第一六七食 青葉蒼生と年下の恋人①


「へっぷしゅっ!」

「わっ。だ、大丈夫ですか、青葉あおばさん?」

「うん、平気平気。どこかで誰かがウワサでもしてるんじゃないかな、はは……」


 未だに涙声のまま心配そうな顔で言ってくる真昼まひるに軽く笑い、蒼生あおいはグスッと鼻をすする。もしも今本当に誰かが蒼生じぶんの噂話をしているとすれば、自然とその相手はとある眼鏡少女なのでは、という考えが浮かんでしまうが……まだ事情を知らない真昼にはそれを伝える必要などあるまい。


「(本当だったら、雪穂ゆきほちゃんとのことは真昼ちゃんにも相談したいところなんだけどね……)」


 雪穂の友人である彼女なら、もしかしたら蒼生が置かれている奇妙な状況を解決する方法を思い付くかもしれないからだ。けれどそれは出来ないし、するべきではない。


「(真昼ちゃんだって、本当ならゆうと二人きりで文化祭を楽しみたかっただろうし、ね)」


 こうして並んで演劇鑑賞までしておいてなんだが、本来であれば蒼生はこの歌種祭うたたねさいを楽しみに来たわけではないのだ。彼女の主たる目的はあくまでも雪穂への謝罪であり、あの少女が酷く傷付き、激昂するかもしれないと予想していたこともあって、誠意を込めて謝罪を終えたら、あとはいさぎよく立ち去ろうと思っていたほどである。

 そんな蒼生が現状、まだこの体育館にいる理由は一つ。雪穂との話が予想外の方向へ転がってしまったからに他ならない。驚愕と混乱のあまり、冷静な判断力を失っていたであろう彼女から告げられた事実上の交際要求。それを撤回し、別の方法でつぐなうという意思表示をするまでは高等部ここから去るわけにはいかなかった。


「(雪穂ちゃんと話をしてから一時間弱……そろそろいいかな)」


 腕時計を確認してから、蒼生は静かに立ち上がる。雪穂が冷静な状況判断能力を取り戻すには十分な時間が経過しただろう。雪穂は去り際に「アキたちに自慢しにいく」と言っていたし、下手に話が広がってしまうのを防ぐという意味でも、これ以上時間をけるのはむしろ逆効果になりかねない。


「青葉? どうかしたか?」


 席を立った蒼生に、夕が目線とともに声を掛けてくる。


「うん、

「……そうか」


 短い言葉を返すと、彼はそれだけで意図を察してくれたらしい。そのあとなにやら逡巡しゅんじゅんする素振りを見せたのは、おそらく蒼生の気のせいではないはずだ。


「――大丈夫だよ。これは、私の問題だからさ」

「……そう、か」

「そうそう。だからキミはそのまま真昼ちゃんとのデートでも楽しんでなよ」

「「んなっ!?」」


 まぎらせついでにからかってやると、夕と真昼は兄妹きょうだいのように揃った反応を見せる。


「あらあら、もしかして私たちもお邪魔かしら? うふふ、空気を読んで、千鶴ちづるちゃんと二人で他の出し物でも見に行って来ようか、真昼ぅー?」

「んなっ、なんなんなっ!? なに言ってるのお母さん!? お兄さんの目の前でっ!?」

「……邪魔なら消えてやっけど?」

「お、千歳おまえまでなに言い出してんだよ……」


 明と千鶴にそう言われ、それぞれに羞恥しゅうち戸惑とまどいの色を見せる二人。……真昼についてはいつものことだが、夕がこんなあからさまな動揺を見せるのは少し珍しい。普段なら「アホか」の一言で受け流しそうなものなのに。まさかこの唐変木とうへんぼくにも、とうとう変化のきざしが現れたということなのだろうか? だとすればその切っ掛けは……?


「(……そういえば、夕と明さんはあんなところでなんの話をしてたんだろ? いやまあ、真昼ちゃんに関することではあるんだろうけど……)」


 とても気になる。だがしかし、今すぐに詮索せんさくするような内容でもない。

 目下もっか、蒼生が考えるべきはくだんの少女のことだけだ。こんな状況に身を置きながら他人同士の関係にまで首を突っ込むなど、夕にも真昼にも、そしてなにより雪穂に失礼だ。


「(……雪穂ちゃんとの決着がちゃんとついたら、その時改めて話を聞かせてもらおう)」


 なんか死亡フラグみたいだ、と自分の思考を笑いつつ、蒼生は席を離れて体育館から出る。

 背中に心配げな二人分の視線を感じたのは、やはり気のせいではなかっただろう。

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