第一一七食 旭日真昼と複雑な気持ち


「じゃあ俺は部屋に戻るからな。今日はまだ安静にしてろよ?」

「あはは、流石に分かってますよ~。朝ごはん、ごちそうさまでした!」

「おう」


 隣人の大学生が部屋を出ていくのを見届け、一人ぼっちになった真昼まひるは玄関のドアに鍵を掛けてからベッドの上に戻る。布団の上にぽすん、と寝転がると、自然と喉から「はあぁ~~~……」という熱っぽい息が漏れ出した。


「……お兄さん、やっぱり優しいなあ……」


 そう小さく呟く一方で、少女の表情はどこか不満げだった。

 もちろんゆうがなにか粗相そそうをやらかしたわけでも、作ってきてくれた朝食の卵雑炊ぞうすい不味まずかったわけでもない。不満があったのは、今真昼の手の中に収まっている小さな銀色の物体――すなわちこの二〇五号室の合鍵についてだ。


「(別に、お兄さんが持っててくれて良かったのになあ……)」


 そもそもこれは昨日の夜、夕に病院に連れていって貰った後に渡したものだ。その時の真昼は動くのも億劫おっくうなくらい体調が悪かったこともあり、「お兄さんが出入りしやすいように」というお題目で渡すことに成功したのだが……一晩寝てかなり回復した彼女の姿を見た夕は、「じゃあこれはもう返しておくよ」とあっさり返品してきたのである。

 真昼はそれが不服だった。なにせ真昼の方は夏休みに入って以来、夕の部屋の鍵を持たせてもらっているままなのだから。これではなんというか、不公平ではないだろうか?


 しかし夕の部屋で食事をる機会が多い真昼とは違い、夕が真昼の部屋の合鍵を持っていることにはなんのメリットもない。今回のようなことでもない限り、彼がこの二〇五号室に立ち入る必要などほとんどないのだから、当たり前といえば当たり前のことだ。真昼もそんなことはもちろん分かっている。

 それでも一度渡した合鍵を普通に返されるというのはなんだかショックだった。「真昼きみの部屋の合鍵なんてらない」と言われたような気分とでも言えばいいのか。


「(そういえば昨日も私のて、手を握ってくれた時も、お兄さんは普通にしてた気がする……け、結構大胆なお願いしちゃったのに……)」


 昨夜、風邪かぜで精神的にも弱っていたところで夕に「手を握ってほしい」とお願いし、彼の大きな手に自分の右手が包まれた感触を思い出す真昼。しかし真昼は熱がさらに上がってしまいそうなくらい恥ずかしかったというのに、夕の方はいたって平然としていた――ような気がした。

 ちなみに実際は二人とも同じくらい真っ赤になって照れていたのだが……その時の真昼は繋がれた二人の手の方に意識を奪われ、夕の反応リアクションを記憶に留めておくほどの余裕がなかった。


「(……あとは最近私の様子がおかしかった理由も『風邪のせいだった』ってあっさり信じちゃってたし……ちょっとくらい変だなーって思ってくれてもよかったのに……)」


 自分も全力でその解釈に乗っかっておきながら、なんともワガママな言い分である。

 真昼は自分の中でもまだ夕に対する気持ちの整理がついていない。当然、このタイミングで本人に好意がバレるのは困る。なにせこの好意が〝恋慕〟と呼ぶべきものかどうかさえ分からないのだから。

 しかしその一方で「気付いてほしい」と思っている真昼じぶんも確かにいて。


「(だ、だからって本当に気付かれても困るっていうか、心の準備が出来てないっていうか……ほ、ほんのり気付いてくれるくらいでいいっていうか)」


 要は、真昼は夕にももう少しだけ自分のことを意識してほしいのだ。その根底には彼にも自分と同じ気持ちを共有してほしいという欲求があったのかもしれない。

 とはいえ真昼自身、このところ自分が夕を異性として意識しすぎたせいで今まで通りに接することが出来なくなっていた自覚はある。だからこそそれはすべて風邪のせいだったという夕の解釈に全力で乗っかったわけで。

 そういう意味では、夕が真昼じぶんの気持ちにまったく気付いていないというのは、むしろ真昼の狙い通りの展開だとさえ言えよう。


 しかし、それでも合鍵をあっさり返却された乙女心は複雑だった。夕は真昼じぶんの気持ちに気付いていないとかではなく、単に真昼じぶんのような高校生おこさまには興味がないだけなのではないだろうか?

 それにひきかえ真昼の方は、風邪で倒れた自分を病院までおぶっていってくれたり、今日も朝からわざわざ朝食を作ってきてくれたりと、〝お兄さん〟の優しさにますますかれていく一方だ。


「う、うう~っ……ず、ずるいですよ、お兄さん~っ……!」


 寒くもないのに布団を頭までかぶって枕に顔を埋めた真昼は、夕の横顔を思い浮かべてバタバタと両足を布団の上で暴れさせる。

 隣人に心をかき乱される少女の苦悩は、まだしばらく続きそうだった。

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