第八食 小椿ひよりと警戒心

 放課後になってすぐに下校した真昼まひるとひよりは、最寄もよりのスーパーで買い物をしてから、真昼の住まいであるうたたねハイツ二〇五号室へと直行した。

 部屋に荷物を置き、必要なもの――といってもロクな調理道具を持っていないので食材だけだが――を持って、お隣さんである二〇六号室に向かう。


「なんだ、部屋番の下に表札ひょうさつ出てるじゃない。〝家森いえもり〟さん……かな?」

「あっ、本当だ。まったく気付かなかったや」

「というか、よく今まで名前知らないまま会話出来てたわね」

「え、えへへ……ずっと〝お兄さん〟って呼んでたから……」


 言いながら真昼が二〇六号室のインターフォンを鳴らすと、ドアの向こう側から小さく足音が聞こえてきた。続けてガチャリ、という解錠の音。

 同級生の男子ならともかく、大学生の男と話したことなどないひよりは、緊張からか無意識の内にごくりと唾を飲み込む。

 そしてゆっくりと開かれた扉の向こう側に立っていたのは――


「いらっしゃ……い?」


 ――なんというか、普通フツーの男だった。ひよりの中で形成されていた〝真昼を狙う悪質大学生〟のイメージが早くも崩れかかる程度には。


「(い、いや待つのよ私。人は見かけによらないって言うし、無害そうな顔して中身はドヘンタイっていう可能性だってあるんだから!)」


 緩みかけた警戒心きもちを引き締め直し、改めて悪質大学生(仮)の姿を見る。

 年上だけあって、身長はクラスの男子たちの平均よりも高い。体格は平凡、あるいはやや細めか。顔立ちは整っているというほどでもなければ不細工でもない、といったところ。容姿を五段階評価で表せと言ったら八割の人間は真ん中の〝三〟にするだろう。そして残りの二割は半分ずつ〝二〟と〝四〟だろうか。


「こんにちは、お兄さん! 今日はよろしくお願いします!」

「あ、ああ、こんにちは。えーっと、そっちの子は?」

「この子は私の友だちでクラスメイトの――」

「こ、小椿こつばきひよりです。ひまがお世話になってるそうで……」


 ひよりが軽く会釈しながら自己紹介すると、大学生は「ひま……?」と首を傾げる。


「あっ、私のあだ名です! す、すみません、よく考えたらまだ名乗ったことなかったんですよね! 私、旭日あさひ真昼っていいます!」

「あさひまひる……ああなるほど、だから〝ひま〟なのか……っと、スマン。俺は家森やもりゆうだ。こっちこそ今まで名乗りもせずに、ごめんな」

「(〝いえもり〟じゃなくて〝やもり〟だったのね……)」


 ひよりが「爬虫類みたいな名前だ」と心の中で失礼な感想を抱いていると、大学生改め家森夕がこちらに視線を向けてきた。


「それで、小椿さんは旭日さんの付き添いってことか?」

「は、はい。ひまは結構どんくさいので少し心配で……」


 もちろん方便である。……いや、真昼がどんくさいというのは残念ながら事実なのだが。


「……なので、良ければ私もお邪魔してもいいですか? その、ご迷惑だったら諦めますが……」


 こちらもデマカセだ。ここで真昼しか家に入れないと言おうものなら、即座に真昼の手を引いて隣室へ逃げる。そして、二度と真昼とこの男と関わらせないつもりでいた……のだが。


「そうなんだ。迷惑なんてことはないよ。汚い部屋で申し訳ないけど、どうぞ上がってくれ」

「……い、いいんですか? ……本当に?」


 意外なほどあっさりと許諾した大学生に、拍子抜けしたひよりは思わず問い返してしまうが、彼はなんでもないように「ああ」と頷くばかりだ。


「す、すみませんお兄さん。急に二人で押し掛けたりして……ただでさえ私、お料理を教えて貰う側なのに」

「気にしなくていいって。俺も素人だから大した料理を教えられるわけでもないし、それにせっかく作るなら友だちに食べてもらった方がいいだろ?」

「ひ、ひよりちゃんにですか!? ど、どうしよう、なんか緊張してきました……!」

「え……ど、毒見役ってこと……?」

「ひよりちゃんひどい!? それどういう意味!?」

「ご、ごめんごめん。つい本音が出ちゃって」

「余計にひどくなってますけど!?」


 憤慨する真昼をどうどうといさめつつ、ひよりは部屋へ入っていった大学生の背中を目で追う。今のところ怪しい様子はない、というか真昼が言っていた通りで普通にいい人そうだという印象だが……。


「(……でもまだ分からないわ。もう少し様子を見ないと……)」


 元気よく「お邪魔しまーす!」と玄関をくぐる親友に続いて、ひよりもまた初めての男子大学生の家の敷居をまたいだ。

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