第一四六食 大学生組と文化祭前①


 およそ二ヶ月の夏休みもついに終わりを迎え、今日からまた大学生活が始まった。通学・受講・帰宅を繰り返す日々の再開である。

 以前にも何度か語ったことがある通り、俺は基本的に面倒くさがりな人間だ。勉強を好きだと思ったこともほとんどないし、大学進学を決めたのだって「その方が就職に有利だから」という程度の理由に過ぎない。つまりどちらかと言えば、学校が嫌いなタイプの人間だった。

 しかし午前中、夏休み中に何度か訪れて以来のキャンパス内を歩いてみると、これが意外にも悪い気分ではなかった。

 すれ違う名前も知らない他学部の学生たちの笑い声。久しぶりに顔を合わせた友人たち。履修りしゅう予定の講義を担当する講師が実施するオリエンテーション。相変わらず、安くて量がある代わりにお世辞にも美味しいとは言えない学食のメニュー――どれも夏休み前までは日常的なことだったはずだが、いざ二ヶ月も離れてみると存外、こんな当たり前の日常ですら恋しくなってしまうものらしい。


 とはいえ、去年の俺なら「なんで夏休み終わっちまったんだよ……」という気持ちの方が強かっただろう。まだ大学に入って半年程度であり、その分友だちも今より少なく――そしてなにより夏休み中、食事のたびにお隣の女子高生から「今日は学校であんなことがあった」「明日は友だちとこんなことをする」といった話を聞かされたりしていなかったから。やはりリアルタイムで学校生活を楽しんでいる子が近くにいると、知らず知らずのうちにその影響を受けてしまうのかもしれないな。


 そんなこんなであっという間に午前中の講義二つと昼食を終えて、俺は所属しているゼミで使用している教室へと向かっていた。今日はゼミの日ではないが、あいにく次は空き時間コマ。うちのゼミ生たちは暇になるとゼミ室へ駄弁だべりに来る習性があり、俺もその例に漏れず、誰かと話して時間を潰そうと考えたのだ。

 そして歌種うたたね大学法学部棟四階、小教室の扉が並ぶ廊下を進み、いつものゼミ室へ「失礼しまーす」と入ろうとして――


「ねえねえいいでしょ千鶴ちづるちゃーん。たまには飲みに行こうよ、親睦を兼ねてさ!」

「るっせンだよ、行かねえっつってンだろうが!? 行きたきゃ一人で行ってろッ!」

「そんなつれないこと言わないでよ~。あっ、もしかして私と二人きりだと緊張しちゃうのかな? だったら他の人も呼ぶからさ、ゆうとか夕とか……あとは夕とか」

「全部ヤモリだろうがッ!? なめてンのかテメ――あァ?」

「おっ、噂をすればなんとやら! 夕、ちょうどいいところに来てくれたね! あのさ――」

「失礼しました」


 ぴしゃっ、と教室の扉を閉め直し、そのまま今歩いてきた廊下を逆走する俺。教室には誰もいなかった……そう、誰もいなかったんだ。そういうことにしてしまおう。


「いやいやいやおかしいよね!? なんで逃げるのさ夕っ!?」


 そんな俺に後方からツッコミを入れつつ肩を掴んできたのは、飲んだくれ女子大生でお馴染なじみの青葉蒼生あおばあおい。夏が明けても相変わらず中性的イケメンな彼女は、「関わりたくないんですが」感最大マックスの顔で振り返った俺に構うことなく、ぐいぐいと腕を引いて教室へ連れ込もうとしてくる。


「いやあ、本当にちょうどいいところに来てくれたね! 実は今、千鶴ちゃんと飲みに行こうって話してたところでさ!」

「いや聞こえてたよ。だから逃げたんだっつの、誘われたくないから」

「だから夕、親睦も兼ねて今晩三人で飲みに行こう!」

「聞けよ、そんで行かねえよ。行くなら二人だけで行ってくれ。お前と千歳ちとせを同時に相手出来るほど、俺の精神メンタル強靭きょうじんじゃねえんだよ」

「あはは、それじゃあまるで私と千鶴ちゃんの性格に難があるみたいじゃないか~」

「そう言ってるんですけど」

「オイ、ヤモリテメェふざけたこと抜かしてンじゃねェぞ。オレと青葉ソイツを同列に扱うんじゃねェよ」


 ピキリ、とこめかみに青筋を立てて凄んでくるのは、染め抜かれた金髪とピアスが特徴的な不良ヤンキー系女子大生こと千歳千鶴だ。

 変わり者が多いうちのゼミでも青葉に次ぐ変人とされており、この攻撃的な口調や性格の割に、普段の振る舞いや授業態度はいたって真面目。講義の出席率や成績も良く、さらには無類の可愛いもの好きという、ここまで外見みためと中身が一致していない人間も珍しいのではないか、と思わされるほどのギャップの持ち主である。そしてどういうわけか、うちのお隣の女子高生のことをやたら気に入っていたりする。


「なんで二人ともそんなに嫌がるのさー? この三人で飲んだら絶対楽しいと思わない?」

「思わない」

「思わねェよ」


 不満げに唇を尖らせる青葉に対し、揃って即答する俺と千歳。そんな俺たちに「ひ、ひどいっ!」と涙目になったイケメン女子大生は――


「あっ、そういえば話は変わるんだけどさ」


 次の瞬間にはケロッとした様子で話題転換をしてきやがった。な、なんて腹立たしい……彼女がこういう奴だということはとっくに知っているとはいえ。視界の端で千歳が「じゃあここまでのウザ絡みはなんだったンだよ」と言わんばかりの形相ぎょうそうをしていることに気付いているのだろうか、こいつは。


「そろそろ高等部の文化祭の時期だよね。夕はもちろん行くでしょ? 真昼まひるちゃんもいるし」

「!」

「お、おう、まあな……」


 真昼の名が出た途端にぴくりと反応を示した千歳を気にしながら頷くと、不意に青葉が「実はさ」と神妙な表情で口を開いた。


「夕に少し、相談があるんだけど……」

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