第6話 生きてこそ

健吾が避難した場所では、避難所が二手に分かれた。

丘の上にある公民館と、健吾が働いていた学校だ。

公民館にいた方が安全だが、全町民を収容しきれない。

そこで、健吾達や生徒達など若い人々が、学校に移動することを申し出てたのだった。


「健ちゃん。」

「春香!」

妊娠中の春香は、地震の時調度、病院で検診を受けていた。

”順調に育ってますよ”

そんな言葉を、医師と助産婦さんに告げられた時だった。

突然の大揺れ。

他の妊婦の人と共に、病院の外へ飛び出したが、その後の津波警報を受けて、今度は病院の屋上へと昇った。

その後の大津波。

中にはショックで、流産した妊婦もいた。

当の春香も、鈍い痛みを感じたが、お腹の子供に必死に訴えた。

”あなたは生きて!!生きなきゃ!!”と。


「お腹の子は無事か?」

「うん。元気に、お腹を蹴りまくってるよ。」

「そうかそうか。」

久しぶりに会う、春香とお腹の子供。

健吾は学校の2階に、春香を通した。

ここには、近所の人も避難していて、春香も寂しくないと思ってのことだった。

「床、冷たくないか?」

「うん、ちょっと…」

「待ってろ。」

健吾はどこからか、段ボールをもらってきた。

「これを床に敷いて、その上に毛布を敷いて…」

身重の春香そっちのけで、自分達の居場所を確保する健吾。

「ヒューヒュー!先生、やっさし~い!!」

ジャージ姿の生徒達が、廊下から叫ぶ。

いつもなら”おまえら~”と言い返す健吾も、今は言い返せない。

「春香。あとは、適当に荷物を置いてろ。」

「うん。と言っても、荷物はこれだけなんだけどね。」

そう言って春香が見せたモノは、支給された洗面道具と、数枚のタオルだけだった。


健吾は春香の肩を、ポンポンと叩くと、廊下にいる生徒達の元へと向かった。

「おまえらは、どこに寝泊りするんだ?」

「ん?1階の教室。」

「1階の?」

「うん。みんな一緒。」

半信半疑に1階に向かうと、そこには普通に、机と椅子が並んでいた。

「あっ、木村先生。」

まるで自分の授業を待っているかのようだった。

「ここにどうやって…」

「寝る時は机を縦に並べて、その上に寝るんだ。」

「床に寝ると、寒いしな。」

「なっ。」

今の状況を、逆に楽しんでいるとも見える生徒達。

「風邪だけはひかないように、毛布被って寝るんだぞ。」

「「は~い。」」

素直ないい子達だな。

健吾は改めて、自分の生徒達の良さを実感するのだった。


翌日から生徒達は、忙しく働いた。

教室や廊下などに残っている、汚泥や瓦礫の掃除をしなければならなかったからだ。

男子も女子も、分け隔てなく身体を動かす。

だが、掃除だけではなかった。

「ねえ、先生。トイレの水が、流れないんだけどさ…」

避難している年配の人が、そう言ってきた。

「そうか……水道が止まっているんだ。」

つい1時間前にやってきたばかりの、給水車から水を汲み、健吾はトイレへと運んだ。

タンクへ水を入れた後、他人が用を足したトイレのレバーを押す。

勢いよくジャーと流れた後、タンクへ水が溜まる音はしない。

「仕方ない。トイレへの水は、その都度汲みに行かないと。」

健吾の言葉に、生徒達は明るく答える。

「じゃあ、それ。私達がやりま~す!」

「そう言えば、トイレの掃除もしなきゃ。」

「毎日、交替でやった方がいいかも。」

「そうだな。」

健吾は、生徒達の明るさと強さに、心が救われた気がした。


「はい!今日の食事の配給です!」

毎日、トラックに積まれて、やってくる食事。

だが渡されるのは決まって、パンと500mペットボトルの水 それだけだった。

「今日もこれだけか…」

日中、忙しく動きまわる生徒達。

一番食べ盛りの生徒達に、一日パン1個の食事は、到底我慢できるものではなかった。

「春香。お腹空いてないか?」

寝る前に健吾は、隣にいる春香に尋ねた。

「……私は大丈夫よ。」

力のない言葉が返ってくる。

妊婦には野菜など、栄養もある物も少し与えられた。

それでも、お腹の子供の分まで、空腹は満たされはしなかった。

「これ……」

健吾はポケットの中から、おにぎりを取り出した。

「どうしたの?これ…」

春香は身体を起こした。

「昼間、給水車の人に貰ったんだよ。」

健吾は春香の手の中に、おにぎりを手渡した。

「健ちゃんが、食べたらよかったのに。」

「生徒達だって、パン一つで頑張ってるんだ。俺だけこっそり隠れて、食うわけにはいかないよ。」

「だったら、私だって…」

「いいんだ。春香は、お腹の子供の為に食べてくれ。」

春香は胸がいっぱいだった。

「ほら。子供が腹減ったって、言ってるぞ。」

