第一五四食 家森夕と旭日明②

「ねえゆうくん、少しだけ私と二人きりでお話でもどうかしら?」

「!?」

「えっ……い、今からですか?」


 たこ焼きをあっという間に食べ終えていきなりそんなことを言い出した真昼まひる母に、俺は動揺して少し間抜けな声を出してしまった。その隣では娘が「お、お母さん!? 急になにを言って……!」とわたわたしているが……お母さんはそれを華麗に無視スルーし、俺に向かって「ええ」とにこやかに笑いかけてくる。


、ちょっとおはなししたいこともあるし――ね?」

「……!」


 なるほど、そういうことか。

 確かに俺は、真昼の親御さんと話さなければならないことが山ほどあるだろう。突然の登場に驚いてしまったが……本来であればこんなふうに、のほほんとたこ焼きをつついている場合ではなかったのかもしれない。


「……分かりました」

「お、お兄さん!? わ、私のことでお話し、って……だったら私も一緒に――!」

「だーめ。私は夕くんに話を聞きたいのよ。真昼あなたがいたら余計な口を挟むでしょ」

「うぐぅ……! こ、この後、一緒に三年生の演劇をに行こうと思ってたのに……!」

「わ、悪いな、真昼。すぐ戻るから、に合ったら行こうな?」

「はいぃ……!」

千鶴ちづるちゃん、少しのあいだ、うちの子をお願いしてもいいかしら?」

「は、はあ……」


 ぐぬぬと口をむすぶ真昼と状況をよく飲み込めていない様子の千歳ちとせを残し、俺と真昼母は席から立ち上がってき教室を出る。

 ――この時、俺はなぜか胸がざわつくような気配を覚えていた。





 俺たちが向かったのは歌種うたたね高校の屋上――というより、本校舎と別棟べつむねとを結ぶ屋外渡り廊下の四階だった。連絡通路なので普段は人通りが多いのかもしれないが、今日は文化祭で別棟が完全立ち入り禁止となっているらしく、事実上の行き止まり状態。おかげで俺たちの他に人影は一切見当たらない。

 ただしもちろん階下では文化祭の真っ最中であるため、生徒たちのはずんだ声や軽音楽部のライブ音響おんきょうなく聞こえてくることには変わりないが。


「ふふっ、懐かしいわ。学生時代も私、よくここで友だちとお喋りしていたのよ」

「お母さんも歌種高校このがっこうのご出身だったんですか?」

「ええ、そうよ。真昼から聞いていないかしら? それもあって私、あの子が歌種町このまちで一人暮らしをするのを認めたのよ。ここ、治安ちあんだけはいいものね」

「な、なるほど……」


 そういえば以前、食事中の雑談でそんなことを聞いたような、聞かなかったような……。あの子はマシンガンのように話すあいだにコロコロ話題が変わるので、聞き流してしまったという可能性はあるかもしれない。


「でも〝可愛い子には旅をさせよ〟なんて言うけれど、やっぱり親としては心配なのよ? ほら、真昼ってなにかとどんくさい所があるでしょう?」

「ええ、まあ……」


 母親の前で「ですね」なんて言えるはずもないので、曖昧あいまいに頷くにとどめておく。


「あの子、顔は私によく似て美人だけれど、性格なかみはまったく似ていないのよね。どちらかと言えば父親に似ていて、純粋というか愚直というか、人に対して無防備というか? そういうところが可愛い子でもあるとは思うんだけど」

「(ものすごく分かる)」

「それで……その真昼の話なんだけれどね」


 不意に、渡り廊下の手摺てすりに体重を預けてグラウンドの方を見渡していた真昼母が、微笑みながらに俺の顔を見てきた。いよいよ本題か、と思いつつ、俺は真剣な表情で小さく首肯する。

 わざわざ聞くまでもないことだが、話というのは真昼が俺の部屋に出入りしていることに関してだろう。明言こそ避けていたが夏祭りの時、そのことが原因で親父さんに一人暮らしをやめさせられそうになった、と真昼は言っていた。

 だとすれば、真昼のお母さんである彼女が改まって言いたいことなど大体想像がつくだろう……俺は緊張に喉を鳴らしつつ、真昼母の次の句を待った。


「――まず、お礼を言わせてもらえるかしら。日頃からあの子に良くしてくれて、本当にありがとう、夕くん」

「えっ……い、いえ、こちらこそ……?」


 まさかこんなにこやかにお礼を言われるとは思わず、「ありがとう」への返答としては正しくないであろう言葉を返してしまう俺。「あまり娘に干渉しないで頂戴」とか「金輪際こんりんざいあの子を部屋に連れ込むのはやめて」とか言われるんじゃないかと覚悟していただけに、ひどい肩透かたすかしを食らったような気分である。


「……そして、ここからが本題なのだけれど――」

「(! い、いよいよ来るか!?)」


 なるほど、今のは軽い牽制ジャブだったというわけだ。ここから飛んでくるのは右フックかボディーブローか、それとも黄金のストレートだろうか。油断なく再び心持ちを固める俺に、真昼母はずばり言った。


「正直なところ――夕くんはうちの真昼のことを、女の子として見ているのかしら?」

「……へ?」


 予想外すぎるその問いに完全に虚を突かれ、今度こそ掛け値なしに間抜けな声を発する俺。リングの上で拳闘の構えをとっていたのに、いきなり場外からピストルを撃ち込まれたような気分である。


「あ、あの……真昼が俺の部屋に出入りしてることについて言いたいことがあるわけじゃないんですか?」

「え? いいえ、まったく?」

「(なんでだよ)」


 じゃあさっきの「〝可愛い子には旅をさせよ〟」のくだりはなんだったんだ。俺がそうツッコみたいのをこらえていると、真昼母はふっ、と静かに笑う。


「……そのことなら夏に帰省したとき、真昼が自分の言葉で決着をつけたもの。今さら蒸し返すつもりなんてないわ。まあ元々私は、真昼と夕くんの関係に反対していたわけでもないんだけれどね。あの子はどんくさいと言ったけれど、あれでも人を見る目だけは確かなのよ」


 そういえば以前、小椿こつばきさんも似たようなことを言っていた気がする。やっぱりすげえんだな、親友って……。


「で、話を戻すけれど……どうなの? 真昼のことを女の子として――見ているのかしら? それともとして見ているのかしら?」

「ど、『どうなの』って言われても……」


 それこそ同じような質問を、前に小椿さんからされたことがあった。……ほんの一、二ヶ月前のあの時、俺はなんと答えたんだったか?


「えっと……いつか俺が真昼に手を出すんじゃないか、とかって心配されてるんだったら、そんな心配は――」

「それは質問の答えになっていないわ」


 真昼母は柔らかい口調で俺の言葉を遮ると、しっかりと俺に向き直って「もう一度聞くね?」と優しく言った。

 だが声色の優しさとは裏腹に、その瞳には明確な意思が宿やどっている――「はぐらかすことは許さない」という明確な意思が。


「あなたはさっき『恋人が欲しくないわけじゃないけれど、単純に相手がいない』と言っていたけれど――それならいつも近くにいる真昼のことは、一体どう思っているのかしら?」


 繰り返された質問を聴覚で聞き入れながら、俺は脳の冷静な部分で「なるほど」と納得していた。

 なるほど、似ていない――姉妹かと見紛みまがうほど真昼にそっくりな母親の柔らかくも怜悧れいりな視線は、あのお日様のような少女とは


 文化祭の喧騒が遠ざかっていくような錯覚を覚える中、文字通り行き止まりまで追い詰められた心臓の鼓動だけが、やけに大きく響いていた。

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