第4話 Under the Constellation
「ねぇ、殺死屋さん」
「僕は殺死屋じゃない」
「ああ、そういえばそうだったわね」
三日月に満たない細い、笑みに似た月の夜。
二人の男女がガス灯の下を無防備に歩いていた。片方はこの街唯一の学院の制服を、もう片方は真っ赤なドレスを着た奇妙なカップルだ。
石灰石に近いふっさりとした灰色の頭髪の少年が赤髪の女性の後についていく、という通報されても違和感を覚えない、ちょっとした珍事。うら若き乙女と学生が夜中に外を出歩くなど、どこの国でも補導されて差し支えない。
しかして、その二人を見るものはおらず、また通報するものなどだぁれもいない。無人の街中を歩く二人を妨害するものはなにひとつとして存在しなかった。
美女の軽口に少年が閉口する中、ふと思い出したかのように美女が後ろ歩きをしながら振り向いた。
「そういえば、君はなんていう名前なのかしら。これからの短い間、パートナーとなる相手の名前を覚えないのは無作法というものだわ」
そう言って彼女は立ち止まり、優雅にドレスのすそを軽くあげてお辞儀をした。まさしく令嬢と呼ぶにふさわしい、見事な所作だった。
「わたしの名前はレアリティ・トゥルク・オールレア。長ったらしいからレアでいいわ。御身のお名前は?」
「ヘルガ……。ヘルガ・ブッフォ」
「そう、ヘルガね。ヘルガ、ヘルガね。いい名前ね。祈りだなんて」
死神と称する彼女が何を語源に自分を祈りとか呼ぶのか、理解の外だ。愛する彼女の言葉は最大限理解したいが、知識にない話は理解しがたい。
愛するがゆえに彼女の言葉を理解し得ない己をもどかしく思う。それはまるで彼女を理解できていないようではないか。愛するならば本人の趣味趣向、嫌いなものから各部の毛の数まで知っておくべきだ。
ましてぬくもりを感じるために切り刻んだ仲だ。より一層、知っておくことは大切だ。義務であり、責務だ。己の身命を賭してでも、あらいざらい知っておかねば愛は語れない。
「そういえばこれからどこに行くんだ?今の時間だとどこも真っ暗だぞ?」
あたりからガス灯が消え始めたのを皮切りにヘルガがふと口を開いた。住宅地を抜け、街の外周区にさしかかっていたため、足元もおぼつかない暗闇が濃く横たわっていた。
遠くの空が月明かりで輪郭を浮かばせ、その真下でなだらかな山が見えた。デイル・アート市を通っている古い河川をまたぐ石造りの橋の上で二人の男女は立ち止まり、それを見上げた。
最初に上を向いたのはレアだ。それに追随する形でヘルガが空を見上げた。彼女が見上げた先には星々が銀色に輝いていた。無数の星々がビーズをばらまいたかのように無造作に、無作為に大空を埋め尽くし、欲しいがままに光り輝いていた。
東の空にはおおぐま座と猟犬座が、蟹座と双子座が顔を表し、ひときわ大きなカストルとポルックスが頭上で煌々と輝いていた。
昔ながらに明かりが薄いデイル・アート市だからこそ見れる開放的な光景だ。機械化が進んだ現代で、都市の中でこれほどの星空を見ようと思ったら、都市一帯を停電させるしかないだろう。
「突然星なんて見始めて、どうしたんだ?」
自分の名前が星の名前だと知ったため、星座については調べた過去があるからどの天体が星座を成すか、なんとなくだがわかるヘルガからすればただ星がきれいだな、ぐらいの感覚しか覚えられない。
突然レアが星を見上げたのも星がきれいでつい、としか思えなかった。しかしレアはいたって真面目な面構えで、もう一度ヘルガに星を見るように促した。
なんだよ、と顔をしかめつつヘルガはまた空を見上げた。今日は月明かりが薄いからよく星が見える。闇夜の中銀色の光を放つ星々には憧れをいだかずにはいられない。
古代の暇人達の努力の結晶だ。
