第2話 避難
ロッカーの中に預けていた荷物を取り出し、優美がビルの外に出た時だ。
「あっ!木村さん!」
「瞳ちゃん!」
お昼に外へ出ていた瞳と、奇跡的に再会した。
「あああ~!!本当に怖かったよ~~!!!」
半ベソをかきながら、瞳が優美にしがみつく。
「大丈夫!大丈夫だから!!無事でよかった、瞳ちゃん!!」
さっきまで、一緒に働いていたというのに。
急に一緒にいる事が、有難いと感じる。
「周りで、いない人はいませんか?」
会社の社員の人で、点呼係が言いまわっている。
「そう言えば、智世ちゃんがいない!」
誰かがそう叫んだ。
智世は、妊娠6ヶ月の身重だ。
「誰か、智世ちゃん見なかった?」
「智世ちゃん、知らない?」
みんなが、仲間を探す。
一瞬、嫌な予感が過ぎ去った時だ。
「智世ちゃん!」
誰かが叫んだ。
「びっくりした~。すごい揺れたね。」
何でもない顔して、智世は向こう側から歩いて来た。
「心配したよ~。お腹は大丈夫?」
仲間の一人が、智世に近づく。
「とりあえず、何でもなかった。」
智世のその一言で、みんなは胸をなで下ろした。
それもつかの間、優美は軽装の瞳に気付く。
「そうだ、瞳ちゃん。荷物は?」
「あっ、中だ。」
「取ってこれるか、聞いてみようか。」
「うん。」
優美と瞳は、ビルの中に入ろうと警備員に近づいた。
「すみません。今、中には入れません。」
「中に荷物があるんですが……」
瞳は事情を話した。
「安全が確認されるまでは、ご遠慮ください。」
優美と瞳は、互いに顔を見合わせた。
タイミングの違いで、荷物を持って逃げる事が出来る人、できない人。
この寒空の下、上着を着る事ができる人、できない人がいるなんて。
「皆さん、一列に並んで下さい!出発します!」
近くの小学校に避難すべく、優美達は歩き出した。
歩いている途中でも、地震の大きさを見せつけられた。
「ねえ、見て。」
瞳が指差す方に、優美は目を止めた。
「瓦が落ちている。」
もう、一枚二枚の騒ぎではない。
原形を留めていない程、瓦は全て落ち、道の半分を塞いでいた。
「とりあえず、怪我人はいないようだから、よかったね。」
「そうだね。」
30年前の宮城県沖地震では、倒れたコンクリートの壁に下敷きになって、亡くなった人も多くいた。
だからだろうか。
大きな地震の際は、壁に近づかない。
そんな教訓が生かされいた。
「あれ?瞳ちゃん!」
「ああ!久しぶりです!無事でしたか!」
違う部署の人が瞳ちゃんを見つけて、駆け寄ってきた。
「よかった~。とりあえず、怪我もなくて。」
「本当にそうですよ。」
会ったその瞬間、”無事でよかった”。
そんな会話をするなんて、日頃の優美達には思ってもみなかった。
無事学校に着いて、近所の住人、小学生、みんなで校庭に列をなした。
優美は何気に、携帯を見た。
いくら電話をかけてみても、一向に繋がらない携帯。
みんな一斉にかけている時は、繋がりにくいとわかっていても、ここまで繋がらないと、逆にイライラする。
そのイライラを紛らわせる為か、ワンセグのボタンを押してみた。
普段使わないワンセグが、まさかこんな時に役立つなんて。
この携帯を買った時は、思いもしなかった。
「あっ、映った。」
だがその瞬間、信じがたい映像が、優美の目に飛び込んだ。
【大津波警報】
しかも、岩手県、宮城県、福島県だけが、異様に赤く目立つ。
「ねえ、大津波注意報だってよ。」
「ええ?」
今まで見た事もない警報に、我が目を疑う。
そして次に飛び込んできた映像は、津波に飲み込まれる港の映像だった。
「もう、建物以外、波で見えないよ。」
まるでバラエティ番組で出てくるような映像。
でも違う。
今、実際に近くの港が津波に襲われていて、紛れもなくこの日本の、宮城県で起こっている、現実なのだ。
そんな中、瞳が仲間の一人に連れられて、やってきた。
「家に、電話が通じない……」
そしてまた瞳が、涙を浮かべながら携帯をかける。
「まだ、繋がらないよ。」
誰かが慰めの言葉をかけた。
だが優美は、そんな言葉すらかけてあげる事ができない。
「瞳ちゃん。」
優美は瞳を抱き寄せた。
「大丈夫。家族は無事だって。」
「でも、でも!……港が…」
瞳の実家は、津波に飲み込まれたあの気仙沼港の近くだ。
「みんな、逃げてるよ!大丈夫だよ。」
「……木村さん。」
優美の言葉は、ただの想像かもしれない。
もしかしたら、ウソかもしれない。
それでも、それでも。
そんな言葉を、かけ合うしかなかった。
”どうか、無事でいて!!”
