第一五六食 家森夕と〝お隣の高校生〟②

「――『それ以上でもそれ以下でもありません』、かあ」


 俺の答えを聞いた真昼まひるのお母さんは優しい微笑みを崩さないまま、秋の高い空を見上げた。そこにどんな感情があるのかは俺には読み取れない。得体えたいの知れない大学生が娘によこしまな感情を抱いていないことに安堵あんどしているのだろうか、それとも可愛い娘に対して失礼な言葉を吐いた俺に腹を立てているのだろうか。


「……すみません。でも、これが俺の正直な気持ちなんです」

「あら、謝る必要なんてないわ。ふふっ、こっちこそごめんね? 急に変なことを聞いちゃって」


 真昼母は俺が発する気まずい空気を上品に笑い飛ばすと、「でもそっかあー」と眉尻を下げてこちらに視線を戻した。


「うちの可愛い真昼ちゃんじゃ、ゆうくんのお眼鏡めがねにはかなわなかったのね。お母さん悲しい……よよよ……」

「い、いえ、決してそういうつもりじゃ……」

「うふふ、冗談冗談。……ねえ、もしよければでいいから聞かせてくれない? どうしてあの子じゃ駄目なのかしら?」

「えっと……」


「どうして」と聞かれると少し困ってしまう。俺が真昼を異性として見ない理由の大部分は〝今の俺たちの関係を壊したくないから〟だ。真昼自身になにか問題があるというわけではない。

 それでもいて他の理由を探すとするなら――


「……真昼は高校生で、俺は大学生ですからね。それこそ〝兄と妹〟くらいトシが離れてるのに、恋愛そういう感情を抱くのはじゃないですか」


 言いながら、俺は小さく苦笑いを浮かべる。

 正直に言えば、不意に真昼にドキッとさせられたことがこれまでに一度もなかったというわけではない。海で水着姿を見た時に、二人で打ち上げ花火を見た時に、普段の何気ない表情や仕草に触れた時に――その都度つど俺は、真昼が女の子なのだと思い知らされてきた。


 それでも俺が変わらず〝お隣のお兄さん〟のままでいられたのは、あの子が歳の離れた高校生こどもだったからだ。純粋に俺をしたってくれている彼女のことを、いつの間にか妹のように思っていた部分もあるかもしれない。

 いずれにせよ、この先も俺と真昼が隣人以上の〝なにか〟になることなどあり得まい。俺は仮にも大学生オトナで、真昼が高校生こどもだという現実は変わりようがないのだから。

 するとその時、真昼母がなにやら不思議そうに首をかしげながら言った。


「あら、私は高校生と大学生が恋愛をすることがおかしなことだとは思わないけれど?」

「え?」


 俺がわずかな動揺と共に聞き返すと、彼女はさも当然のことのように続ける。


「高校生が大学生を好きになってしまうこともあれば、大学生が高校生を好きになってしまうことだってあるわ。人間の感情のお話だもの、そこに〝普通〟も〝普通じゃない〟もないでしょう?」

「そ、それは……そうかもしれませんけど……」

「それに歳の差だって、あなたたちくらいの歳の差カップルなんて珍しくもなんともないわよ? 私と旦那だって五つ離れているもの。大切なのはあくまでも、本人たちの気持ちなんじゃないかしら?」

「うっ……」


 正論を受け、思わず言葉を詰まらせてしまう俺。するとそんな俺の顔をじっと見つめていた真昼母が「ねえ、夕くん」と優しい声色で話し掛けてくる。


「夕くんにも好みやタイプがあるだろうから、どうしても真昼のことを女の子として見られないって言うならそれでいいの。でも――本当にあなたは、自分の気持ちと向き合った上でそう答えたのかしら?」

「え……?」

「……いいえ、なんでもないわ。夕くんがあの子のことをどう思っているか知れただけで私は満足だもの……、ね?」


 そう言って意味深に笑うと、真昼母は「それじゃあ、真昼と千鶴ちづるちゃんが待ちくたびれちゃう前に戻りましょうか」と俺に背中を向けた。

 い、一体なんだったんだろうか……そもそもどうして彼女は、わざわざこんなところまで来てあんなことを聞いてきたのだろう? まさか本当に恋バナがしたかっただけ――なわけ、ないよな……?


「あの、お母さ……――ッ!」


 俺は先に歩きだした真昼母を呼び止めようとして――しかし次の瞬間、思い切り彼女の腕をぐいっと引いていた。当然驚いたであろう真昼母が「きゃあっ!?」と声を上げるが……俺は構わず彼女と二人、視界のひらけた渡り廊下内では唯一身を隠せそうな落下防止用の鉄柵の陰へと潜り込む。


「あ、あの夕くん!? たしかに私、『恋愛に歳の差は関係ない』みたいなことを言ったかもしれないけれど……で、でも駄目よ、私もう結婚して、娘だっているんだから……!」

「なんかとんでもない誤解するのやめてくれませんか!?」


 まるで俺が強引に迫っているかのようなことを口走る真昼母にツッコミを入れてから、俺は「すみません、少しだけこのまま隠れていてください」と小声とジェスチャーを駆使くししてお願いをしていた。

 そしてちょうど同じタイミングで、本校舎と渡り廊下を繋ぐ扉から見慣れた二つの人影が出てくるのが見える。その二人とは――


「な、なんですか蒼生あおいさん。と、突然『大事な話がある』だなんて……」

「……うん。実はキミに話しておきたいことがあるんだ、雪穂ゆきほちゃん」


 ――青葉あおば蒼生と冬島ふゆしま雪穂。今の俺と比肩ひけんするほど厄介な状況にあるイケメン女子大生と、その被害者とも呼ぶべき眼鏡の女子高生が、よりによってこのタイミングで俺たちの前に姿を現していた。

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