今の自分が星座を贅沢な絵として楽しめるのも彼らの暇つぶしの甲斐あってこそだ。自分にはとても星を絵に見立てる、という所業はできない。まして季節ごとの楽しみすら追求するなど……
「あれ?おかしくない、星の位置というか時期というか……」
「ようやく気がついてくれた?まぁ、こんな方法星座の配置がわかる人しかわからないのだけど、君が知っていて良かったわ」
本来だったら今の季節、つまり秋におおぐま座や猟犬座、双子座が見えるのはおかしい。今の時期に東に見える星座はペルセウス座やぎょしゃ座だ。たとえ西と東の両方から太陽と月が同時に出てきてもこれはおかしい。
ひょっとしたらヘルガの知らないうちに宇宙を揺るがす大爆発が起きて、星座の位置ががらりとかわってしまったのか、とすら思える。無論そんなことが現実で起これば大層な騒ぎになるが、現実としてここ数年、少なくともヘルガが星座の正位置を憶えてからそんな話は聞いたことがない。
「どういうことだ?僕の知っている星の位置とまるで違う」
「そうね。まずは異常事態を察してくれてありがとう。わたしに愛を告白する人だけあって、状況の飲み込みが早いわ」
「茶化すなよ」
むっとしてヘルガは話をすすめるよう催促する。レアもそれに応じて歩きながら話を始めた。
「――まず簡潔に事態を説明するなら、『デイル・アート市は停止している』。これに尽きるわ」
石橋を超え、左右に樹木が立ち並ぶ街道を歩く美女を一人の少年が追従した。少年が疑問を口にすると、美女は検索エンジンのように彼の質問に一つ一つ答えていった。
「文字通り、停止よ。街としての機能が四年前から維持できていない。有り体に言えばゴーストタウンになっているのよね」
「いや、それはおかしい。ここ四年の間、僕はこの街で過ごしている。ゴーストタウンになんてなるわけがない」
一般的にイメージするゴーストタウンとは無人の荒廃した廃墟が立ち並んでいる街だ。地方の過疎化した町村の成れの果てだ。今の活気あふれるデイル・アート市の印象とはかけ離れている。
「そうね。たしかに君には理解できないかもしれない。でも、現実よ。頭上の星空を見ればわたしの言っていることに信憑性が出るのではないかしら?」
にわかには信じられない、と眉間にしわをよせるヘルガにレアは再び天上を指差す。
しかし。確かに切り刻んだはずの女が次の日には路上を歩いている、星座の位置がまるで違う。二つの非日常の産物を前にしてもヘルガにはレアの言っていることが信じられなかった。
だって。
彼女が言っていることが事実では自分は死人ということではないか。
すでに君は死んでいる、と死者が知れば成仏してしまう、というのは古今東西の昔話でよく出てくる話だ。
「ま、これからその仕組みを話すわ。まぁ、厳密にはわたしが話すわけではないけれど」
そう言って目的地に着いたのか、レアは歩みを止めた。同時にヘルガも足を止めた。
彼らの目の前にはかわいらしい、こじんまりとした石造りの一軒家があり、窓の向こうで淡いランプの明かりがちろちろと揺れていた。中に誰かがいる、とヘルガが思考するやいなや、木でできたボロいドアが開け放たれた。
だが、開け放たれた扉の奥には誰の姿もない。入ってこい、と言っているかのようだ。
「相変わらず偏屈ね。あの手の人間は全員こうなのかしら」
特に警戒もせず、レアが入っていくのを確認してヘルガも後を追った。
小屋の中は暗闇が目立つ外とは対象的に温かみのある明かりが輝いていた。LEDのまばゆい光、というわけではなく、一昔前のオレンジ色の光を放つ白熱電球の光だ。
その最奥で一人の男がレアに対し膝を屈していた。奇抜なほど襟が立った暗黒色のマントに身をつつんだ神父風の老人。しかし首に十字架の姿はなく、代わりに黄金の懐中時計を腰に垂らしていた。
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