第一九三食 家森夕と秋の空


「いやー、本当に助かったよ、ゆう! どうもありがとう!」

「本当だよ、集中してやりゃ三時間も掛からないはずの課題に四時間半も掛けやがって……」

「ウフフ、憎まれ口を叩きながらもちゃーんと最後まで付き合ってくれるゆーくんのことが、ス・キ・よっ」

「本当にキモい」


 りずに可愛子かわいこぶりっ子してくる青葉あおばを冷たくあしらいつつ、俺は長時間同じ姿勢で座っていたために固くなった身体をぐりぐりと回す。喫茶店の外、一〇月末の秋の空気はほどよい冷たさで、少しばかり疲れて熱を帯びた脳をましてくれるかのようだ。


「……なるほど、たしかにいいもんだな」

「え? 私のぶりっ子の話? お望みなら普段からあんな感じで接してあげるけど?」

「んなわけあるか」


 そっちはむしろ未来永劫えいごう封印してほしい。


「そうじゃなくて、こないだ真昼まひるが『秋の空気っていいですよね!』って言ってたんだ。その時はよく分からなかったけど……こうして意識してみると、案外いいもんだなって」

「え~、そうかなあ~? 私はやっぱり夏が好きだね! 『もうイヤだー、暑いよー……』ってなったところに流し込むキンッキンに冷えたビールの味と言ったらもうっ!」

「お前に風情ふぜいを理解出来るような神経があると期待した俺が馬鹿だった」

「というか急にそんなこと言い出してどうしたのさ? あ、もしかして真昼ちゃんに会いたくなっちゃったのかい? むふふ、順調に攻略されてますなあ、夕くん――」

「そのUSBメモリへし折ってやろうか?」

「すみませんでした」


 今日一日の頑張りがそっくりそのまま入ったフラッシュドライブを引き合いに出すと、即座にその場で九〇度のお辞儀じぎをする青葉。そんな友人を見て、俺はあからさまなため息をついてしまう。

 一度真昼の話が出てからというもの、この女はことあるごとに――しかもニヤニヤ笑いながら――真昼の話を振ってきた。「あれから真昼ちゃんとどうなの?」「このケーキとか真昼ちゃん好きそうだよね!」などといった具合である。店内に流れていたラジオの気象予報を聞いて「昼からも晴れるみたいだね。……昼といえばさあ」と無理やり少女の話題にしようとしてきた時は、割と本気で提出物レポートのデータを抹消してやりたいと思った。


「もう、夕ってば冗談通じないんだから。『可愛い女の子に好かれてラッキーだなあ』くらいに考えてればいいのに」

「アホか。そんな簡単な話じゃないだろ」

「そうかもしれないけど、キミはキミで難しく考えすぎなんだって」


 そう言って、青葉は困ったように眉尻を下げる。そのまま秋の空を見上げた彼女は、ぽつりと続ける。


「実は私さ、真昼ちゃんがキミのこと好きなんだろうなってこと、結構前から知ってたんだよね」

「!」

「まあ本人に直接聞いたわけじゃなかったし、文化祭の日に告白するとまでは思ってなかったけどさ」


 あの日は私自身、自分のことでいっぱいいっぱいだったし、と笑うように言って、イケメン女子大生は視線を俺の方に戻した。


「――あの子はきっと、キミが考えているよりもずっと家森夕キミのことを想ってるよ」


「……」

「だからどうしろってことじゃないし、私はキミたちの恋路こいじに深入りするつもりもないんだけどね。……もちろん、どうしても青葉蒼生わたしにキューピッドになってほしいってせがむなら、力になってあげてもいいよ?」

「……似合わないにもほどがあるだろ」


 最後に冗談めかしたことを言った友人に、俺は力の入っていないツッコミを入れる。


「……まさか、今日はを言うために呼び出したのかよ?」

「あはは、それこそまさか、だよ。本当に、普通に課題を手伝ってほしかっただけ。これはちょっとしたチップみたいなものさ」


 気障きざな口調とともに前髪をサラッと払う青葉にイラッとする俺。しかし約一年半に渡ってつるんできた仲から、そこにわずかな介在かいざいしていることを見抜く。……こういうところがあるから、俺はこの友人をどうしたって見離す気になれないんだ。


「――あれっ? お兄さん! それに青葉さんも!」

「!?」


 後ろから掛けられた声に振り返ると、向こうから隣人の少女・旭日あさひ真昼が駆け寄ってくる姿が見えた。な、なんての悪い……あるいは、ベストタイミングというべきなのだろうか……?