「……うん。」

春香は頬に涙が伝うのも気付かずに、健吾から貰ったおにぎりをほおばった。


1週間程過ぎて、ようやく学校での避難所生活も、慣れてきた頃だった。

生徒達は気が緩んだのか、それとも友達との寝泊りが楽しいのか、遅くまで起きているようになった。

健吾は寝る前に、生徒達のいる教室を訪れるようになった。

「こら、おまえら!何時だと思ってるんだ!」

だが、最初は素直に横になっていた生徒達も、今日は違っていた。

「先生……」

「どうした?」

「原発の影響で、救援が進んでいないって、本当?」

生徒の一人が言った。

テレビもネットもない教室。

携帯だって、電源がなく使えない生徒もいる。


「どこで聞いたんだ?そんな事。」

「安原が今日、校長室の前で聞いたって……テレビでそう言ってたって。」

その安原が、じっと健吾を見つめていた。

この時、福島原発で事故発生というニュースは、列島を駆け巡っていた。

”心配しなくてもよい”

”チェルノブイリのように、人が住めない土地にはならない”

だがその一方では、『福島には近づくな』。

そんなニュースも流れていた。


「ねえ、先生。僕達、この先どうなるのかな。」

誰ともなく、そんな事を言いだした。

「教科書もないし、授業だってしてないし…」

大丈夫だよと、言ってあげられない自分がいた。

「大学、受かるのかな。」

健吾は黙って、みんなの肩を叩いて周った。

「…とにかく、今は休もう。地震で体力的にも、精神的にも疲れているんだ。」

とにかく、そんな言葉しか、思い浮かばない。


「学校の事は、県や国がなんとかしてくれる。信じよう。」

小さく頷いた生徒達に、なんとかほっとする健吾。

そのまま寝る準備を手伝った。

机を2個並べて、マットの代わりに段ボールを敷く。

毛布に包まり、その上に次々と横になっていく生徒。

日中の汚泥の掃除で疲れているのか、まともな食事も食べておらず、体力が落ちているのか、生徒達は、ものの数分で眠りに落ちて行った。

健吾は、春香の元へ戻ってくると、すぐに毛布に包まった。

「生徒達、大丈夫だった?」

小さく頷く健吾。

「健ちゃんも、早く寝たら?」

春香はその日支給された、マットに横になった。

薄いマット。

だが生徒達は、それすらもまだまわっておらず、敷いているのは段ボールだ。


「春香、俺。」

「ん?」

「この先どうなるのかなぁって言う、生徒達の質問に答えてやれなかった…」

健吾は小さく身体を丸めた。

「俺、教師なのに……答えてやることが、できなかった…」

春香はゆっくりと、起き上った。

「健ちゃん。教師だって人間だもの。答えられない質問だって、中にはあるわよ。」

「違うんだ、春香。」

顔を上げた健吾は、涙でグチャグチャになってた。

「俺、どうしようもなく沈んでるあいつらを…励ます言葉すら、出てこなかった…」

春香は、健吾の肩に寄りかかった。


「ねえ、健ちゃん。」

春香は健吾の腕をぎゅっと掴むと、少し息を吸った。

「うちの両親……今日、遺体で発見されたの。」

「えっ…」

驚きを隠せない健吾。

「両親って、行方不明だったのは、お義父さんだけだったんじゃ…」

「お父さんの遺体が、避難所の近くの公民館に運ばれて。お母さん、それを見て…そのまま首を吊って…」

春香の声も震えていた。

「自殺したんだって…」

「春香。」

「バカよ。お父さんが死んだ事に悲観して、せっかく助かった命を自分で絶つなんて!」

「春香!」

健吾は春香を、力の限りに抱き締めた。

「生きてさえいれば、それでいい!死んでしまったら、これからの事を悩むことだって、家族が死んで悲しいって、涙を流すこともできないじゃない。」

「そうだ…そうだよ、春香。」

健吾と春香は、いつの間にか二人で涙を流していた。

「わかったよ、春香。生きているから、辛いんだよな。生きているから、悲しいんだよな。」

「そうよ、健ちゃん。でも…」

春香は涙でグチャグチャになった顔で、健吾を見つめた。

「生きてれば、また笑える時が、来るよね?」

「ああ…絶対来るよ。」

「私、頑張るから。健ちゃんの為にも、この子の為にも…」

「うん…うん……」

「歯を食いしばってでも、生きてみせるよ?」

「ああ!」

辛いのは、自分だけじゃない。


そうはわかっていても、

家を失くした人、

仕事を失くした人、

恋人を亡くした人、

家族を亡くした人、

その度合いは人それぞれだ。


それでも”生きて”いかなければならない。

これから産まれてくる、次の世代の為にも。

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