第3話 街が津波に

【大津波注意報!大津波注意報!皆さん、大津波注意報が、出ています!至急、高台に避難して下さい!繰り返します、大津波注意報!大津波……】


街の中をアナウンスが、鳴り響く。

それは、優美と朝美の兄・健吾が働く高校にも聞こえた。

「木村先生!まだ校舎に残っている生徒と連れて、高台に!」

「はい!」

健吾は急いで、校舎の一番の上の階である3階へと駆け上がった。

「残っているヤツはいるか?」

健吾は大きな声で、各教室を走りまわった。

「先生!」

一番奥の教室にいたのは、吹奏学部の部員達だった。

「無事か!」

「はい!全員無事です!」

部長の門倉真衣が答えた。

「大津波注意報が出ている!すぐに校舎から逃げるんだ!」

健吾は生徒一人一人の、背中を押した。

「先生…」

「どうした?」

「…楽器は?楽器は、持って行けるんですか?」

「楽器?」

中には大きな楽器を、抱えている生徒もいた。


「楽器なんか、置いて行け!」

「そんな!」

「今は楽器を心配している暇はないだろう!」

健吾は思わず叫んでしまった。

「でも!」

真衣が一人、立ち上がった。

「……中には、一つ数十万もする楽器もあるんです!使えなくなったら、また買ってもらえるんですか?」

「えっ…」

「全部の楽器を買い直す予算なんて……ないですよね。だとしたら、もう吹奏楽は……」

中には、泣き始める生徒もいた。

健吾は、立ち上がった生徒の肩を掴んだ。

「だとしたら、俺が教育委員会にかけ合ってやる。とにかく今は、生きる事が大事だ!」

「先生……」

「さあ、行こう。」

健吾は改めて、一人一人の背中を押しながら、教室を後にした。


その瞬間、遥か遠くに波の壁が見えた。

「……津波だ。津波がもう、街へ来たんだ……」

健吾は吹奏学部の生徒達と共に、階段を駆け降りると、校舎の外へ出た。

「こっちだ!」

健吾は校門とは、逆の方向を指差した。

「先生、そっちは道路と反対じゃ!!」

「道路を走って避難する時間は、もうないんだ!急げ!」

健吾は先頭を走って行くと、裏口の重い扉を開けた。

「この山を昇るんだ!」

「えっ…」

女子生徒達は、スカートのまま山を昇る事をためらっていた。

「早くしろ!」

健吾が先に昇り始め、後から生徒達が付いて行く。


必死だった。

とにかく必死だった。

早くこの山の一番高い場所へ昇らなければ、あの波の壁に飲み込まれてしまう。


「早く、早く!」

健吾は迫りくる津波を見ながら、一人一人の背中を押した。

なんとか全員無事に、山の頂上に着いた健吾達。

狭い小道を抜けて、みんなが避難している高台へと辿り着いた。

「よかった…助かった…」

生徒達は次々と、膝を付いていった。

避難場所に続く道路は、避難してきた車で渋滞だった。


「おい!あれを見ろ!」

誰かが街を指差した。

健吾は恐る恐る、首を横に向けた。

そこには次々と、建物を襲う津波の姿があった。

「あっ!危ない!」

道路を走って逃げる人が、津波に巻き込まれる。

「あっちも!」

全速力で走る車が、波にのまれた。

「ああ……」

人々は成す術もなく、それを見ることしかできない。


そして街から聞こえてくるのは、「助けてえええ!!!」「キャーッ!!」という叫び声だけだ。

健吾は今も、避難所に向かっている人々を見つけた。

もう、すぐそこまで、津波はしぶきをあげながら、押し迫って来ている。

健吾はガードレールを、飛び越えた。

「車を捨てて、崖を上がれ!」

逃げまどう人々が、こちらを向いた。

「車を捨てるんだ!!」

すると幾人もの人が、車から降りてくる。

「誰かロープを!!」

頷く人が、避難所へと走って行く。

健吾は少しずつ、崖を降りた。

「頑張れ!もう少しだ!」

懸命に昇る人に、手を差し伸べる。

それを見た避難所の人も、何人か崖を降りて、逃げる人を手伝った。


しばらくして、ロープも垂らされた。

「頑張れ!諦めるな!!」

そう言って、手を引くしかできない健吾。

それでも、崖の下に辿りつかない人が、何人か波に連れ去られた。

「街が…街が無くなった…」

必死で逃げ切った人々と一緒に、健吾は巨大な川と化した街を、見つめる事しかできなかった。


優美が避難している小学校では、雪がちらついてきた。

「どうりで寒いと思ったら。」

仙台では3月でも、雪がちらつく時がある。

「寒い…」

外にいた瞳は、コートも着ていない。

「瞳ちゃん、コート貸す?」

「いえ。先輩が寒くなるじゃないですか。」

だが瞳は、小刻みに震えている。

優美はカバンの中から、膝かけを取り出した。


「これ、被ってて。」

「先輩…」

「まさか、これが役に立つとは思わなかった。カバンの中に、入れっぱなしでよかった。」

近くには火の気が全くなく、ちらつく雪が容赦なく降り続く。

「どこまで容赦ないの?」

誰かがつぶやいた。

「本当だよ。地震に、津波に……雪まで……」