「やあ、真昼ちゃんじゃないか。亜紀あきちゃんと大学祭に行ってたんじゃなかったのかい?」

「はいっ! お昼過ぎまで二人で遊んで、それからさっきまで千鶴ちづるさんと三人でお茶しに行ってました!」

「千鶴ちゃんと? そ、そうなんだ……どういう流れでそうなったのか全然分かんないけど」


 金髪ピアスの女子大生と道でたまたま会ったのだと説明する真昼を前に奇妙な気まずさを覚える。するとそれを察知したわけではないだろうが、少女が「お兄さん?」とこちらを振り向いた。


「どうかしましたか? 一言も喋ってないような……」

「えっ? い、いやすまん、なんでもないよ」

「そうですか? ならいいんですけど」


 心配そうにじっと見上げてくる女子高生に、俺はそろーっと視線を逸らしてしまう。なんだかやたら距離が近いような気がするが、これもあの告白のせいなのだろうか――いや違う、この子が無防備なのはなにも今に始まったことではないんだった。

 そんな俺たちの様子を憎たらしい笑みとともに見守って、もとい眺めて楽しんでいた青葉は、やがて「さてと!」と分かりやすく声を上げた。


「じゃあ私はそろそろ帰るよ。夕、今日はありがとね」

「あ、ああ……ず、随分急だな?」

「んー? 、した方がいいかい?」

「分かった、分かったから黙って帰れ」


 ニヤニヤしながら俺と真昼を順番に見ることで言外に「お邪魔ですよね?」と告げてくるイケメン女に、俺は余計なことを口走らせてたまるかと手を払う。真昼も意味を理解してしまったのか、「あう……」と頬を赤く染めている。


「あ、そうそう、真昼ちゃーん?」

「は、ひゃいっ!?」


 露骨ににんまり笑って近付いてくる女子大生に、ビクーッ、と肩を跳ねさせる真昼。コイツ何を言うつもりだ、と俺は慌ててそれを制しようとして――


「――頑張って。キミのペースでいいからね?」

「……へ?」


 表情からは想定出来ないほど真面目な声でそう言って、青葉はフッと優しく微笑んだ。


「んじゃね~っ! 夕、また課題レポート出されたらその時もヨロシク~っ!」

「あ、ああ……。……ん? いや、課題は自分でやれよ……」


 最後にふざけることも忘れず、ブンブン手を振りながら去っていった青葉に、取り残された俺と真昼はなんとなくその場に立ち尽くす。

 そして彼女の背中が見えなくなった頃に、隣で少女が呟いた。


「……千鶴さんにも、同じようなこと言われました」

「え……」

「どうすればいいか……今日、ちょっとだけ分かった気がします」


 半分独白のようにこぼしてから、真昼はいつもと同じ、お日様のような笑顔で俺の顔を見上げる。


「お兄さん、冷蔵庫の中からっぽでしたよね? 帰りにスーパー寄っていきましょう!」

「お、おう……?」

「もう四時ですし、今日は月曜日だからお魚屋さんのタイムセールの日です! サンマ買いましょう、サンマっ!」

「わ、分かった、分かったから引っ張るなって」


 なんだか吹っ切れたように前を進む少女に戸惑いつつ、俺は彼女に腕を引かれるがまま追従ついじゅうする。

 秋のすずやかな空気の中、彼女の手が触れている箇所だけが、いやに熱を帯びているような気がした。

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