第一一六食 自炊男子と病人食②

「んっ!? んまっ!? お兄さん、このおかゆめちゃくちゃ美味しいですっ!」

「そうか、それは良かった。あとそれはおかゆじゃなくて雑炊ぞうすいな」

「美味しければ呼び方なんてなんでもいいんですよ!」


 初めて作ったにしては上手に出来ていたらしい自作の卵雑炊を、真昼まひるが次々にレンゲで口へと運ぶ。俺はその様子を隣で眺めながら、一夜にしてここまで食欲を取り戻したらしい少女の回復力に驚き半分、呆れ半分の表情を浮かべていた。


「というかおかゆと雑炊ってなにが違うんですか?」

「米をく段階で水分量を多くして作るのがお粥で、先に炊いておいたごはんをスープなんかに入れて煮込むのが雑炊……らしい」

「おおー! さすがお兄さん、博識ですねっ!」

「ふっ、まあな」


 などとニヒルに笑ってみたものの、本当はさっきレシピを調べている途中でたまたま知っただけである。そもそも俺の実家じゃ先に炊いたごはんをお湯で煮込んだ食べ物を〝お粥〟と呼称していたのだが……あれは厳密には〝お湯で作った雑炊〟ということになるのだろうか?

 頭の中で「じゃあ俺は本物のお粥を食べたことないんだなあ……」とどうでもいいことを考えていると、あっという間に雑炊が入っていた片手鍋をからっぽにした真昼がはふ、と息をついた。


「すみませんお兄さん。私のために朝からこんなに美味しいものを作ってもらっちゃって……」

「いいよ、大した手間じゃないから。それにどうせ今日はやることもないしな」


 これは真昼に気を遣って言ったわけではない。高校までと違い、大学生の夏休みには〝夏休みの宿題〟に類するものがほとんどないのである。

 通年で履修りしゅうしている授業では宿題を出されることもあるが、本来大学生の夏休みは職業体験インターンシップ慈善活動ボランティアを筆頭に、将来のためになる活動にてるべき時間だ。将来希望通りの職にくために大学まで進学したのに、大量の宿題に追われるわけにはいかない。

 ……とはいえ俺のように面倒くさがりな大学生も当然いるし、うちのように決して名門と呼べない大学においては夏休みを合コンかバイトについやす学生が過半数を占めているのではなかろうか? まったくなげかわしい……いや、俺は他人ひとのことを言えないのだけれども。


「……それにしても」


 俺はどことなく申し訳なさそうな空気をただよわせている真昼から視線を切り、話を逸らすように部屋の中をぐるりと見回した。


「……相変わらず汚い部屋だなあ」

「うぐっ!? い、いえ、これはあのそのっ……!?」


 途端に顔を赤くして慌てふためく真昼。まあ無理もない。以前この部屋を掃除してからまだ一、二ヶ月ほどしかっていないはずなのに、既に大量の衣類が足の踏み場もないくらいに散乱しているのだから。


「……俺、知ってるぞ。こういう女の子のことをなんて言うのか」

「え?」

「ズバリ――〝女子力が低い〟だ」

「はぐうっ!?」


 真昼は矢でも突き立てられたかのように胸を押さえて後方に倒れ込む。……その際、彼女は後ろの壁に思いきり頭をぶつけてしまい、「ぐぇっ!?」と可愛くない悲鳴が上がった。


「お、お兄さん! よく女の子相手に面と向かってそんなヒドイことを言えますね!?」

「事実じゃねえか」

「そんなことありませんっ! き、今日はたまたま散らかってるだけですからっ!? いつもは綺麗ですから!?」

「いや、今のところ俺がこの部屋を訪れて最初から床が見えていた確率は〇パーセントなんだけどな?」

「あーあーっ! 聞こえませーん、聞こえませーんっ!」


 両手で両耳を塞いで〝聞こえないアピール〟をしてくる現役女子高生。……せっかく料理を覚えてきたのに、それ以外の家事スキルは相変わらず壊滅的らしいな、この子。


風邪かぜが治ったらちょっとは掃除しろよ? じゃなきゃまたゴキブリが出ても助けてやらないぞ?」

「うえぇっ!? そ、それは困ります!? いざ虫が出てもお兄さんが助けてくれるから大丈夫って思ってたのに!?」

「俺の助けを前提に掃除をサボるな、アホ」

「い、いたい、痛いですよお兄さん~!」


 ふざけたことを抜かす少女の左こめかみを、握り拳の骨の部分でぐりぐりしてやる。すると彼女は俺の手から逃れつつもくすくすと楽しそうに笑った。いったいなにがおかしいのやら。


「ったく、この分じゃそのうち掃除まで俺が教えることになっちまうぞ」

「! い、いいんですかっ!?」

「えっ? お、おう?」


 何気なく言った冗談に食い付いてきた真昼の迫力に、思わず考えなしに頷いて返してしまう俺。


「じゃ、じゃあ風邪が治ったらお兄さんの〝お掃除の極意〟を教えてくださいね!?」

「ねえよ、そんなもん」


 なんだよ〝お掃除の極意〟って。俺はプロの主婦かなにかか。

 そもそも自分で言っておいてなんだが、掃除について俺が彼女に教えられることなんてなにもない。特に真昼の部屋が汚い原因は床の上に散らかされている大量の衣類だ。つまりそれらを都度都度つどつどこまめに片付けてさえいれば、大層な掃除を覚える必要などないのである。……しかし。


「そうと決まれば、まずは風邪を完璧に治さないとですねっ! 見ててください、お兄さんっ! 明日にはもう風邪を引く前よりも元気になってますからねっ!」

「……はいはい、分かった分かった」


 ――それをモチベーションにして彼女が早く元気になってくれるなら別にいいか。

 俺はそんなふうに考えながら、もりもりとバナナを頬張る彼女の横顔に微笑みを向けていた。

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