第一〇食 不器用女子とカレーライス②

 結論から言って、旭日あさひさんの両親の判断は正しかったらしい。


「ジャガイモは綺麗に洗ってから包丁で皮剥きをして芽を取って……」

「お兄さんっ! 私のジャガイモ、芽が残ってません!」

「え? って皮剥き下手ヘタだな! 身がほとんど残ってねえ!?」


 ――下拵したごしらえの段階でジャガイモの総体積が半減し。


「ニンジンはピーラーで皮をいでから、こうして扇形になるように切っていく感じ」

「なるほど! 分かりました! ――いだぁっ!? 指の皮ぁーっ!?」

「旭日さーんッ!?」


 ――ニンジンの皮と一緒に、自分の人差し指の皮まで削いでしまい。


「タマネギは煮込んでるうちに溶けやすいから、気持ち大きめくらいに切った方が――」

「ううっ……!? なんだか涙が出てきました……!」

「すまん、それは俺にもどうすることも出来ん……!」


 ――タマネギを刻みながら二人揃って涙を流し。


「後はタマネギから順番に炒めていって、鶏肉に軽く焼き色がついたら水を入れて煮込んでいくだけだ」

「なるほど! 分かりました! ――あっづぁ!? てっ、手に油がっ――うぐっ!?」

「旭日さーんッ!?」


 ――鍋から跳ねた油が手の甲に直撃した挙げ句、反射的に振り上げた手を開きっぱなしだった戸棚扉の角に思いっきり強打し。

 ……たかがカレーを作っているとは思えないほど満身創痍まんしんそういになってうずくまる現役女子高生の姿に、俺は彼女の両親が心配する気持ちがとてもよく分かった気がする。この子に一人で料理なんてさせたら、そのうち本当に大怪我をしてしまいそうだ。


「……あの、お兄さん……もしかして私って、ものすごく不器用なんでしょうか……?」

「うん、まごうことなき不器用だと思うよ」


 床の上でぷるぷるしている旭日さんに残酷な現実を突きつけると、彼女はキッ、と涙目でこちらを見上げてきた。


「そ、そんなことないですよねっ! お兄さんは私が実は器用だと思いますよね!? ねっ!?」

「いや、びっくりするぐらい不器用だと思うよ」

「で、でも私カレーを作ったのなんて小学校の林間学校と中学校のキャンプの時以来ですし!? まだたった三回目なんです!」

「いや、普通の人はたとえ一回目でもそこまでボロボロにはならないと思うよ」

「そ、そんなばかな……!? それじゃまるで、私が普通の人より遥かに不器用みたいじゃないですか……!?」

「うん、遥かに不器用なんだと思うよ」


 ちなみに俺が初めてカレーを作ったのは半年前くらいのことだったが、特に苦戦した記憶はなかった。それこそタマネギで涙が出た程度だっただろう。


「うう……私のこの三年間はなんだったんですかね……一人暮らしでも今日まで生きてこられたから、てっきり自分は器用になったんだと思ってました……」

「(コンビニ弁当と惣菜ばっかの生活のどこに器用になる要素があるんだよ……)」


 むしろ不器用な人間の極致きょくちみたいな生活だろ、それ。ガチで落ち込んでいる様子なので、流石に口には出さないでおくが。


「……というか旭日さん、中等部の頃から一人暮らししてたのか?」

「はい、中等部一年の春からです。私の実家いえ歌種うたたねからかなり離れてるので」

「そうか……」


 ――つまりこの子は三年間、ずっとあんな食生活を続けてきたわけだ。

 見たところ彼女は健康そのもののようだが……もしもこのまま今までと同じ生活を継続すれば、いつか体を壊してしまうだろう。


「(よく見たら身体も結構細いしな……まあ普通に遺伝なのかも知れんが……)」

「……? あの、お兄さん? どうかしましたか?」

「えっ? あ、ああ、ごめん。なんでもない」


 俺の視線に、旭日さんが不思議そうに顔を上げる。い、いかんいかん。いくら心配でも女子高生の身体をジロジロ見るなんて変態の行動だ。

 俺は誤魔化すように咳払いをしてから続ける。


「さあ、続きをやろう。大丈夫、多少不器用でも、続けるうちにだんだん上手くなっていくさ」

「! は、はいっ! よろしくお願いします!」

「おう。といっても、後は灰汁あくとって煮込めば完成だけどな」


 パッと笑顔になった女子高生に微笑し、下手くそながらも丁寧に灰汁をすくっていく彼女を横から見守りながら考える。


「(ちゃんと料理を覚えられたら、この子にとってもそれが一番だろう。……次はもっと簡単に作れそうなものを調べておいてやるか。次があれば、だけどな)」


 そう思いながらも、俺は明日の大学帰りにレシピ集でも買ってこよう、と心にめておくのだった。


「んぎゃあっ!? か、カレーが制服にとんだぁっ!?」


 ……後は、この子のエプロンも。

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