優美はふと、空を見上げた。

雪の中、ヘリが飛んでいる。

「あれ、緊急物資に運んでいるのかな。」

「まさか。取材用ですよ。」

瞳が冷静に話す。

「この雪で、凍え死ぬ人がいないといいけど。」

優美は思わず、そうつぶやいた。


しばらくして、会社から解散指示が出た。

もうすぐ夕方が迫る。

暗くなる前に、家に帰宅できる者は帰そうという考えだ。

「とりあえず、明日会社は休みになります!その後の指示は、追って連絡します。」

上司のその言葉の後、会社の同僚達は、散り散りになって行った。

「先輩はどうするんですか?」

「うん。とりあえず、家に帰るか。」

優美と朝美の家は、仙台から一駅の場所。

多少遠いが、歩いて帰る事ができる範囲だった。

「私もバスとかあればな……」

瞳の家は、電車で1時間以上かかる場所だった。

いつもは快速で、仙台に通っていた。


「一度、仙台駅まで歩いてみようか。」

「そうですね。」

優美と瞳は、上司に駅に行くと告げ、小学校を後にした。

「他の人はどうするんでしょうね。」

「友達の家に泊まるとか、迎えに来てくれる事を待つとか言ってたな。」

中には歩いて帰る事ができない人もいる。

”帰宅困難者”と呼ばれる人だ。

「……バス、あるかな。」

そう小声でつぶやく瞳の背中に、優美をそっと手を当てた。

だんだん暗くなる中、瞳と優美は、駅に向かって歩き続けた。

ファッションの一つで履いて来たブーツが、いくらか足元を温かくしてくれている。

「雪、いつまで降り続くのかな。」

「そうですよね。夜までには、止んでほしいですよね。」


途中にある大きなホテルの入り口では、迎えを待っているのか、途方にくれているのか、座って動かない人もいた。

「ようやく見えてきたね。」

たくさんの群れと共に、駅にと辿りついた。

みんな、考える事は同じようで、これでもかというくらいに、人が溢れていた。

バスターミナルに、人の列は幾つもあるのに、肝心のバスが来る気配はない。

いつもは腐るくらいにタクシーのいるタクシープールも、今は一台もいない。

「いないね。」

「はい…」

どうしようと、次の案を練っていた時だ。

「キャアアアア!!!!」

大きな余震が、また仙台を襲った。

「私達、このまま死んじゃうの?」

近くにいる女の子が、友達と電話をしながら、半分泣いている。


駅の隣には、商業ビルが入っていて、その中で働いてる従業員達も、固まって震えている。

「あっ、ウチからメール。」

瞳ちゃんが携帯を開けてみると、家からメールが届いていた。

―――――――――――――――

From:父

―――――――――――――――

無事か?

―――――――――――――――


短い文章。

時間を見てみると、地震が来た直後だった。

「1時間前のメールが、今届くんだ……」

そしてまた届くメール。

「今度は?」

「迎えに行けないから、バスで帰って来いだそうです。」

迎えに来れないとわかっていても、寂しい気持ちが襲ってくる。

「瞳ちゃん、駅前に行ってみる?もしかしたら、家の方向行きのバス、あるかもよ?」

「はい。」

そして優美と瞳は、もう一つのバスターミナルへと向かった。

「あっ、たくさんの人が待ってる。」

反対側の道路からでも、人の固まりが確認できた。

「ここまで来れば大丈夫です、先輩。」

「本当?」

「はい。先輩は歩いて帰るんですか?」

「うん。」

「くれぐれも、気を付けて帰って下さいね。」

「瞳ちゃんも。」

優美はそう言って、瞳が向かうバスターミナルの反対へと足を向けた。


先程見た、駅の近くのホテルを通り過ぎ、仙台駅に向かう時に通って来た道の、途中まで戻って来た。

ここからは、家が同じ方向の人々と共に、歩き続ける事になる。

「はぁ…大樹(タイキ)どうしてるかな。」

繋がらないとわかっていながら、優美は携帯を取り出し、彼氏である大樹に電話をかけた。

『もしもし、優美?』

「大樹?」

奇跡的にか、電話は繋がった。

『今、どこだ?』

「五橋あたり。」

『五橋!?』

「うん、家に向かって歩いてるとこ。」

優美のその言葉を聞いて、電話の向こうからは、大樹の安心したため息が聞こえた。

『そうか。とにかく、無事だったんだな。』

「うん。」

『本当は迎えに行ってやりたいけど、道路が悪くて行けないんだ。こっちの駅で待ってるから、そこまで歩いて来れるか?』

「うん。わかった。」

とりあえず、彼氏の無事がわかった優美。


歩いている途中で、建物の壁から剥がれ落ちた、コンクリートの塊が、バスの停留所の上を直撃している場所を見た。

「怪我人はいなかったって。」

「不幸中の幸いだな。」

道行く人が、次々とつぶやいていく。

だんだん暗くなって、電灯もない道を、ただひたすら歩き続けなければならない優美だった。

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