第一六六食 冬島雪穂と本当の恋②

 満面の笑みで宣言した雪穂ゆきほに、まず疑問を飛ばしたのはりょうゆずるであった。


「アオイさん……って、誰だ? そういや、なんか前からちょくちょく冬島おまえの話に出てくると思ってたけど」

「先輩かなにかか? 部活も委員会にも所属していないなまけ者の貴様に、そんな縦のコネクションがあるとは思えんが」

「ふっふーん、違うわよ」


 さりげなく悪口をぜてくる弦に対し、いつもなら脊髄反射せきずいはんしゃで噛み付くであろう雪穂は、今日に限っては得意気に胸を張るだけだ。


蒼生あおいさんはちょ~~~~~――……格好いい大学生よ! 真昼まひるの〝お兄さん〟のお友だちなんだけどね!」

「またあの男か……」


 いまだ言葉をわしたこともないのに敵意ばかりが膨らんでいる例の青年の友人と聞き、露骨に嫌そうな顔をしたのはもちろん弦である。彼はフンと鼻を鳴らしてから、眼鏡のブリッジを中指の腹で押し上げた。


「あの男の友人ということは、つまるところロクデナシではないか。どうせそのアオイとやらも女誑おんなたらしの軟派男なんぱおとこなのだろう?」

「はあッ!? アンタふざけんじゃないわよ! 家森やもりさんはどうでもいいけど、私の前で蒼生さんのことを悪く言うなら承知しないからねッ!?」

「そこはおにーさんのこともかばってあげようよー……」


 雪穂の言葉に、驚愕で言葉を失っていた亜紀あきが力なくツッコミを入れる。


「というか雪穂……今の話ってマジなのー? 蒼生さんと付き合うことになった、とかって……」

「ふふーん、大マジだっての! ごめんねアキ、私の方が先に歳上のイケメンと付き合うことになっちゃって!」

「いや、それはいいんだけどー……えぇ……?」


 びつつも愉快そうに笑う雪穂だったが、対するゆるふわ系少女は普段滅多に見せないような困惑の表情を浮かべるだけだ。そしてそれは、彼女のすぐ隣に立つひよりも同様である。なにせ、彼女たち二人は知っているのだ――青葉あおば蒼生というイケメン大学生が、という真実を。


 無論、現代において同性愛それ自体は忌避きひされるべきものではなくなっている。むしろ男性同士・女性同士の交際に対して否定的な人間の方が「古臭い考え」だと白い目で見られる社会だ。

 けれど同時に、同性愛者の絶対数が決して多くはないということもまた事実。理解者の多い社会になっても、やはり一般的には男性は女性を・女性は男性を好きになるのが〝普通〟であり、それは生物学上仕方のないことなのである。本来、自然界を生きるものたちにとっては、しゅを残すことこそが最優先の課題なのだから。


 だからといって、雪穂が女性と付き合うことになっても否定するつもりなど毛頭もうとうない。他でもない雪穂が――友人が望んだ結果なら、亜紀もひよりも、一人の友として彼女の幸せを祝福したいただろう。

 だが今回ばかりはそうもいかない。雪穂は蒼生のことを〝男性〟として好きになり、そしてその誤解が解消されぬままと付き合おうとしているのだから。

 これまでは真実を知りつつも、第三者の立場から口出しをすることは避けてきた。ゆうが以前「青葉あいつの自業自得なんだから、青葉あいつが自分で解決するべき問題」だと厳しいことを言っていたが、ひよりもその通りだと思う。しかし、ことここに至ってはそんなことは言っていられなかった。


「……あ、あのさ、雪穂?」

「んー?」


 幸せ絶頂の笑顔とともに雪穂が振り向く。この笑顔を曇らせるようなことを言うのは心苦しいが……このまま放っておけば、雪穂はさらに大きな傷を負うことになるだろう。真実を知る者として、流石にそれを黙って見過ごすわけにはいかない。

 ひよりは亜紀と頷き合うとゴクリと唾を飲み、「実はね……」と重々しく切り出した。


「そ、その……青葉さんって実は――」

「あっ、そうそう聞いて聞いて! さっき本人から聞いたんだけどさ、蒼生さんって本当は女の子だったんだって!」

「……。……へっ?」


 自分でも間抜けな声だと思いつつ、ひよりは自然と口からこぼれた疑問符を飲み込むことが出来なかった。

 一体どういうことだろうか? てっきり蒼生の本当の性別を知らないのではと思っていたのに、雪穂はが本当はだということを知らされていた……それも、蒼生本人の口から?


