第六七食 家森夕とヤンキー女②

「ち、千歳千鶴ちとせちづる……」


 正直得意ではない、というか苦手な同期ゼミ生のご登場に、俺は思わずそのヤンキー女の名前を呟いていた。去年一年間で一応知り合い程度の関係を築いてはいるものの、こうして他の授業や試験の場で言葉を交わしたことは少ない。ゆえに妙な緊張感が俺と彼女の間に流れる。


「フーーーッ……」


 しばらくそのまま睨みをきかせていた彼女は、やがて瞑目しながら長く息を吐き出し、首をゴキンッ、と鳴らした。


「……クソうるせェ野郎共が後ろで騒いでやがンなと思ったら……テメェかよ、ヤモリ」

「いやイントネーション」


 その言い方だと爬虫類ヤモリになっちゃうから。「やり」じゃなくて「もり」だから。

 しかし俺にそんな細かいツッコミをするだけの暇も与えぬまま、ヤンキー女改め千歳は席から立ち上がって二つ後ろの席に座る俺の方まで近寄ってきた。

 ちなみに頭から机に叩きつけられた二名の友人たちは、まさか気絶しているわけでもないくせにその場からピクリとも動こうとしない。……死んだフリだ。そして俺の隣に座っているこの騒ぎの元凶はと言えば、「自分は無関係ですよ~」と言わんばかりにひゅるひゅると適当な口笛を吹きつつあさっての方向を向いていやがる。

 俺が「こいつら三人、後で絶対シバく」と考えていると、すぐ目の前までやってきた千歳はぐいっ、と顔を近づけてきた。


「いいトシこいてギャーギャー騒いでンじゃねェよ。周りの迷惑くらい考えやがれ」

「お、おう……悪かった、ごめんな」


 さっきの千歳の咆哮も大概だったと思うけど……とはもちろん言わない。今回は俺たちに一〇〇パーセント非があるし、俺たちが騒がなければ彼女が大声を上げることもなかったのだから。

 素直に謝罪すると、ヤンキー女はフンと鼻を鳴らしつつ「分かりゃいいンだよ」と俺から顔を離した。


「ここにいる連中の大半はマジメに試験受けに来てンだ。テメェらが試験捨てンのは勝手だが、勉強してる奴の邪魔になるような真似すンなよ」

「そ、そうだな。気を付けるよ」


 さっき青葉に対して同じ事を思っていたはずなのに、いつの間にか自分が加害側に立ってしまっていたらしい。

 すると「青葉と同レベルかぁ……」と内心ショックを受けていた俺を見てどう思ったのか、千歳は「チッ」と舌打ちをした。


「おいアオバ。さっきから知らん顔してンじゃねェよ、テメェも同罪だろうが」

「うひゃっ!? ば、バレてたんだ……も、もうー、人が悪いなあ千鶴ちゃんはー」

「うるせェよボゲ。友達ダチが頭下げてンのにガン無視決め込んでンじゃねェ」

「ぐはっ!?」


 心に刺さるド正論を言われ、青葉が胸を押さえて倒れ伏す。……意外だな、青葉コイツにも良心って残ってたのか。

 なお今の発言からも分かって貰えるとは思うが、千歳千鶴という女は決して悪い奴ではない。確かに粗暴で口が悪いものの、言っていること自体はいつも正しいし、誠実に接すれば誠実にこたえてくれる。俺も彼女のことは苦手ではあるが嫌いではなかった。むしろ人としては好きなタイプだ。


「(とはいえ見た目と言動がアレだから、体育祭とかには誘えなかったんだよなぁ……真昼まひるとかめちゃくちゃ怖がりそうだし……)」

「……なにジロジロ見てやがンだよ、あァ? オレの顔になんかついてンのか?」

「い、いや、なんでもない」


 メンチを切ってくる彼女から目を逸らす。今どき一人称に〝オレ〟を使う女というのも彼女くらいだろうが、それは個人の自由なので俺が口を挟むようなことではあるまい。

 するとタイミングよく大講義室前方の扉から試験監督の先生たちが入ってくるのが見えた。この試験は自由着席ではないので、黒板に貼り出される指定座席に着かねばならない。


「チッ、結局時間ムダにしちまったじゃねェか……」


 大雑把そうな見た目に反して一切の傷みを感じさせないショートの金髪を指先でクリクリといじりつつ、千歳がぼやくように言った。


「じゃあな。もし次騒いでンの見掛けたら……そン時はぶちのめすからな」

「お、おう」


 最後にドスの利いた声でそう言い残し、鞄を乱雑に掴んで歩いていくヤンキー女。その後ろ姿が十分遠ざかった頃になってようやく机と口づけをしていた三人がむくりと身体を起こした。


「ひぇー。お、おっかなかったなぁ、千歳!」

「マジでな。しっかし見直したぜ、ゆう! ブチギレてる千歳から逃げないなんてよ!」

「そうか。ちなみに俺は死んだフリでやり過ごそうとしたお前ら三人のことを見損なったけどな」

「えっ、もしかしてそれ私も入ってる?」

「逆になんで自分は入ってないと思ってるんだよ元凶だろ」

「悪かったって。今度メシ奢ってやるから許してくれよー」


 露骨にご機嫌を取りに来る友人たちにため息をつきつつ、俺は講義室前方で一際目立っている金髪の彼女に視線を送る。より正確に言えば彼女が片手に抱える鞄につけられている装飾品に、だ。


「(あんなナリなのに、相変わらずああいうの好きなんだな、アイツ……)」


 それはネコやらイヌやらアンパンやら、幼い子どもが好きそうなキャラクターキーホルダーの束。どこからどう見ても不良っぽい外見の千歳が持つにはあまりにも可愛らし過ぎるようにも思えるが……どうやら彼女、ああいった〝カワイイもの〟が大好きらしい。


「(……人は見掛けによらないよなぁ、ホント)」


 見た目だけなら女子力高そうな真昼、見た目だけならイケメンな青葉、そして千歳。

〝人を見掛けで判断してはいけない〟という小学校の頃に道徳の授業で習ったようなことをこのトシになってから実感している俺なのであった。

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