋には巨大な段ボール箱が三つ、デデデンと鎮座ちんざましましており、不器用な少女が力任せに封を開いたせいか、周囲には大量の紙屑が散らばっていた。

 すると真昼は「あ、そうなんですよ!」と言って困ったような上目遣いでこちらを見上げてくる。


「実は……お母さんが自炊用の道具を揃えて、まとめて送ってきてくれたみたいなんです」

「……え?」


 困惑したようにそう告げた真昼に、俺もまた戸惑いの疑問符を浮かべずにはいられなかった。

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