「そ、それってつまり――雪穂は蒼生さんが本当は女だって知って、その上で付き合うことになった、ってこと……?」


 思わずいつもの語尾を忘れて問う亜紀に、雪穂は「そう!」と嬉しそうに頷く。もはや訳が分からなかった。


「も、もちろん雪穂がそれでいいんなら私も応援するけど……え? 雪穂って蒼生さんのこと、ずっと男の子だと思ってたんだよね? わ、私と同じで本当は気付いてた、とか……?」

「え? いや、今さっきまで本気で男の子だと思ってたけど……って、え!? な、なに、もしかしてアキ、あんたは蒼生さんが女だって知ってたわけ!?」

「私はっていうか、雪穂以外はひよりんもまひるんも、全員みんな知ってたことだけど……」

「はあっ!? そんなことあるわけ――あれ? でも確かによくよく考えたら同じ大学の家森さんが知らないわけないし、ってことは真昼まひるも当然……? あ、あんたたち、もしかしてずっと知ってて黙ってたの!?」

「ごめん雪穂、その話あとでいい? 今それどころじゃないから」

「な、なにさその態度は!? よってたかって私のこと騙してたくせにそんな態度とかあり得る!? 最低サイテーかよ!」


 雪穂はそう抗議してくるものの、どうやらその言葉に反してひよりたちが口をつぐんでいたこと自体は大して気にしていない様子だった。であれば謝るのは後回しにして、もっと優先すべき話があるだろう。

 涼たちが「え、冬島が付き合うことになった相手って女なのか?」と困惑顔を見せているのも一先ひとまず無視し、今度はひよりが雪穂に問い掛けた。


「あ、雪穂アンタはそれで良かったの? その、青葉さんが女だって知ってショック受けたりとかは……」

「ショックだったに決まってんじゃん! 呼び出されたから告白でもされるのかと思ったら『実は女の子なんだ』って言われたんだからね!? 私じゃなかったら寝込んでるとこだっての!」

「あ、良かった……自分が若干、常軌じょうきいっしてるっていう自覚はちゃんとあったんだね」

「逸してねえよ」


「失礼だな」と半眼を向けてくる眼鏡少女を気にせず、ひよりは続ける。


「でも、だったらどうして青葉さんとそんな関係に……?」

「んー……まあ本当は騙されてたことをダシにして、私が一方的に『付き合って!』って言ったってだけなんだけどさ」

「うわー、悪質えぐぅー……」

亜紀あんたにだけは言われたくないわ! ……たしかにズルいかもしんないけどさ、でもああでもしないとこの先、チャンスなんてもう来ないかもしれないでしょ」


 友人たちの視線の中――少女はレンズの奥に真剣な光を宿やどしたまま言った。


「蒼生さんが自分のことを男だって言ったのは嘘だったけど――私があの人のことを好きになった気持ちは嘘でも勘違いでもない。私にとって蒼生さんがだってことは、なに一つ変わってないんだから」


 雪穂の表情に迷いの色は一切ない。そこにあるのは自分の本心こころに正直に生きる、恋する少女の瞳だけ。


「(ある意味、とは対照的だな……)」


 ひよりは、自らの気持ちすら分からないと言っていた親友の少女を脳裏に思い浮かべる。

 そう、この時のひよりはまだ知らなかったのだ――今日この日、も雪穂と同じように、大きな変化を迎えようとしていたことを。

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