第六六食 家森夕とヤンキー女①


「うぼあぁー……もうテストやだよぉー……寝不足で死んじゃうよぉー……」


 歌種大学法学部。そのオンボロ学舎の大講義室に集まった学生たちが奏でる雑音ざわめきの中、一際うるさい呻き声が俺の真横から聞こえてきた。

 どう見ても寝不足の奴の目付きではないのにちらちらと〝構ってくれアピール〟をしてくるそいつに、俺は仕方なく声を掛けてやることにする。


「生きてるか?」

「死にかけだよぉー……助けてぇー……」

「あっそ」

「ちょっと!? 仮にも大親友が死にかけてるっていうのに『あっそ』の一言で済ますつもり!?」

「うるせえな。蘇生してほしいなら教会か医学部で倒れてこい。そんで試験開始時刻に遅れて落単しろ」

「あっ、『大親友』は否定しなかったね!? うっひょー、これで私とゆうは公認大親友! ねーねーダーリン、今日はどこに連れてってくれるのいだだだだだッ!? 折れる折れるッ! 手首折れちゃうッ!?」


 より一層騒がしくなった友人の女――青葉蒼生あおばあおいに顔をしかめ、俺は気色悪いぶりっ子をかましてきた彼女の腕をあらぬ方向に曲げる試みを中断した。


「なんだよ。どこかに行きたがってるみたいだったから病院送りにしてやろうと思ったのに」

「なんで!? どこの世界に愛する女を連れて病院に行く男がいるのさ――ハッ!? ま、まさか夕ってば……産婦人科のこと言ってる!? や、やだもう~、夕のえっちぃ~――」

「一秒以内にそのれ言をめなかったら性的嫌がらせセクハラとして訴えてやるよ。待ち合わせ場所は最寄もよりの裁判所な」

「本当にすみませんでした」


 一瞬で背筋を正して座り直した青葉は、しかしすぐにへにゃりと机の上に倒れ込む。

 普段から授業への出席率がよろしくない彼女にとって、この試験期間はなかなかの地獄だろう。まあ完全に自業自得なのだが……しかし今回は俺も苦戦させられている分、親近感を覚えないこともない。

 するとそんな青葉に、俺の前の机についていた別の友人たちが横座りになって声をかける。


「おいおい青葉、お前また勉強してこなかったのかよ。俺もだけどさ」

「むっ、失礼な。勉強はしたさ! したけどさっぱり分からなかっただけ!」

「それ一番絶望的なやつじゃん」

「俺もこの授業サボりがちだったからレジュメ何枚か足りないんだよなぁ。夕、ちょっと講義ノート見せてくんねえ?」

「俺が一通り見終わったらな」

「あと一五分で試験始まっちまうじゃん! 間に合わねえよ!」

「俺だってノート貸せるほど余裕ないんだっつの。自分がサボった分のツケが回ってきたんだ、甘んじて受け入れろよ。……レジュメだけなら貸してやるから」

「厳しい! でも優しい、ありがとう!」


 俺が友人の一人にファイルを手渡していると、もはや諦めたように駄弁ダベり始めていた青葉が「ねえねえ夕ー」と頬杖をつきつつ言ってきた。……自分が勉強しないのは勝手だが、俺の邪魔をするのはめてほしい。


「今晩飲みに行こうよー、久し振りにさぁー」

「明日も試験だろ、勉強しろよ」

「もう疲れたんだってぇー、最近他学部の子たちも勉強ばっかでさぁー。なんで皆そんな同時多発的に勉強してんのさ、おかしくない? 同時多発するのはテロだけにしようよ」

「テロの方が駄目だわ。つーか試験期間に勉強すんのは正常だよ。飲みに誘ってくる異常者も、ヒトの勉強を邪魔してくるテロリストもお前だけだ」

「なにさー! ふんっ、いいよね夕は! 家に帰ったらJKがご飯作って待っててくれるんだもんね!」

「ちょっ、お前!? なにデカい声で言ってんだ!」


 慌てて彼女の口を塞ごうとするも、当然時既に遅し。真昼まひるのことを話していなかった他の友人たちが一斉にこちらを振り返った。


「はァ!? おいおい待て待て、今なんつった!?」

「夕がJKにメシ作らせてるって聞こえたぞ!?」

「人聞きの悪い言い方すんな!? と、隣の部屋の子が試験が忙しい日だけ作ってくれてるってだけだよ!」

「なんも違わねえじゃねえかよ!? おいおいおい、ふざけんなよお前!? 最近みょーに付き合い悪いと思ったらそういうことか!? 年下のカノジョ出来たんか!?」

「テメェこの野郎!? レジュメ貸してくれた男前な一面にちょっとだけトキメいた俺の純情を返せ!?」

「知らねえよ! つーかレジュメについては普通に感謝しろ!」

「どうもありがとう! そして爆発しろ!」


 ――俺たちがそんな風に騒いでいた、その時だった。


「ッッッせェんだよこのダボ野郎共がァッ!」

「んべふっ!?」

「あぎっ!?」

「!?」


 ――空を割るかのごとき咆哮とともに、俺に掴みかかってきていた友人二名が顔面から机に叩きつけられたのは。

 突然のことに驚いて顔を上げてみると、彼らの後頭部を両手に一つずつ掴んで机に擦り付けている犯人がギロリと俺と青葉に睨みをきかせていた。そしてその人物を見て、俺は内心で「ゲッ!?」と頬を引きつらせる。


 それは青葉と同じくらいの長身を誇る女だった。

 夏場だというのに気合いの入った黒の革ジャケットを着用し、染め抜いた金色の髪に加えて耳には大量のピアスを開けている不良ヤンキー

 俺たちと同ゼミに所属し、かつその中でもトップクラスの変わり者として名高い彼女の名は――


「ち、千歳千鶴ちとせちづる……」


 ……なんでうちの大学って、真昼みたいなまともな女の子が居ないんだろうな。

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