第三七食 友人たちと塩加減


 近所で評判のラーメン屋にて昼食を終えた俺と青葉あおばは、二人連れ立って高等部への道を歩く。同じく体育祭を観に来た父兄たちだろう、周囲には俺たちが真昼まひるから受け取ったプログラム表を眺めつつ歩く人がちらほら見られた。


「……あのラーメン屋、なんか評判のわりにはイマイチじゃなかったか?」

「そう? 私は十分美味しかったと思うけど?」

「いや、そりゃ美味うまいは美味かったけどさ……」


 しかしなんというか、わざわざ四〇分弱も並ぶほどの価値があったかと言われれば微妙なところだ。その上ラーメン一杯に九五〇円……普通の範疇とはいえ、貧乏大学生の俺の財布には手痛いダメージである。ちなみに俺は普段、昼食に五〇〇円ワンコイン以上投資することはほとんどない。


ゆうは貧乏舌だから、ああいう人気店の味が合わないんじゃないの~?」

「うっせ、誰が貧乏舌だ」


 ……間違いなく貧乏舌だろうけれども。ぶっちゃけ今日のラーメンと日頃食ってる一つ一〇〇円のカップラーメン、どちらが好きかと問われれば後者を選ぶまであるけれども。しかしそれを認めてしまうのもなんだかシャクだった。


「(……もし真昼が居れば、あのラーメンももう少し美味いと思えただろうか……)」


 ふと、購買でパンを買うと言っていたお隣の女子高生の姿が脳裏に浮かぶ。

 料理を教え始めて以来、朝夕の食事を共にすることが多い彼女は、いつも本当に美味しそうにものを食べる。それが俺の作った安っぽいベーコンエッグだろうが、火加減を誤り焦げてしまった生姜しょうが焼きだろうが、インスタントの味噌汁だろうが。

 そしてそんな彼女と共にする食事は、なぜだか不思議と美味しく感じるのだ。豪勢とはほど遠い、スーパーで特売されている食材ばかりを使った貧相な料理だとしても。

 あの子が机を挟んだ向こう側、笑顔で食事をしているだけで――


「夕、どうかしたの? 考え事?」

「ん……? ああ、大したことじゃない。あのラーメンがイマイチだったの、一緒に食った相手が悪かったのかなって思っただけだ」

「どういう意味!? えっ、私のせいだって言いたいの!?」

「そうじゃなくて……あー……それでいいや、もう」

「説明するの諦めないでよ!? 脈絡もなく責任転嫁された私の身にもなろう!?」


 騒がしい友人を無視スルーしつつ、高等部の門を潜る。受付でさっき入った時と同じように招待状を見せ、人波に流されるままグラウンドの方へ向かう。


「この後は真昼ちゃん、なんの競技に出るの?」

「えーっと……真昼はあと一年生のクラス対抗リレーだけだったかな。あとは小椿こつばきさんが騎馬戦に出るらしい」

「騎馬戦! いいね、私も高校の頃体育祭でやったよ。騎馬なりに戦おうと思って敵馬のすねを蹴ったら退場させられた」

「お前のそういうはた迷惑なとこ、昔からなんも変わってないのな」

「そういう夕はあれだよね、体育祭休んでも特に支障が出ないタイプの子だよね」

「人を役立たずみたいに言うな。……たしかに活躍した記憶なんかこれっぽっちもねえけど」


 むしろ苦い思い出の方が多々ある地元高校の体育祭を思い返していると、本校舎から見覚えのある長袖ジャージの少女がパタパタと駆け出して来るのが見えた。噂をすればなんとやら、真昼の友人の小椿さんだ。


「おーい、小椿さーん!」

「!」


 遠目から手を振ると向こうもこちらに気付いたらしい。よく見ると後ろにはさっき青葉にメロメロだった二人もいる。たしか冬島ふゆしまさんと赤羽あかばねさん、だったか。


家森やもりさん。良かったです、ちゃんと見つかって」

「?」


 まるで俺を探していたかのようなことを言う小椿さんに小首を傾げると、彼女はなにやら小さな包みを差し出してきた。

 それは――食品用ラップに包まれた一つのおにぎり。


「えっと、これは?」

「……ひまが、〝お兄さん〟に食べてもらうために作ったおにぎりです」

「!」


 それを聞いて、手の中の包みを改めて見下ろす。俺の両手ですっぽり覆えるサイズのそのおにぎりは――確かにこのところ、ことあるごとに真昼が練習を重ねていたものにそっくりだった。

 初めておにぎりを作ったあの日以来、彼女はいつも「まだダメです!」と言って俺の分は作ってくれなかったのだが……それが今、俺の手のひらの上にちょこんと乗せられている。


「……ひま、本当は今日、お兄さんのために早起きしてお弁当を作ってきていたんです」

「えっ……」

「まあ寸前のところで渡せなかったので、その一つ以外はこの子たちに食べて貰ったんですけど……でもあの子、やっぱり家森やもりさんに食べてほしかったんだと思うんです」


 小椿さんがそう言うと、彼女の後ろの友人二名も「あからさまに残念そうにしてたもんねー」「ねー」と同調した。


「ひまは――真昼は、不器用なりに頑張ってそのおにぎりを作ってました。だから……どうか食べてあげてもらえませんか?」

「……」


 もう一度、自らの手の中に視線を落とす。やや歪な形をしているのは出来上がった時からそうだったのか、それともここまで運んでくる間にこうなってしまったのか……おそらく前者なのだろうな。

 俺がそんなことを考えて思わず笑みを浮かべていると、隣にいるやかましさに定評のある女友達がニヤニヤとからかうような目を向けてくる。


「ふふっ。愛されてますなぁ、けますなぁ、夕くーん?」

「うっせえよ、冷やかしてんじゃねえ」


 突っぱねつつ、俺はその場でおにぎりの包みを解いた。

 なんの変哲もない、おそらくはただの塩むすび。しかし初めて作ったあの日とは比べ物にならない完成度だ――少なくとも、見た目の上では。


「……いただきます」


 呟き、その場で立ったままおにぎりにかぶりつく。友人ならびに女子高生三名に見られながらこんなところでメシを食うことに抵抗がないとは言わないが……それ以上に、俺にはこれを食う義務があると感じたのだ。


「ど、どうですか……?」

「……」


 緊張の表情で聞いてくる小椿さんに、俺は最初の一口をもぐもぐと咀嚼し、それを嚥下えんげしてから答えた。


「……最初はあんなに下手くそだったのに、上手くなったもんだ」


 すると真昼の友人たちは顔を見合わせ、そして自分のことを褒められたかのように柔らかな微笑みを浮かべる。

 そして飲んだくれ女がなおもニヤニヤ笑いながら「へえ~~~?」と言ってきやがるので、俺は舌打ち混じりに顔をそむけ、もう一口おにぎりを頬張った。


「……あとは、塩加減さえ良ければ完璧だったんだけどな」


 なんだか負け惜しみのような俺の蛇足じみた一言に、今度こそ彼女たちはとても嬉しそうに笑った。

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