第一七五食 家森夕と旭日真昼③

「……え?」


 ドクンとひとつ、心臓が嫌な跳ね方をして、俺の喉がかすれたような声をらした。聞き取れなかったわけでもないくせに、こんな反応しか返せない自分に苛立ちを覚える。

 しかし、そう返さずにはいられなかったのだ。目の前の少女の真剣な視線が、これは冗談やおふざけのつもりで発された言葉ではないのだと雄弁ゆうべんに物語っていたから。いい加減なことを言ってしまえば、それだけでこれまでの関係の全てが壊れてしまいかねないようなあやうさを、第六感ともいうべき部分が鋭敏えいびんに察知している。


「(あのフォークダンスのの中に一緒に入りましょうって意味――じゃ、ないんだろうな、流石に……)」


 あの〝伝説〟を題材モチーフにした演劇を観て感涙かんるいを流していた彼女が、しかも冬島ふゆしまさんが青葉あおばを連れていった直後だというのに言葉を選ばないとは思えない。もしそうだとしたら俺の反応リアクションに対して「ちっ、違いますよ!? そういうヘンな意味じゃなくてですねっ!?」と弁明してくるだろうし、そもそも「みんなで一緒に踊りましょう!」という誘いならこんな空気にはしないはずだ。


 俺が黙り込んでいる間もやはり真昼まひるの表情は動かず――だからこそ分からない。

 今日一日を振り返ってみれば、旭日明あさひめいとの邂逅かいこうや青葉たちの件など、驚くべき出来事がたくさんあった。けれど彼女自身はいつもとなにも変わらない、〝普段通りの旭日真昼〟だったはずだ。唐突に現れた母親に驚いたり、ちょっとしたことでむくれたり、演劇を号泣ごうきゅうしたり、お日様のように笑ったり――子どものようにころころ表情が変わる、いつものお隣の女子高生だったはずだ。

 今の彼女はそのいずれとも違う。月光のもと、キャンプファイヤーのあかりを背にしてこちらを見つめる真昼は別人のように大人びて見える。まるで、あの花火大会の夜の彼女と同じように。


「(……なんでだよ――なんでそんな表情かおで、そんなことを言うんだよ)」


 心臓を引き絞られるかのような感覚。どうして彼女が突然こんなことを言い出したのかが理解出来ず、胸中きょうちゅうを不安が支配する。

 しかしその時、俺の頭に一つの可能性が浮上した。

 ――が。


『実は文化祭が終わったあと、後夜祭もあるんですけど、良かったらそっちの方にも来てもらえたらなって思いまして……』


 真昼からこの文化祭に誘われた時、そう言われたことを思い出す。当時は単に、夜遅くまで学校に残るから帰り道の付き添い役を兼ねてのことだろうと思っていたが……真昼は最初から例の〝伝説〟のことを知っていて、あの時から今この瞬間、俺を誘おうと考えていたのではないか?


「(い、いや……いや、あり得るわけないだろ、そんなこと)」


 大切な隣人を相手に妙な勘繰りをする自分自身に対して強烈な嫌悪感を覚える。真昼が実は俺のことを……なんて安い展開があってたまるか。彼女のような可愛い女の子からかれる理由など、ただの一つも思い当たらない。むしろ文化祭に誘われた日、俺は朝から彼女を怒らせてしまったくらいだ。嫌われる理由を探す方がよほど簡単だろう。


「(あれ……そういえばあの日の朝、なんで真昼は怒っていたんだっけ……?)」


 記憶している限り、詳しい原因を彼女は話してくれなかった。「私のワガママでごめんなさい」と謝られたことは覚えているのだが、なにがどうワガママだったのかはさっぱり分からないままである。


「(あの日は真昼の好きなサンドイッチを作ってて……ああ、そうだ、たしか真昼の気になってる男の話になったんだっけ。そしたら急に真昼の様子がおかしくなって……)」


 夏の終わりぎわに結構な熱を出して倒れたこともあり、それが遅れてり返したのではないかと俺が心配していると――真昼が突然爆発するように叫んだのだ。


『そ――そういうところがズルいんですようわあああああんっ!? ど、どうせ気付いてくれないならいっそ冷たくしてくれればいいのにっ!? そっ、そんなに優しくされたら余計に私ばっかりっ……!』


 ――「どうせ気づいてくれないなら」。

 ――「私ばっかり」。


 俺が真昼の〝〟に気付けていないかのような口振りだった。それでは、その〝〟というのは――


「――お兄さん?」

「! あ、ああ、ごめん」


 黙ったままなにも答えない俺のことを、真昼がわずかに不安のにじんだ顔で覗き込んでくる。……もうこれ以上、思考するだけの猶予ゆうよは許されないようだ。


「え、えっと……真昼、俺は――」

「はあっ!? な、なんで蒼生あおいさんは入っちゃダメなんですか!?」

「!?」

「!」


 突如、俺の言葉を遮るかのように飛んできたのは、なにやらキャンプファイヤーの近くで教師らしき女性に食いかかっている冬島さんの声だった。


「別にいいじゃないですか、蒼生あおいさんと踊ったって!? いったいなにがダメなんですか!?」

「だから、この学校の関係者以外はるだけっていう決まりになってるのよ。昔、他所よその学生が部外者だからって火の回りで大騒ぎして、結構な問題になったことがあってね」

「そんなの昔のことじゃん! 私と蒼生さんがそんなバカみたいな大騒ぎをするような人間に見えるんですか!?」

「ま、まあまあ落ち着いて、雪穂ゆきほちゃん。現在進行形で大騒ぎしちゃってるから……」


「……な、なんか部外者おれたちは入ってっちゃ駄目みたいだな、ハハ……」


 青葉が「ムキーッ!」と両手を振り上げてわめいている冬島さんのことをなだめているのを見ながら、俺は半分救われたような思いで苦笑してみせる。


「そういう規則ならどうしようもないし……それにどっちにしても俺、ダンスなんかロクに踊れないしな。真昼に恥かかせるわけにもいかないから、ダンスの誘いは受けられない……かな」


 我ながらていのいい言い訳をしていると思い、語尾が小さくなっていく。けれど、おそらくはこれが最適解だろう。

 真昼は核心的なことはなにも言っていない。ただ「一緒に踊ろう」と口にしただけ。

 だから、今ならまだ間に合うはずだ――今ならまだ、〝〟のままでいられるはずなんだ。


「――わかりました。……本当は、自分の気持ちがちゃんとだって確かめてから、伝えたかったんですけど」


 願いもむなしく、真昼が覚悟を決めたような表情かおで俺のことを見る。


「だけどもうこれ以上、逃げるのは嫌なんです。私は今日、自分の気持ちをはっきりさせるためにここに来たんだから」


 その頬は信じられないほど真っ赤に染まっているのに――真昼の声はどこまでも平静なままだった。

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