第六三食 試験日程と大学生

「おっはようございまーっす!」

「いらっじゃい……」

「暗っ!? アンド怖っ!? だ、大丈夫ですかお兄さん!?」

「だ、大丈夫大丈夫……」


 真昼まひるたち高校生組が夏休みに入って数日。朝から元気いっぱいな彼女とは対照的に、俺はぐだりとテーブルの上に突っ伏していた。試験勉強の追い込みで半徹し、ノートPCのキーボードの上で眠ってしまったせいで首が絶妙に痛い。

 心配そうな顔でとてとてとフローリングの上を歩いてくる女子高生に返事をして、網戸以外は開け放してあるベランダ窓の外に目を向ける。


「今日も暑そうだなあ……こんな中通学するとかどうかしてるよ日本……」

「試験、今日からなんですよね?」

「うん、一〇日間くらいね」


 他の大学や学部がどうかは知らんが、歌種うたたね大学法学部の前期試験は七月末から八月頭にかけて実施される。一日あたりの平均科目数は二、三科目程度で、中学や高校の頃とほとんど変わらない。また一、二回生の間は教養科目なんかも履修しているから、中にはいわゆる〝楽勝カモ〟な授業だってある……もちろんその逆で単位が怪しいレベルの鬼畜科目もあるわけだが。


「特に今日はキツい科目が固まってたから徹夜するつもりだったんだけど……いつの間にか寝ちまってたな……」

「顔にキーボードの跡がついてますよ」

「えっ、ま、まじで?」


 格好悪いなあ、と言いつつ頬をさする俺に、真昼はくすくすと可愛らしく笑う。……なんか癒し効果があるな、この子の笑顔。


「じゃう今日の朝ごはんは私が作りますね。お兄さんはちょっとでも休んでてください」

「えっ……い、いいのか?」

「はいっ! といっても食パンと卵を焼くくらいですけど」

「いや十分ありがたいよ。じゃあ……お言葉に甘えて」

「まっかせてください!」


 トン、と自分の胸を叩き、いそいそと自分用のエプロンを着けてキッチンへ向かう女子高生の背中をなんとなく目で追う俺。以前までなら彼女に一人で料理をさせるなど危なすぎてあり得なかったが、最近は何度か作った料理であれば許可するようにしている。

 もちろん火と刃物の扱いには注意させているし、もし頻繁に怪我をするようならやめさせるつもりだが……今のところは心配なさそうだ。とはいえ慣れた頃が一番危ないというのは料理でも運転でも同じなのだが。


 そして約一〇分後、少しだけ焦げたトースト二枚とマーマレード、目玉焼き二つに付け合わせのカリカリベーコン、そしてインスタントのコーンスープが入ったマグカップが俺と真昼の前に並べられた。

 礼を言い、二人で「いただきます」をしてからいつものように食事をり始める。


「ん、美味うまい。成長したなあ、真昼……」

「本当ですかっ!? ……って目玉焼きもベーコンもただフライパンで焼いただけですけど」

「いやいや、あの超が付くほど不器用だった〝旭日あさひさん〟と同じ人が作ったとは思えないほどの進歩だよ。例えるならそうだな……オタマジャクシがサルに進化した、みたいな」

「種族変わっちゃってるじゃないですか! しかも結局おさるさん扱いだし!」


 そんな冗談を交えつつあっという間に朝食を食べ終え、それぞれ食器をシンクまで持っていく。後片付けまでやりたがる真昼を押さえ――流石に一から一〇までやらせるのは申し訳ない――洗い物を済ませてから再び部屋へ。


「でもありがとな、真昼。本当に助かったよ」

「えっ……そ、そうですか?」

「ああ」


 朝食を代わりに作って貰えるだけでも試験の日の朝は大助かりだ。なにせ去年、特に自炊を始めた一回生後期の試験日程中はなにかとドタバタして大変だったのである。

 俺がそんな話をすると、パックの野菜ジュースの残りをストローで飲んでいた真昼は「じゃ、じゃあじゃあっ!」と瞳を輝かせてテーブルに身を乗り出してきた。


「お兄さんが試験期間のあいだは、私がお兄さんの分もお料理を担当しますっ!」

「……は? いや、それはちょっと……」


 突拍子もないことを言ってくる彼女に、俺は苦笑することでそれを受け流す。大助かりとは言ったが、真昼の貴重な夏休みの時間を俺のためにかせるなどあり得ない。俺たちはあくまで単なる隣人、どちらか一方に負担が偏った関係であってはならないのだ。


