第一九四食 旭日真昼と大人っぽさ


 その日、学校から帰った少女は、相も変わらず衣類が散乱している部屋のベッドにごろんと横になっていた。

 手の中にあるのは帰宅途中に珍しく本屋に立ち寄って購入してきた一冊の雑誌。〝意中のカレもイチコロ!? 魅惑のデート特集〟という大袈裟な見出しの通り、内容のほとんどが中高生向けの恋愛術指南しなんで構成されている。

 もちろんこの手の雑誌に書かれているような〝恋愛術〟など、あくまで話のタネとして楽しむ程度のものであり、に受けて実行に移すべきではないのだろう。しかしそんなSNS上にアップされれば世間の失笑を買うことは間違いなしであろう内容を、真面目な少女は「ふんふん……」と神妙しんみょうに頷きながら、端から端まで一文字残らず熟読していた。


「うーん……『ちょっとした可愛い仕草で男心をくすぐる』、かあ……」


 一般には〝あざとい〟と表現される行為が列挙されているページかかげながら、少女――旭日真昼あさひまひるうなり声を上げる。


「『呼び止める時に服のすそを引く』『さりげなくボディタッチをする』『無防備な寝姿を見せる』『上目遣いをする』……? な、なんかどれも難しそうだなあ……」


 ちなみにいずれも少女が過去、隣人の青年に対してしたことがある仕草ばかりなのだが……残念ながらこの天然少女がそれを自覚することはなかった。


「(千鶴ちづるさんも青葉あおばさんも、あせらず私のペースでいいって言ってくれた……でも)」


 それは「無理をしなくていい」という意味であり「努力しなくてもいい」という意味ではないと、真昼は正しく理解している。隣人の彼を――真昼じぶんのことを「まだ高校生こども」だと思っている彼をその気にさせるのは、やはり簡単ではないだろう。

 ゆえにこうして指南書――と呼ぶにはあまりにも安っぽいが――を購入してきた。しかし同時に、指南書ここに書かれていることを実践したところで、果たしてあの鈍感な彼が真昼じぶんのことを意識してくれるようになるかと問われれば、はなはだ疑問でもある。


「(そういえば、お母さんが『身嗜みだしなみには気を配りなさい』って言ってたっけ……)」


 よく周りから「あんな綺麗なお母さんがいて羨ましい」と言われる母親のことを思い出す。愛妻家あいさいかである父が「母さんは昔からお洒落しゃれで有名だったんだぞう」と鼻高々に語っていたが……そんな母を持った割に、真昼は自分の美的感覚ファッションセンスにはまったくと言っていいほど自信がない。

 元よりはなの女子高生でありながら、流行はやりのドリンクよりスーパーのお惣菜そうざいの方にき付けられるような少女。もっと言えば恋に恋するこの年頃に、お世辞にもイケメンとは言えない隣人の彼を好きになってしまうような少女だ。無論、彼女なりの趣味嗜好しゅみしこうもとづいた結果ではあるものの、センスにすぐれているかと問われれば、やはりその答えはいなであろう。


「(でも、大人っぽくなるにはそういうのが大事なんだよね……?)」


 青年が真昼じぶんのことを子どもとして見ているなら、彼に認められるくらい大人っぽく振る舞えるようになればいい。やや短絡たんらく的ではあるが、それが今後を見据みすえて少女が出した結論だった。しかしそうは言っても、現実にどのようなことをすれば大人びて見えるのかなど皆目かいもく見当もつかない。

 今、真昼の近くで大人っぽい人物と言えば、それこそ蒼生あおいや千鶴になるのだろうか。もちろん学校の先生や友人の母親もいるにはいるが、真昼が求める〝大人っぽさ〟のために彼女らを参考にするのはなにか違う気がする。やはり高校一年生の少女が目指すべきなのは、先輩や女子大生の姿であろう。


 だが、ここで真昼はさらにうなった。真昼から見れば蒼生たちは十分大人っぽい。しかしながら、では彼女たちのようになれば青年が振り向いてくれるのかと考えると、それもなにか違うような気がしたのだ。一応真昼じぶんが男前な格好をしている姿、もしくは気合いの入ったジャケット姿を想像してみたが、あまりの似合わなさに吹き出しそうになってしまう。


「(うーん、格好だけ考えても駄目なのかな……)」


 真昼から見て蒼生や千鶴のどこが大人っぽく感じるかを考えてみると、やはり思考や行動の部分が大きいように思える。さっきの雑誌ではないが、大人っぽい仕草や振る舞い、とでも言えばいいのだろうか。

 どれほど外見を見事につくろったところで、中身が子どものままでは文字通り、すぐに化けの皮ががれてしまうだろう。逆に言えば外見が年相応でも、中身が自立した人間であればおのずとまとう雰囲気ににじみ出てくるというもの。たとえば、親友ひよりなどがそうなのかもしれない。


「(大人っぽくなるためには見た目よりも中身……? でも、どうやったら中身が大人っぽくなるんだろう……?)」


 結局は堂々巡りだった。理想だけ先にあっても、そこに達するための手段を持っていなければ永遠に辿り着くことなど出来ない。


「(私もひよりちゃんみたいに剣道をやればいいのかな……? で、でもお兄さんに好きになってほしいから剣道を始めるって、ものすごく不純な気がする……)」


 まるで茶菓子を食べたいから茶道さどうを習うような……そんな動機で「一緒に剣道をやりたい!」と言い出そうものなら、あの武闘派な親友に容赦なく叩きのめされてしまいそうだ。中等部の頃に一度だけ、本気で激怒した親友ひよりの姿を目にしたことがある真昼としても、それが間違った手段であることだけは分かる。


「(もっとこう……私やお兄さんと関係があって、それでいて大人っぽくなれるようなものが……あっ)」


 少女がなにかひらめきかけたその時、ピンポーン、と部屋のインターフォンが来訪らいほう者を告げる電子音を響かせた。仰向けに寝ていた真昼の手からズルッ、と雑誌がすべり落ち、「へぶっ!?」と間抜けな悲鳴を上げる少女の顔面をインク特有のニオイが抱き締める。

 雑誌をけ、誰が来たのかと確認してみると――どうやらなにか大きな荷物が届いたようだった。


「(またお母さんから服が届いたのかなあ……? しばらくらないって言っておいたのに……)」


 既に足の踏み場もないほど散らかっている衣類に一度視線を落としてから、真昼は少し億劫おっくうな気持ちで玄関へ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る