そんな事を祈るしかなかった。
一方、妹の朝美は自分が働いている青葉区役所から、近くの公園へと避難した。
「とりあえず、助かった……」
ほっとして、腰を降ろした。
「木村さん!」
朝美の近くの席で仕事をしている、小野寺という中年の女性が、声をかけた。
「よかった~。無事だったんだね。」
「はい。小野寺さんも無事で、何よりです。」
こんな場面では、知っている顔を見ると、やけに落ち着く。
「そうだ。家族に連絡、取れた?」
「いえ……」
「まだ、繋がんないのかもね。」
小野寺はそう言ったが、朝美は違っていた。
逃げる事に精一杯で、そこまで頭が回らなかった。
「すみません。」
朝美は小野寺に、小さく頭を下げると、携帯を取り出した。
姉の優美に、兄の健吾に電話をかけても繋がらない。
何度もかけても、流れるアナンスは一緒。
《混み合っておりますので、後ほどおかけ直しください。》
朝美は少し迷った末に、弟の修吾(シュウゴ)へ電話をかけた。
修吾は、東京で一人暮らしをしていた。
『もしもし?朝美姉?』
いつもの修吾の声だ。
「うん。」
『よかった!無事だったんだな。』
心なしか涙ぐんでいるような気がした。
「うん。無事だった。そっちは大丈夫だった?」
『ああ。少し揺れたけど、全然大丈夫だった。』
仙台があれだけ揺れたのだから、東京も揺れないわけがない。
『朝美姉。兄貴と優美姉から、連絡あったか?』
「ううん。携帯、繋がらないの。」
『俺もだよ。携帯の災害伝言版に、一応メッセージは残しておいたけどさ…』
そう言えば、そういうモノもあったなと、朝美は思い出した。
『びっくりしたよ。テレビでは、世界中が日本のニュースを報じてる。』
朝美は、息が止まった。
今、目の前にある大災害が、想像以上の物だったのだと、ようやく、思い知らされたからだ。
「区役所職員は、みんな集まって下さい!」
所長の一言で、散り散りになっていた職員が、一斉に集まってきた。
「大変な事になりました。全く予想もしなかった大災害が、今、我々の前に立ちはだかっています。ですが、ここで逃げるわけにはいかない!被災した市民達の、生活を確保する。それが我々の、使命であります!」
職員達は、皆、息を飲んだ。
「余震が収まるのを待ってから区役所へと戻り、すぐに災害対策へと移りましょう。」
はい!という力強い返事と共に、皆、やる気十分だった。
「所長!」
その中で小野寺が、手を挙げた。
「と言う事は、しばらく家に帰れないということですか?」
小野寺は、職員とはいえ夕方までのパートだった。
「パート・アルバイトの方は、強制はしません。帰りたい方、帰れる方は気にせずに、お帰り頂いて構いません。」
小野寺達は、ほっと胸を撫で降ろした。
「これで子供達の元へ帰れる…」
それも母親として、当然の感情だ。
「木村さんは?」
「あっ、私は……ここに残ります。」
「そう。体にだけは、気を付けてね。」
そう言って小野寺は、帰る方向が同じ人々の群れへと、歩いて行った。
そして朝美が他の職員と共に、区役所へ戻ろうとした時だ。
朝美の携帯が鳴った。
【着信:純一君】
婚約者の純一からだ。
咄嗟に、電話に出る朝美。
「純一君!」
『朝美!?』
間違いなく、純一からだった。
『朝美、怪我はないか?』
「うん。純一君は?」
『俺は平気。今、会社の人達と、避難しているとこ。』
純一の働いている場所は、仙台新港の近くだ。
「純一君、津波は?」
『ああ、津波警報が鳴り響いてるよ。一刻も早く、ここから逃げなきゃな。』
「早く、早く逃げて!」
朝美は不安でたまらなかった。
だが返ってきたのは、純一の笑い声だった。
『大丈夫だよ、朝美。朝美を置いて、どこにも行きはしないから。』
いつもの、純一の優しい言葉だ。
『また後で、掛け直す。』
「うん、また。」
そして、純一からの電話は切れた。
電話が終わった後、朝美は区役所の仲間の中に入っていく。
「ご家族からか?」
見た事もない、眼鏡をかけたおじさんに声を掛けられた。
「いえ…彼氏です。」
「そうか。無事だったか。」
「はい。」
ここにいるという事は、同じ区役所の職員なんだろう。
「僕は税務課の高橋だが、君は?」
「私は、戸籍住民課の木村です。」
「同じ建物の中でも、全く違う階か。」
「そうですね。」
地元にいる自分の父親と、同じくらいの年代に見える高橋。
実家は以前として、電話は繋がらなかった。
「皆さん。区役所に戻ったら、まず食料、水、それから毛布などの配給をお願いします。一人でも多くの市民に渡るように、手際良く配給しましょう。」
「はい!」
既に市民の流れが、区役所に向かっている。
「よし!みんな力を合わせて、乗り切ろう!」
高橋が部下達に、活気を与える。
既に帰宅が始まっている中で、逆に仕事場へ戻らなければならないのが、公務員の辛い一面かもしれない。
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