第一三八食 旭日真昼と気になる人①


 旭日真昼あさひまひるの朝は早い。

 平日は午前六時に起床し、目覚ましついでに洗顔と歯磨きをしてからドライヤーを片手に寝癖と格闘を繰り広げる。彼女は髪の毛質がしっとりと柔らかいせいか、どうやら普通の人よりも寝癖がつきやすいらしい。酷い時などは、寝癖直しだけで三〇分以上時間を取られることもあった。

 それから制服に着替え、続けて化粧。真昼はナチュラルメイクという名の薄化粧しか心得ていないため、こちらの所要時間はほんの五分足らずで済む……という話をとある眼鏡少女にしたところ、「元が良い女の子様は羨ましいっすなあっ!?」と涙目で突っ掛かられてしまった。ちなみに彼女は化粧だけで毎朝三、四〇分はついやしているそうである。


「ふん、ふん、ふふーん」


 ともあれ鼻歌混じりに薄桃色のリップクリームを唇に塗り終えた真昼は、鏡を見て寝癖の見落としや化粧の不備がないことを念入りに確認し、「よしっ!」と満足げに微笑ほほえんだ。そして部屋の隅に立てかけてある姿見の前に立ち、制服にシワや汚れがないこともしっかりと確認する。

 去年までの彼女は外見についてここまで頓着とんちゃくしてはいなかったのだが……最近はそうもいかなくなった。それは高校のクラスメイトに気になる人がいるから――ではなく。

 支度を終えた真昼が部屋を出て向かった先は、向かって右隣の二〇六号室。彼女は最後にもう一度自らの全身を見下ろしてから、部屋のドアノブにそっと手を伸ばした。


「おっはようございまーすっ! お兄さん、お邪魔しまーす!」

「おー、おはよう、真昼」


 元気一杯に挨拶をしながら中へ入った真昼を出迎えたのはトーストが焼ける香ばしい匂い、そして一人の男の声だった。

 細身で長身なこの青年は家森夕やもりゆう。真昼が〝お兄さん〟と呼び慕う、お隣の大学生である。こうして彼と会うようになったからこそ、最近の真昼は身だしなみに気を配っているのだ――が。


「あははっ、お兄さんったら頭に寝癖がついてますよ?」

「え? あ、本当だ。今日はちょっと寝坊して、少し前に起きたばっかりだからな……」


 言いながら、髪をボサボサと乱暴に撫で付ける夕。高校と違って大学はまだ夏休み期間中であり、わざわざ朝早くから寝癖を直す必要もなかったのだろう。

 しかし真昼の方はわざわざこうして服装や髪型、化粧にまで気を遣い、完璧に近いコンディションにしてから来たというのに、相手は明らかに起き抜けの寝癖頭&寝間着姿……この意識の差に、さしもの少女も機嫌を損ね――


「(お兄さん、まだちょっと寝ぼけまなこで可愛いっ……!)」


 ――るどころか、普段はあまり見られない彼の寝起き姿にを目にした真昼は内心、かなりテンションが上がっていた。ちなみにこの夏休み期間中でも、夕がここまで気の抜けた姿を見せることはほとんどない。


「真昼の方はなんかピシッとしてるなあ。新学期初日は寝癖つけたまま学校行きそうになってたのに」

「あ、あれはちょっと油断しただけですからね!? こう見えても私、最近は結構頑張ってるんですから!」


 流石に「こうしてお兄さんと会うから」とまでは言えないものの、その場でくるり、くるりと乱れのない姿をアピールしてみる真昼。朝から頑張ったのだから、せっかくなら彼に褒めて欲しいという心理が働いたのかもしれない。


「ああ、そうか……そうだよな」


 しかし夕は、なぜか少しだけ寂しげな表情で呟くように言った。


「頑張らずにはいられないよな――これから学校で気になってる男子と会うわけだし」

「……ほへ? き、〝気になってる男子〟……って、なんのことですか?」

「え? いや、こないだ真昼が自分で言ってただろ。『すごく気になってる人がいる』って」

「……え?」

「……え?」


 二人、顔を見合わせて固まる真昼と夕。

 確かに先日、真昼は夕に「好きな人はいないが、すごく気になっている人ならいる」と言った。言ったが……それは夕本人のことであって、学校の男子のことなどではない。しかし口振りからして、夕は完全にその〝気になる人〟というのが真昼のクラスメイトかなにかだと勘違いしているらしかった。

 つまりあの時――結構勇気を出して好意をほのめかしたつもりでいた真昼の想いは、本人にはまったく気付いてもらえていなかったということで……。


「ええええええええええっ!?!?」


 衝撃のあまり、真昼は朝から大声を上げてしまうのであった。

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