第一五五食 家森夕と〝お隣の高校生〟①

 ――家森やもりさんは真昼ひまのこと、どう思ってるんですか?

 ――ゆうくんはうちの真昼まひるのこと、女の子として見ているのかしら?


「……先に一つだけ、聞かせてください」

「はい、どうぞ?」


 質問を頭の中でリフレインしつつ、俺は真昼母の眼を真っ直ぐに見返した。すると彼女は相変わらず優しげに微笑んだまま、首を縦に振って言葉の先を促してくる。


「……この質問への答え次第で、お母さんは俺と真昼の関係ことをどうにかするつもりなんですか?」

「あら、そんなことないわ。ごめんなさい、少し聞き方が悪かったかしらね?」


 真昼母は両の眉をハの字に曲げると、補足するように続けた。


「私はただ二人の関係が気になっているだけ。言ってしまえば普通の恋バナよ、恋バナ。だから夕くんが思っていることを素直に言ってくれればそれでいいし……たとえそれがどんな答えだったとしても、あなたの気持ちを真昼に話したり、今の二人の関係を壊したりはしないわ。……あ、もちろん夕くんが『本当は真昼なんて大っ嫌いなんです!』って言うなら、その時はお互いのためにどうにかすると思うけれどね?」

「いえ、それはないですけど……でも、確認できて良かったです」


 この返答こたえ一つがきっかけで、二度と真昼と一緒に料理も食事も出来なくなってしまった、なんてことになったらあの子に合わせる顔がない。

 あの子が〝だれかと一緒に食べるご飯の時間〟をどれだけ大切に思っているかくらい知っている。そして――その気持ちは、俺だって同じだ。


「それじゃあ改めて、答えを聞かせてもらえるかしら?」


 真昼母が静かな声でそう言った。……もう、逃げ場はないな。答えをはぐらかすことは出来ない。

 腹をくくった俺は、一度大きく深呼吸をしてから口を開く。


「……俺にとって真昼は――」


 そう言い出した瞬間――ふと俺の脳裏に、真昼と出会ってからの半年間の出来事がフラッシュバックした。


『んう~っ! おいひいですっ! こんな、久し振りです!』


『色々調べたところ初心者にはカレーがオススメということだったので、今日はカレーの材料を買ってきました!』


『……お兄さん。私、絶対おにぎりを作れるようになります。今度お兄さんに食べてもらう時は、美味しいって言って貰えるくらい』


『去年までは……今日のお兄さんたちみたいにに来てくれる人なんていませんでしたから。だから、今日は本当に嬉しかったんです』


『おっ、おおおお兄さんッ! たしゅっ、助けてくださいッ!? わ、私の部屋に――ごごッ、ゴキブリがあッ!?』


『はいっ、はいっ! とっても器用で料理じょ……お、お料理大好きな女の子ならここに居ますよっ!』


『今回は家庭科が評定「2」だったんですよっ! もうびっくりしちゃいました! だって私、中学時代の家庭科の評定は万年「1」でしたから!』


『じゃ、じゃあじゃあっ! お兄さんが試験期間のあいだは、私がお兄さんの分もお料理を担当しますっ!』


『ゆ――〝夕くん〟……が、いいです』


『お、おにいざんっ、ありがどうございばず~っ! わ、わだじずっごぐごわぐで@$☆※○〒……!』


『お、お兄さんが寂しいなら私っ、毎日メールしますっ! なんなら電話もしますっ! 一日三回っ! それならお兄さんも寂しくないですよねっ!?』


「おかえりなさい、お兄さんっ! 一週間ぶりに会えてすっごく嬉しいですっ!」


『――私は、あの日私を助けてくれたのがお兄さんで良かったと思ってます』


『ちょっとだけ――て、手を、握ってほしいです。……だ、ダメ、ですか……?』


『いっ、いませんいませんっ!? わわわ私に好きな人なんているわけないじゃないですかっ!? そっ、そもそもまだお互い知らないこともたくさんありますし○※□☆$@◇%〒§……ッ!』


『た……たしかに好きな人はまだいないですけど……す――すごく気になってる人なら、私にだっていますからっ!』


 歌種町このまちに引っ越してきてから最初の一年は、顔も名前も知らない〝お隣さん〟でしかなかった。それが半年前のあの日をさかいに大きく変化し、今では毎日の食事を共にする間柄にまでなった。

 あの子の笑顔を見ない日はない。あの子の笑い声を聞かない日はない。いつも明るく元気で、心優しい女の子――もしもあの子と出会っていなかったら、もしもあの日、ドアの前でうずくまるあの子に声を掛けることを躊躇ためらっていたら。きっと俺は今でも、ただ淡々と日々を過ごすだけのつまらない生活を続けていたことだろう。好きでもない自炊りょうりをして、あの殺風景さっぷうけいな部屋の壁を見ながら、一人で黙々とメシを食っていたんだろう。


 そう考えると、俺は自分で思っている以上に〝旭日あさひ真昼〟に救われてきたのかもしれない。あの子が俺のことを「お兄さん」と呼ぶ声が、あの子が大したことのない料理をまるでご馳走のように頬張る姿が。それらを〝普通〟のことだと思えていることが、一体どれだけ幸せなことか。

 あの子は「あの日私を助けてくれたのがお兄さんで良かった」と言ってくれたけれど――やはりそれも、俺だって同じなんだ。


 あの日、俺の前に現れてくれたのが真昼きみで良かった。

 テーブルを挟んだ向こう側で屈託くったくなく笑う女の子が真昼きみで良かった。


 俺はあの子が笑っている顔を見るのが好きだ。なんでもないような日常に喜びを見出だすあの子の笑顔が好きだ。

〝普通〟に俺の隣に居てくれるあの子の笑顔が好きなんだ。


 そして――、〝それ以上〟のことなんてなにも求めていない。


「――俺にとって真昼は〝お隣の高校生〟で、それ以上でもそれ以下でもありません」


 俺たちのが変わってしまえば、きっと〝普通いま〟の関係は崩れて無くなってしまうだろうから。俺はそんなこと望んでいないし……日常を愛するあの子がそれを望むはずもない。であれば、俺がを抱く必要などあるものか。


 俺のせいであの子の笑顔が見られなくなるくらいなら、俺は〝お隣のお兄さん〟のままでいい。

 ……それでいいんだ。

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