第一六四食 大学生組と後夜祭伝説③

 ――歌種うたたね高校の文化祭には、生徒たちの間でまことしやかにささやかれている一つの伝説が存在します。通称〝後夜祭の伝説〟――文化祭の最後に二人で踊った男女は恋がみのる、という伝説です。


 ――伝説の起源は、今から三〇年以上もさかのぼった頃。当時の本校では後夜祭が行われておらず、文化祭が終われば生徒たちは日の沈まぬうちに帰宅する規則きまりになっていました。しかしいつの時代にもヤンチャな学生がいるもので……ある年、一人の男子生徒が意中の女の子を連れ、文化祭後の学校に忍び込んだそうです。

 現在と比べてやや閉鎖的な面が強かった本校は、文化祭でも父母ふぼ兄弟姉妹けいていしまいなどの関係者以外の立ち入りを禁止していました。他校の生徒だったその女の子も例外ではなく、ならばせめてと夜の文化祭に彼女をまねこうとしたのです。


 ――しかし、既に後片付けの済んだ学校内には見るべき出し物など一つも残っていませんでした。もちろん校舎には中から鍵が掛けられており、遠くには見回りの先生が手に持つあかりが見えます。

 二人の居場所は月明かりに照らされたグラウンドだけ。ですが、じきにここも見付かってしまうことでしょう。

『こんなことなら、忍び込んだりしなきゃよかったね』――膝をかかえた女の子がぽそりと呟きました。先生にバレたら、きっとものすごく叱られてしまうに決まっています――『せめてなにか一つ、楽しい思い出が出来たらよかったのに』


 ――『ならば、この月光の舞台で共に踊ろう』――そう言って、男子生徒はうつむく女の子へと手を差し伸べました。そして自分たちの他には誰一人いないグラウンドの中心で、そっと彼女の細い身体を抱き寄せます。

 互いの体温と視線だけを感じながら、文化祭の夜に踊る二人。彼らの想いが通じ合ったその瞬間を、秋の月だけが優しく見下ろしていました――



「嘘くせェ……」


 体育館いっぱいに並べられたパイプ椅子に座ったまま、オレはたった今終わった演劇の感想を端的に述べていた。

 周囲の生徒たちはやたら盛り上がった様子でパチパチと手を叩き、中には「素晴らしいブラボー!」とでも言わんばかりに指笛を鳴らしているヤツまでいる。たしかに演劇自体の出来は良かったし、主役の二人の演技力も大したモンだったが……いかんせん、肝心の〝伝説〟とやらの内容がオレには理解不能だった。


「なんかキレーに纏めてやがったけど、要は立ち入り禁止の部外者おんなを夜の学校に連れ込むようなクソ野郎の話じゃねェか。よくそんなヤツと付き合う気になれたな、その女も」

「いや千鶴ちづるちゃん、着眼点おかしくない? お芝居なんだからそこは言い合いっこなしでしょ」

「しかも思ったよりやることなかったから運動場グラウンドでダンスって……『共に踊ろう』じゃねェンだよ、その場の思い付きのクセして格好つけてンじゃねェ」

「だから誰もそんなマジレス求めてないんだってば」


 オレなりの感想に、隣に座っている青葉あおばが苦笑しながら言ってくる。……感受性豊かな高校生たちは、今の演劇をて感動できるものなのだろうか? 疑問に思ったオレは青葉をまたいだ向こう側、ヤモリと母親の二人に挟まれて座っている現役女子高生に目を向ける。


「うっ……うっ……! す、すっごく素敵なお話でした……! 涙なしではられません……!」

「(どこがだよ)」


 今の話のどこで泣けばいいんだよ、とオレは号泣している少女に心の中でツッコミを入れた。「登場人物が全員死んだ」くらいの勢いで泣いてるンだが……あの子の感性、ちょっとおかしいんじゃねェか? 隣でポケットティッシュを差し出したヤモリがその号泣ぶりに若干引いているのを見る限り、少なくともオレの感性がズレてるってワケじゃなさそうだが。


「だけど、そんな〝伝説〟が今もこうして語り継がれてるなんて素敵じゃないか。『二人で踊った男女は恋が実る』、だっけ? ありがちだけど、私そういうベタなの好きなんだよね」

「ハッ、くだらねェ……」


 似合いもしねェのに女らしいことを言う青葉に、俺は椅子の背もたれにひじをかけ、唾でも吐くかのように一蹴する。こんな噂話レベルの〝伝説〟を本気で信じられるほど純でもねェ。

 そんなオレにもう一度苦笑してから、青葉は「そういえば」と隣に座っている旭日真昼あさひまひるの母に声を掛けた。


めいさんも歌種うたたね高校のご出身なんですよね?」

「ええ、そうよ?」

「じゃあ明さんの時からこの〝伝説〟ってあったんですか?」

「うーん、そうねえ……」


 可愛らしく顎の下に指をおいてから、彼女は遠い過去のことを思い出すように答える。


「〝伝説〟の由来は今日初めて聞いたんだけれど、『後夜祭で一緒に踊った相手と付き合える』みたいな話なら私たちの頃からあったわ。ふふ、懐かしいわね」

「あはは、明さんなら男子たちから引っ張りだこだったんじゃないですか? 絶対モテてたでしょ?」

「うふふ、どうかしら。でも今はどうか分からないけれど、私たちの時の後夜祭じゃフォークダンスを踊っていたの。ほら、あれって色んな人と入れ替わり立ち替わり踊るでしょう? だから『一緒に踊った相手と付き合える』って言われても、誰がその相手なのかが分からなかったのよね」

「(欠陥伝説じゃねェかよ)」

「ちなみにその時踊った何人かの人とも、結局なにもないままだったわ」

「(じゃあガセ確定じゃねェか)」


 最初から信じちゃいなかったとはいえ、これだけ盛り上がった演劇の題材にまでなった〝伝説〟なンだからもう少し頑張れと思わなくもない。そんな噂話だって、これだけの生徒たちの中には本気で信じているような子だっていンだろうに……。


「(……ん? もしかしてあの子が言ってたのって……)」


 オレはちらりと、ヤモリの隣でちーん、と鼻をかんでいる高校生の少女へ目を向ける。その横顔は、演劇への興奮とは別種の赤色に染まっているような気がした。

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