「……気持ちだけ貰っておくよ。せっかくの夏休みなんだ、俺に構うより小椿こつばきさんたちと遊びに――」

「嫌です! もう決めました!」

「決めるな」


 ふんす、と鼻息荒く宣言する女子高生に、俺はぷらぷらと片手を振ることで拒否の意を示す。


「な、なんでですかっ!? 私の作った料理なんて不味まずくて食べられないって言うんですか!?」

「『俺の酒が飲めないのか』みたいな言い方やめろ。そうじゃなくて、真昼がそこまでしなきゃいけない理由なんてないだろ?」

「あります!」

「な、なんだよ。言ってみろ」

「お兄さんが喜んでくれたら私も嬉しいからです!」

「意味が分からん。却下」


 固辞しようとする俺に、真昼はいよいよ涙目になって俺の腕にとりすがってきた。


「い、いいじゃないですかあっ!? 私ももっと一人でお料理したいですっ! そしてお兄さんに『フッ……真昼よ、とうとうこの俺を超えたな……』って言ってほしいんです!」

「俺は武術の師範か。分かった分かった、じゃあ次なんか作った時にでも言ってやるから、その台詞」

「そんな雑なお情けで言って貰っても意味ないですっ! 実力で認められないと免許皆伝にはならないんですよっ!」

「ちょっ……こ、こら、引っ張るな引っ張るな!」


 ぐいぐいと腕を引いてくる真昼に、俺は慌てて声を上げる。夏も本番、シャツ一枚姿の女子高生から密着されるのはまずい。絵面的な意味で。

 しかし俺の制止も聞かず、彼女は俺の腕をぎゅうぎゅうと抱いたまま抗議を続けてくる。


「おーねーがーいーでーすーっ! 私もお兄さんのためになにかしたいんですーっ!」

「わ、分かった、分かったから!?」


 腕に伝わってくる彼女の柔っこい感触に、とうとうを上げてしまう俺。……このやり口は卑怯じゃないかい、真昼さんや。いや、本人は無自覚なんだろうけども……。

 顔が赤くなっていないことを祈りつつ、俺は「やったーっ!」と無邪気に両手を振り上げる真昼に「た、ただし!」と後出しじゃんけんのように条件を付け加える。


「料理を作って貰うのは大変な試験が控えてる日の前日だけだ。たとえば金曜の夜とか土曜日なんかは俺も切羽詰まってないし、その時は俺がメシを作る」

「えー?」

「えーじゃない。そうしないと不平等だろ。あと作っていいのはこれまでに教えた料理だけな」

「はーい……」


 本当に期間中の食事を全部一人で作る気でいたのか、渋々といった様子で頷く真昼。しかし直後には笑顔になって「じゃあさっそく今日のお昼はなににしましょう~!」とあれこれ考え始める。


「っと、そういえば冷蔵庫からっぽでしたよね。私今日一日暇なので買い物も任せてください! 今日は卵の特売日なので朝イチで行ってきますね!」

「女子高生の夏休みの過ごし方としてどうなんだよそれ……。あー、じゃあ一応、渡しといた方がいいか」

「?」


 疑問符を浮かべる彼女に、よっこらせと立ち上がった俺は部屋の収納スペースの戸棚から取り出したものを手渡した。


「うちの合鍵」

「え? ……え? ……えええええっ!?」


 三段活用のごとく驚きの声を上げた女子高生は、手の中の鍵と俺の顔を交互に見てくる。


「いっ、いいんですか!?」

「えっ、うん。だってそれがないと買い物した後、俺が帰るまで真昼の部屋の冷蔵庫に入れなきゃいけないだろ? 二度手間だし、それにそっちの冷蔵庫はうちのよりさらに小さいしな」

「そ、それはそうかもしれませんけど……! い、いえ、分かりました! 確かにお預かりします!」

「お、おう?」


 よく分からないテンションで鍵を握り締める真昼に、俺は大袈裟だなあと思いながらも頷くのであった。

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