第一八三食 旭日真昼と初デート①

 様々な者たちの思惑がじる〝歌種祭うたたねさい〟から、およそ一週間が経過した。しばらくは文化祭準備やその余熱によってうわついていた生徒たちも落ち着きを取り戻し、教室にはいつもの授業風景が戻ってくる。

 一年生にとってのビッグイベントである〝体育祭〟と〝文化祭〟の二つが終わってしまい、冬休みまでの残り約二ヶ月間は目立ったもよおしもなく。生徒たちは「だるいー」「眠いー」と文句を言いつつ、学生としての本分ほんぶんまっとうしていた。

 そして一年一組にも似たような空気が蔓延まんえんしている中――ここに憂鬱ゆううつさなど微塵みじんも感じさせない、ゆるみきった表情を浮かべている女子生徒が一人。


「んへへへへへぇ……」

雪穂ゆきほー、その笑い方マジでキモいからやめてくんなーい?」

「うっさいわ!? 誰がキモいのよ!?」


 机に両肘りょうひじをついてニヘラニヘラと笑っていたところに友人から水を差され、眼鏡の少女――冬島ふゆしま雪穂はバンッ、と机を叩いて立ち上がった……が、すぐにふにゃっ、と頬が緩み、元のニコニコ笑顔に戻ってしまう。そんな彼女にゆるふわ系少女こと赤羽亜紀あかばねあきが困ったように眉をハの字にした。


「雪穂ってば、この一週間がずーっとニヤニヤしちゃってー……便秘べんぴでも治ったのー?」

「お前わざと言ってるだろ。ふっふーん、まあいいわ! 今の私は世界一幸せな女の子ですもの! 愚民ぐみんどものごとくらい聞き流して差し上げますわ! オーッホッホッホッ!」

「うわー……自分に恋人が出来た途端、周りを見下すタイプの人だー……」

「恋人にフラれた後、手元に誰も残らなくなるタイプね」

「冬島、お前ほんとそういうとこだと思うぞ」

「な、なによアンタら!? い、いいじゃん、今くらいひたらせてくれたって!?」


 高笑いをしたところに亜紀、ひより、りょうの三人からボコボコにされて瞬時に涙目になる雪穂。しかし最初の二日くらいは素直祝福していた友人たちも、流石に一週間もこんな調子でこられれば辟易へきえきしてしまうというものだった。


「でもまあ、好きな人と一緒になれたんだからおめでたいよな。相手も女の人っていうのは驚いたけど……」


 そう言いながら弁当を一口食べると、くすんだ金髪の男子生徒はちらりと自分の隣に座っている人物に気まずそうな視線を向けた。そこには、彫像ちょうぞうのように一点を見つめたまま動かない眼鏡の男子生徒・湯前ゆのまえゆずるが腰掛けている。


「……おいユズル。ユズル!」

「――ハッ!? な、なんだリョウ、耳元でいきなり大声を出すんじゃない」

「ユズルがぼーっとしてたからだろ……お前もいつまで落ち込んでるんだよ」

「べ、別になにも落ち込んでなどいない!」


 取りつくろうかのように弁当の包みへと手を伸ばした弦は、しかしすぐに手を止めての方に視線を吸われてしまつた。釣られたように、友人たちも自然とそちらに目を向ける。


「……」


 彼らが注視する先には、窓際の一席でぼんやりと空を眺めている女子生徒・旭日真昼あさひまひるがいた。いつもお日様のように明るいはずの彼女だが、ここしばらくはずっとあの調子である。


「え、えっと……まひる、まひるー?」

「……へっ? あ、す、すみませんっ!? ど、どこの問題ですかっ!?」

「いや、もう授業終わって昼休みなんですけど……ついでにそれ、一時限前の授業の教科書だし」


 あわあわと数学の教科書をめくる真昼に、雪穂が半眼になってツッコミを入れた。この六人組の中でも一番の優等生であるはずの彼女が文化祭以降、目を離すたびに〝心ここにらず〟状態におちいっている。その度合どあいも、日に日に増しているような気がしてならない。とはいえここに集まっている友人たちは、一応その原因にも心当たりがあるのだが――


「どしたのさー、まひるーん? もしかしてあれから、おにーさんと上手うまくいってないのー?」

「うぇっ!?」


 全員が心の中で予測していたことを直球ストレートたずねた亜紀に、真昼があからさまな動揺を示した。その隣ではひよりと雪穂が「さすがアキ、遠慮というものを知らない」「不躾ぶしつけ化身けしん」と呆れ半分、称賛半分の言葉をわしている。いずれ誰かが聞かねばならないことを率先そっせんしてやってくれたことに対する感謝の意味も含めて、ではあるが。


「おりゃおりゃー、いったいどしたんやー? おねーさんにお話ししてみぃやー?」

「あ、あははっ、くすぐったいよ亜紀ちゃんっ」


 うりうりと親父臭い手付きで真昼の細い腰を揉む亜紀に、男子二名が居心地悪そうに視線を逸らす。こういう気兼きがねのなさがこのゆるふわ系少女の欠点であり、同時に最大の長所でもあった。


