第7話 供養
「おーい!自衛隊と警察が、遺体を運んで来たぞ!」
死亡者・行方不明者は、連日のように捜索が行われた。
だが一向に片付かない瓦礫、津波で流されている為、捜索場所の特定ができないせいで、一日かけて捜索しても、数体上がればいい方だった。
「身元が確認できる遺体は、至急家族に連絡を入れろ!」
こういう時でも、朝美達市の職員は、否応なく借り出された。
「そこの君。家族に連絡取ってもらえるか?」
同じ職員らしき男性が、朝美に一枚の用紙を渡した。
「はい。」
用紙を見ると、男の子だった。
8歳、小学2年生。
その子らしい遺体が発見されたと、母親に伝えなければならないのだ。
偶然にも朝美のいる区役所に、その母親は避難していた。
朝美は人づてに、その母親を探した。
「田村さんという方を、ご存じですか?」
「ああ。田村さんなら、あそこだ。」
一人のお年寄りが、隅の方で女の子と遊んでいる女性を指差した。
「ありがとうございます。」
朝美は、少しずつその女性に近づいた。
最初に気付いたのは、遊んでいた女の子の方だった。
「どうしたの?由果ちゃん。」
そう、女の子に話しかける母親。
「すみません。」
「はい。」
「田村幸喜君の、お母さんでしょうか。」
一瞬、女性の顔色が変わった。
「ええ…そうです。」
朝美は大きく息を吸った。
「……幸喜君らしき遺体が、運ばれています。確認をお願いします。」
朝美がそう言うと、母親は小さな声で”はい”と、返事をした。
近くの公民館に運ばれた遺体は、所狭しと無造作に置かれていた。
用紙に書いてあるナンバーを朝美が探して、やっと大人に交じった、子供の遺体を見つけた。
「こちらです。」
朝美がゆっくりと、カバーのファスナーを開けた。
「幸喜……」
顔を見た母親は、すぐにその遺体が、自分の子供だと言う事を確信した。
「間違いなく、幸喜です。うちの子供です。」
「……ありがとうございます。」
仕事とは言え、手元にある用紙に、署名を貰うのは心が痛んだ。
「お悔やみ申し上げます。」
それしか言えなくて、朝美は一礼をすると、その場を立ち上がった。
「幸喜。ごめんね…助けに行ってあげられなくて…」
母親は冷たくなった我が子の遺体を、包むように抱き締めた。
「怖かったね……でも、もう大丈夫だからね…」
朝美は声にならない声で、「失礼します。」と言うと、急ぐように立ち去った。
その日の朝まで、元気だった家族が、ほんの数時間には帰らぬ人になる。
あのお母さんだけじゃない。
ここにいる全ての遺体の家族、みんながそうなのだ。
「純一君……どこに避難してるんだろう。会いたいよ…」
その時だった。
「木村さん。」
朝美が顔を上げると、また一枚の書類を渡された。
「…辛いけど、頑張ろう。」
ついこの間まで、同じ建物の中でも、違う課で働いていた職員が、まるで仲間のように声を掛けあう。
「はい。」
朝美は身体の奥から、声を出した。
弱っている暇はない。
みんな、家族との対面を待っているのだ。
朝美は運びこまれた遺体を見回すと、渡された書類に目を移した。
「えっ…」
そこには、よく見慣れた名前、【三島 純一】とあった。
朝美は急いで、純一の家族を探した。
何かの間違いだ。
遺体のリストに、婚約者の名前があるなんて!
