第八六食 小椿ひよりと恋愛調査③

「ねえねえ君たち、二人で遊びに来たのー? 良かったら俺らと遊ばなーい?」


 ゆるふわ女子が乗っている浮き輪を押しながらばた足を繰り返すひよりの耳に聞こえてきたのは、そんな面白味の欠片もないナンパの決まり文句だった。声の主は見るからに軽薄そうな二人組の男たち。年の頃は高校二、三年くらいといったところだろうか。ゆう蒼生あおいと比べると少し子どもっぽく見える。


「え……えっと……?」


 一方、波打ち際で砂山を作って遊んでいた真昼まひる雪穂ゆきほの二人は揃ってぽかんとした表情かおをしていた。おそらく二人ともナンパされたのは人生初なのだろう。どうしていいのか分からない、という感情がありありと見てとれた。


「うわー、ほんとにナンパされてるー。こんな家族連れ御用達みたいな海水浴場ところでもやっぱいるんだねー、あーいうのー」

「みたいだね……っていうかアキ、あんた自分で泳ぎなさいよ」

「えーやだー。海水に浸かったら髪ギシギシになるんだもーん」

「あのねえ……」


 わがままなことを言うマイペースなゆるふわ女子に、ひよりは浮き輪ごと彼女を足がつく辺りまで移動させた。そして状況に似つかわしくないのんきな様子で「いてらー」と手を振る亜紀あきに苦笑し、ひよりはばしゃばしゃと海水を蹴って真昼たちの方へ向かう。


「こ、困ります……!」

「えー? いーじゃんいーじゃん、俺らと遊ぼうぜー?」

「い、いや、私ら男の人と遊びに来てるから……」

「まーたまたー。そんな警戒しなくていいってー」


「(警戒するべきなのはあんたらの方だけどね……)」


 わずかに膝を震わせながらも連れの存在をほのめかして諦めさせようとする雪穂と、少しおびえたような目をしている真昼。そんな友人たちの姿を見て――ひよりはパキッ、と右手の骨を鳴らす。

 小椿こつばきひより。学校でも一部の男子生徒から恐れられ、無防備なところが目立つ親友まひるよこしまな考えで近付こうとする有象無象を拳の空振り一つで震撼しんかんさせる道場通いの少女。

 彼女の前で彼女の大切な友に手を出そうとするなど、猛獣の目の前でその仔をさらおうとするようなものだ。亜紀が真昼たちの窮状を見ても平然としていたのはなにも薄情がゆえではない。ただ単に、ひよりがいれば心配する必要などないからである。


「おい、あんたら――」


 猛獣のごとき怒気を宿した瞳と共に、ひよりが真昼たちの腕に手を伸ばしかけているナンパ男たちに呼び掛けようとした――その時だった。


「真昼ーーーーーッ!」

「雪穂ちゃーーーーーんッ!」


「!?」


 いきなり後方から聞こえてきた余裕のない、ある意味間抜けなその二つの叫び声に、ひよりは気勢をがれてガクッと片膝を折った。そしてひよりだけでなく真昼と雪穂、ナンパの男たちまで、奇声が聞こえてきた方向に顔を向ける。


「真昼ーーーッ! 無事かァーーーッ!?」

「ひいっ!? お、お兄さんっ!?」

「雪穂ちゃんッ! なにもされてないッ!? 胸とかお尻とか足とか触られたのッ!?」

「ひゃっ!? いいいいえあのっ、そんなことはされてないですけどっ……!?」


 全力で駆けてきたのは言うまでもなくゆう蒼生あおい、二人の大学生だった。彼らは片や真昼を背に庇うように立ち、片や雪穂の細い身体をがばっと抱き締めて、それから揃って呆然と立ち尽くすナンパ男たちのことをギロンッ、と鬼の形相で睨み付ける。


「おのれ、この卑劣漢どもめッ……! よくもうちの可愛い女の子たちのあんなところやこんなところを触ってくれたね……!?」

「ひ、卑劣漢? あ、あの、俺らまだなんもしてないんですけど……」

青葉あおば……俺は今初めて法学部選んで良かったと思ってるぞ……この性犯罪者のクソ野郎どもをルールのっとって抹殺できるからな、社会的な意味で」

「性犯罪者のクソ野郎!? ちょ、ちょっと待ってくれ、俺たちその子らに声掛けただけなんだけど――!」


 明らかに焦った様子で物騒なことを言う二人の制止を試みる男たち。しかしその声はくわっ、と目を見開いた蒼生の声に遮られる。


「命をける覚悟もなくこの子たちをナンパしたっていうのかいッ!?」

「いやナンパに命懸けるヤツなんていねえよ!?」

ずは携帯でこいつらの顔写真撮って、匿名のSNSサイトでその写真をばらいて情報提供をつのって、学校か職場が割れたらそこにこいつらが犯した悪行の限りを通告して退学・退職に追いやって……」

「なんかぜんぜん法律関係ないやり方で報復しようとしてるんだけど!? お、おい逃げるぞ! この子たち、やべえ連中の女だったッ!」

「じょ、冗談じゃねえよ、手出したわけでもねえってのにッ!?」


 軽い気持ちのナンパ程度のことで社会的に殺されてたまるかと言わんばかりに、バタバタと人波にまぎれるように逃げていくナンパ男たち。そしてその様を一歩離れたところから眺めていたひよりは、血を見せる覚悟さえして真剣に怒っていた自分がなんだか馬鹿を見たような気分になる。


『(家森やもりさんがひまのことをどう思ってるのか……今日、チャンスがあったら聞いてみようかな……)』


「……聞くまでもないかな、これは」


 一人そう呟いたひよりの視線の先には安堵した真昼に背中から抱きつかれ、途端に鬼の形相から〝父親〟のものとも〝母親〟のものとも違う表情かおで赤面する夕の姿があった。

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