「え、えっと……」


 真昼は亜紀に抱き締められるような体勢のまま、ぽつりと呟いた。


「私、その……文化祭の時、お兄さんにこ……告白、したでしょ?」

「うんうん」


 どこかから眼鏡男子が「かはっ!?」と喀血かっけつする声が聞こえてきたが、亜紀は一切気にもめずに続きをうながす。


「でも……あれから全然、その……き、距離をちぢめられてる気がしないっていうか、ガンガンいけないっていうか……」

「ああ、まひるもお兄さんもヘタレっぽいもんね」

「かはっ!?」

「各方面に対する容赦のない口撃こうげきやめろ」


 人に刺さる言葉を吐く時に限って標準口調になるゆるふわ系少女改め銃剣系少女を、雪穂が「少しはオブラートに包んで言いなさいよ」とたしなめた。しかし亜紀は「んー」と可愛らしくあごに人差し指を当ててから、ニコッと笑顔のまま口撃こうげきを続行する。


「まあ、まひるが宣言通りにガンガンいけるとか、誰も思ってなかったけどね?」

「んなっ!?」

「『この気持ちが恋かどうか分からない』なんて言っちゃってた子が突然『お兄さん私と付き合いましょう、ホラホラ!』とか言えるわけないじゃん。逆に言えると思ってたの?」

「ぐはっ!?」

「どうせ中途半端に本音で話し合ったせいでお互いに意識しちゃって、〝ちょっと手が触れ合っただけで顔をそむけあう〟みたいなベッタベタな展開になってるんじゃない? ありがち~」

「ぎゃああっ!?」

「あ、アキ、もうそれくらいにしてあげて……」


 全身を言葉のナイフで切り刻まれて机に沈む親友のことを、青い顔をしたひよりがどうにかかばい立てる。そして亜紀の予測がすべて的中クリーンヒットしたらしい真昼はといえば、「だ、だってぇ~っ!?」と情けない声を上げた。


「お兄さんのことがす、好きだって自覚できたのはいいけど、自覚したらしたで、今度はなにをどうすればいいのか分からなくなっちゃったんだもんっ!?」

「めんどくさっ。なんなの、まひるはステップを踏むごとにいちいち立ち止まらないといけない呪いにでもかかってるの? それとも精神年齢レベルが小二くらいで停滞ていたいしちゃってるの?」

「ひ、ひどいっ!? じ、じゃあ亜紀ちゃんが私の立場ならどうするの!?」

「そりゃもちろん一思いに押し倒して既成事実きせいじじつを――いだあっ!? い、痛いよひよりーん!?」

「変なこと教えようとするんじゃないわよ、バカアキ」


 保護者の武闘派女子からスパーンッ、と景気良く後頭部をはたかれた亜紀は「なにさー、男と女なんだからおかしいことは言ってないじゃんかー」などとぶつぶつ言いつつ、仕方なしとばかりに別方向の提案をした。


「まー、手っ取り早く関係を進めたいんなら、ふつーにデートしてみるのがいいんじゃない?」

「で、デート……?」


 そのいかにも〝男女感〟のある響きに、さっそく真昼の顔が赤くなる。


「お、お買い物とかならよく一緒に行ってるけど……」

「そーいう親子とか兄妹きょうだいみたいなのじゃなくて、ちゃんと〝デート〟っていう名目でっていうかー……まひるんからお誘いしてー、待ち合わせしてー、手を繋いでー、みたいなやつのことー」

「て、テヲツナグ……!?」

「いや、そんな未知の文化にれたみたいな顔されてもー」


 隣人と手を繋いで歩く自分の姿を想像したらしい真昼がぐるぐると瞳の中を回転させる中、亜紀は事態を見守っていた自称・世界一幸せな女の子に尋ねた。


「ねー、雪穂はもう蒼生あおいさんとデートしたんでしょー?」

「んー、そんなデートデートしたのはまだだけど……ちょっとしたごはんとかお出掛けくらいなら、もう何度かね」

「なっ…… つ、付き合ってまだ一週間なのに……!? そ、そんな破廉恥はれんちなことが……!?」

「まひる、アンタの中で〝デート〟ってどんなイメージになってるわけ?」


 雪穂は両目をおおうぶな友人に嘆息すると、「あ、そうだ」と思い出したように手を打った。


「こないだは高等部こっちだったけど、今度はで文化祭――っていうか学祭がくさいがあるんだってさ。私と蒼生さんも行く予定だけど、アンタも家森やもりさん誘って行ってみたら?」

「あ、あっち、って?」


 首をかくん、と横に折った真昼に、眼鏡少女はキラリとフレームを光らせながら言う。


「決まってるじゃない――歌種大学あっちよ」

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