「朝美さん!」
聞いた覚えのある声、純一の母親だ。
「純一君のお母さん…」
朝美はゆっくと近づくと、弱々しい声で純一の母に尋ねた。
「…純一君。行方不明だったんですか?」
純一の母親も父親も、妹まで下を向いた。
「…会社から、こっちへ避難する途中で、わからなくなってしまったんだ。」
そんな
そんな…
朝美は泣くのを必死に押さえ、事実を家族に伝えた。
「純一君、見つかりました。」
「えっ!!」
「こちらです。」
「こっちって…」
振り向いたのは、遺体安置所。
「……ご本人か、確認をお願いします。」
朝美の言葉に、純一の家族は息を飲んだ。
淡々と遺体の中を進む、朝美と純一の家族。
書類と同じ番号を見つけると、朝美は膝をついた。
ファスナーを開けようにも、手が震えて開ける事ができない。
見かねた純一の父親が、ファスナーを開けた。
「…純一!」
「お兄ちゃん!」
次々と遺体にすがりつく、純一の家族。
「間違いありません。息子の純一です。」
遂に父親までも、その遺体が純一だと確信した。
「ううっ…うううう……」
朝美は無意識に、純一の肩を抱き寄せた。
「うわああああ!!」
あの日の電話で、今から避難すると言っていた純一。
『朝美を置いて、どこにも行かないよ。』と、言っていた純一。
その純一は、もうあの優しい声で、「朝美。」と言ってくれる事は、
もう永遠に、無くなってしまったのだ。
しばらくして、お葬式の手続きを済ませた、純一の父親が戻ってきた。
「手続きは済んだけれど、遺体の数が多すぎて、今すぐに火葬ができるわけじゃないんだ。」
「どのくらい待つの?」
「わがんねえ……1週間なのか、2週間なのか…」
市にある火葬場は、既にフル活動。
それでも火葬の順番は、見通しが立たなかった。
「朝美さん。辛いだろうけど、純一とはここでお別れした方がいいかもな。」
「お父さん…」
「火葬できねえんでは、遺体はあのままだし……冷やしておいでっけど、少しずつ腐っていくべし……純一のそんな姿、見だくはねえべ。」
それでも、朝美は首を横に振った。
「いいえ。お墓に納骨するまで、側にいさせてください。」
「朝美さん…」
「じゃないと、私……ちゃんと前を向いて、歩けないような気がするんです。」
正直言って、まだ純一が死んだなんて、信じられなかった。
この時間は……
神様が奇跡的にくれたモノなのかもしれない。
朝美はそう信じて、疑わなかった。
数日して朝美は、仕事の合間に、純一の家族の元を訪れた。
「朝美ちゃん…」
「こんにちは。純一君の顔を見に…」
そう言って床を見ると、置いてあるはずの遺体がなかった。
「お母さん…純一君は?」
「朝美ちゃん。よ~く聞いてね。」
純一の母親は、息を吸った。
「……遺体を火葬する事が、難しくなったの。」
「えっ?どうしてですか?」
「火葬するには、多くの石油が必要なのよ。それが不足してして、燃やす事ができなくないの。」
火葬ができない…
すると純一はどうなるのか。
「純一君は…どうなるんですか?」
「純一は…」
少し言いにくそうに、うつむいた純一の母親。
「火葬できる日が来るまで、仮のお葬式をあげようと思うの。」
「仮の…お葬式?」
「ええ…このまま置いておくわけには、いかないでしょう?だからその日まで、土の中に埋めておくのね。」
「土葬っていうことですか?」
「そうね。」
それは天災だったとしても、当たり前に葬られるはずだと思っていた朝美にとって、とても信じられる事のできないものだった。
―――――――……………
「……ちゃん?朝美ちゃん?」
純一の母親の声で、我に帰った朝美。
「は、はいっ!」
「もう少しで、純一ともしばらくのお別れよ。」
「…はい。」
一度土葬にして、改めて供養できる日を待つ。
その事を聞いてから、何も考えられずに、とうとうその日が来てしまった。
「では、土をかぶせていきますね。」
次から次へと、純一が眠る棺の上に、掘られた土が戻ってゆく。
「純一…」
そこには簡易的なお墓と、花を生ける筒だけ。
卒塔婆も、お坊さんもいない。
「早く、火葬してお葬式をあげる日が来るといいわね。」
「本当だな。」
「それまで、お兄ちゃん…しばらくここで、待っててね。」
純一の家族は、まるで本当に純一が、ただ眠っているかのように、話しかけている。
ただ一人。
行き場のない気持ちを抱えたままの、朝美を残して。
「朝美さん、そろそろ行こうか。」
純一の父親が、帰る素振りを見せた。
「すみません。もう少し、純一君の側にいてもいいですか?」
「朝美ちゃん…」
純一の母親が心配して手を伸ばすのを、父親が止めた。
「気が済むまでいなさい。ただ…日が落ちる前に、連絡しなさい。迎えにくるから。」
「はい。」
純一の父親も母親も、朝美を自分の家族のように、扱ってくれた。
この家族なら、結婚してもやっていけると、心からそう思っていた。
その幸せが、もうすぐ手に入るはずだった。
「純一君…まだそこにいるの?」
朝美はぽつりとつぶやいた。
「…戒名もなくて、お経もなくて。純一君は、ちゃんと天国へ行けるの?」
愛する人との生活。
温かい家庭。
与えられるはずの名前。
唱えられるべき言葉。
全てが、あの日を境になくなってしまった。
「純一君。私、どうしたらいいの?」
心に区切りをつけられるのなら、まだマシだ。
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